不動

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100畳近い大広間の中央やや階段寄りに、湯浅は膝をついて立っている。白い服の少女は自分から湯浅に近付いて行って、何か話しかけていたようだ。薄物を着た3人の女性達は突然の動きに怯えたのか、少女の足下にうずくまっている。 黒田は自分の直感を無視し、さらに佐伯の依頼を速やかに実行しなかったことを悔やんでいた。挙げ句の果てに、目を離した隙に少女が移動して、予想だにしない事態が起きている。 湯浅の状態が尋常ではない。今や両手を力無く下ろして、口を半開きにしたまま少女の顔を見つめている。上司の吊り上った眉の下で、いつもはするどく細められている目が見開かれていた。顔に浮かんでいるのは戸惑いか驚きか。いや、恐怖だろうか。ふだん人前では面に出さない、激しく急な心の動きを表しているようであった。 「湯浅さん」 黒田は問いを発したが、湯浅の耳に届かないようだ。 「湯浅さんっ」 今度は声を限りに叫んだが、少女達が驚いてこちらを見ただけだった。上司は2度目の呼び掛けにも答えない。遠目だが、口元の筋肉が緊張していて、激しく動揺していることが見て取れた。上体はかすかに前後に揺れているようだ。 黒田は今にも駆け出しそうな自分を懸命に押し留めていた。もし湯浅が突発性機能喪失(インキャパシテーション)に陥っているのなら、遠くから声を掛けるだけでは回復させることは難しい。それでも今、彼の持ち場である院長の側を離れるわけにはいかなかった。 「黒田から見て、どうだ? 機能喪失(インキャパ)か」 佐伯の声はいつもより高く、微かに震えていた。 「おそらく。でも理由が分かりません」 「詳しく話している時間はない。白い服の女の子だ。彼女は湯浅さんの心的外傷(トラウマ)なんだよ」 「フラッシュバックを起こしている、ということですか」 にわかには信じ難い。泣く子も黙る不動の湯浅と呼ばれたほどの男に、機能喪失を引き起こさせるほどの心的外傷(トラウマ)が存在し得るとは思えなかった。 「誰にだって、人に言えない傷の一つや二つはあるよ。私や湯浅さんのように長くこの世界に関わっていれば、尚更だ」 「どうしましょう。近くへ行った方がいいでしょうか」 「現場にいるトクホは君と湯浅さんだけだ。黒田、君が指揮監督するんだ」 湯浅が指揮を執れなくなった今、彼ひとりで状況を把握し、考え、決断、実行しなければならないのだ。佐伯に相談することは可能だが、頼ることは出来ない。 「現場の責任者は、僕ですか」 彼は突然、孤独を感じた。
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