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黒田は胸を反らせて、鼻から良い香りのする空気を吸い込んだ。ほおっと息を吐いて、深呼吸をする。白い服の少女が湯浅のところに行ってくれたのを見て、正直なところ肩の荷が下りたのだ。パンダに興味を持っているようだから、きっと他の子供達と一緒におとなしくしてくれるだろう。
佐伯に約束した画像の撮影は出来なかったが、上司のイヤホン・カメラの画像を確認すればデータベースとの照会は可能なはずだ。
地下の大広間に突入し、3人もの被害児童を発見したときには、どうなることかと思ったが、それ以降はかえって順調に事が進んでいる。間もなくトクホの応援が到着して少女達を保護し、院長を連行すれば、トクテンケンも無事終了だ。
つい先ほど、二海愛照奈を逮捕したときには簡単に事が運んだと思ってみたものの、振り返ってみれば合成獣の件といい、院長発見の経緯といい、彼ひとりではどうにも出来ないことばかりだった。人と運に恵まれての、ぎりぎりの逮捕劇だ。
黒田は少女達に囲まれて立つ上司を見て、鼻から息を吹いた。いつか自分もあの人のように、何事があってもどっしりと構えて臨機応変の対処が出来るようになるのだろうか。
彼は右手で拳を作り、硬く握り締めた。
突然、呼び出し音が耳を打つ。佐伯からの緊急コールであった。
「湯浅さん、聞こえていますか。湯浅さん、返事をしてください」
イヤホンに触れると、声が溢れた。佐伯はどうやら懸命に上司を呼び出している最中であるらしい。呼び出しに答えても、気付いた様子はなかった。
黒田が声をかけると、佐伯は「ひい」と悲鳴のような驚きの声を上げ、一瞬、沈黙した。すぐに相手が誰か分かったのか、堰を切ったように話し始めた。
「黒田、黒ちゃん、大変だ。あの白い服の女の子のせいだよ。あの子、やっぱりただのクローンじゃなかったんだ。なんてことだ、もっと早く気がつくべきだったのに……」
「佐伯さん、どうしたんです。何が大変なんですか」
院長に背を向け、口元を手で覆いながら聞き返す。
「湯浅さんが返事をしてくれないんだ。どうしよう、黒ちゃん」
「故障か、バッテリー切れではありませんか」
佐伯に言い返されるまでもなく、その可能性が低いことは、よく分かっていた。この部屋に入る直前に、機器の点検を実施しているからだ。
大きな声を出して呼びかけようかと、黒田は首をめぐらせた。湯浅のパペットをはめた左手は、だらりと下がっている。ゆっくりと膝が曲がっていき、ついには天を仰いで膝をついた姿勢になった。
佐伯の声が耳を打つ。黒田の顔から、血の気が引いていった。
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