不動

6/6
前へ
/70ページ
次へ
黒田を重圧が取り囲んでいた。予想外の状況、人数の不足、見通しのつかない事態に対する不安、失敗は許されないという想い。身震いがした。地下室の風景がどんどん暗くなって、気温も下がっているようだ。 トクテンケンの執行中は現場の決定が最優先される。指揮者にはそのために必要な権限が与えられていた。その代わり責任の所在も指揮者であると、明確に規定されている。 湯浅の元へ行って回復を試みるか、それとも警察の突入を要請するべきか。いくつか選択肢は思い付くのだが、どれをとっても何か重大な障害が待ち構えているように思えて、踏ん切りがつかない。 「八方ふさがりか」 いっそ何もしない方が良い、とも考えた。院長の監視をしつつ応援の到着を待っていれば、万事うまくいくのではないか。 湯浅のまわりにいる被害者(クローン)達はどうだろう。白いワンピースの少女に身を寄せていて、かなり怯えているようだ。何かの拍子に階段から外へ逃げ出したりはしないだろうか。 仮に誰かが外へ出ても、包囲している警察に保護されるだけで実害はない。だがそれは、犯罪被害者を保護するという職務を放棄するのと同じに思えた。 「そんな事ができるか」 思わず、考えが口をついた。 被害児童を目の前にして、彼が負う責任を放棄したとしたら、将来きっと後悔するだろう。積極的に問題を解決することなく助けを待つことなど、誰も望んではいない。彼が憧れた職業は弱者を救う正義の味方であったはずだ。 黒田はついに決断した。 「湯浅さんの回復を試みます」 悩んだり悔んだりする前に、まず行動だ。彼は一歩、踏み出した。 「了解。出来る限りの支援をする」 肩越しに振り返ると、院長はまだ両手を床についたままであった。 「そこで待っているように」 黒田はそう言い残して、足を早めた。返事はない。 「走っちゃ駄目だよ、黒田。子供達がびっくりしちゃうからね」 佐伯はどうやら、落ち着きを取り戻しつつあるらしい。彼は大股で歩いたが、毛足の長い絨毯の上は革靴の底が滑って歩きづらかった。 被害児童達を回り込むようにして近づく。湯浅まであと数歩のところで、事態を混乱させる動きがあった。 「黒ちゃん、二海愛照奈が動いたよ」 予想どおり、院長はじっとしていなかった。四つん這いの姿勢のまま、大広間の奥、金属製の扉へと向かっている。 黒田は二海の動きを無視した。鍵穴には細工がしてある。おそらく時間は十分にあった。
/70ページ

最初のコメントを投稿しよう!

26人が本棚に入れています
本棚に追加