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黒田を重圧が取り囲んでいた。予想外の状況、人数の不足、見通しのつかない事態に対する不安、失敗は許されないという想い。身震いがした。地下室の風景がどんどん暗くなって、気温も下がっているようだ。
トクテンケンの執行中は現場の決定が最優先される。指揮者にはそのために必要な権限が与えられていた。その代わり責任の所在も指揮者であると、明確に規定されている。
湯浅の元へ行って回復を試みるか、それとも警察の突入を要請するべきか。いくつか選択肢は思い付くのだが、どれをとっても何か重大な障害が待ち構えているように思えて、踏ん切りがつかない。
「八方ふさがりか」
いっそ何もしない方が良い、とも考えた。院長の監視をしつつ応援の到着を待っていれば、万事うまくいくのではないか。
湯浅のまわりにいる被害者達はどうだろう。白いワンピースの少女に身を寄せていて、かなり怯えているようだ。何かの拍子に階段から外へ逃げ出したりはしないだろうか。
仮に誰かが外へ出ても、包囲している警察に保護されるだけで実害はない。だがそれは、犯罪被害者を保護するという職務を放棄するのと同じに思えた。
「そんな事ができるか」
思わず、考えが口をついた。
被害児童を目の前にして、彼が負う責任を放棄したとしたら、将来きっと後悔するだろう。積極的に問題を解決することなく助けを待つことなど、誰も望んではいない。彼が憧れた職業は弱者を救う正義の味方であったはずだ。
黒田はついに決断した。
「湯浅さんの回復を試みます」
悩んだり悔んだりする前に、まず行動だ。彼は一歩、踏み出した。
「了解。出来る限りの支援をする」
肩越しに振り返ると、院長はまだ両手を床についたままであった。
「そこで待っているように」
黒田はそう言い残して、足を早めた。返事はない。
「走っちゃ駄目だよ、黒田。子供達がびっくりしちゃうからね」
佐伯はどうやら、落ち着きを取り戻しつつあるらしい。彼は大股で歩いたが、毛足の長い絨毯の上は革靴の底が滑って歩きづらかった。
被害児童達を回り込むようにして近づく。湯浅まであと数歩のところで、事態を混乱させる動きがあった。
「黒ちゃん、二海愛照奈が動いたよ」
予想どおり、院長はじっとしていなかった。四つん這いの姿勢のまま、大広間の奥、金属製の扉へと向かっている。
黒田は二海の動きを無視した。鍵穴には細工がしてある。おそらく時間は十分にあった。
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