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黒田は今、ある種の強さを目の当たりにしている。
わずか2、3分とはいえ、機能喪失に陥っていたことは致命的なミスに繋がりかねない出来事であった。だが湯浅は自らの失態に対して、一切の詫びや言い訳をしない。
佐伯の提案どおり、1発か2発、叩いておけばよかった。彼がどれほど心細い思いをしたか分かっているのだろうか。
「心配しましたよ。あの白い服の子に、何か問題でもあるんですか」
ひとこと文句を言いたい気持ちもあったが、止めておいた。
「あゝ」
そのとおり、という意味だ。湯浅はすでに、落ち着きを取り戻している。
意識を取り戻した今、上司はふたたび現場の指揮を執らなければならない。今、この場での謝罪や言い訳は時間の無駄であり、同時に彼の指導力を弱めてしまうだろう。トクホでは、「強い権限を持つ現場の責任者は、立ち居振る舞いや態度に気を配れ」と言われてきたが、模範的な実例を見せつけられているようだった。
上着の袖を引かれた気がして、黒田は振り向いた。あの白い服の少女がこわごわといった風情で手を伸ばし、指の先で布地をつまんでいる。
この年頃でおとなしいタイプの少女なら、見知らぬ成人男性――おじさん――に話しかける場合はこうするだろう、という仕草だ。彼は反射的に、「なんだい?」と答え、突如として違和感を覚えた。
湯浅が一時的な機能喪失に陥ったこと、佐伯が「ただの複製人間ではない」と言ったこと、彼女達は二海愛照奈が院長になった後に生み出されたと推測されることを思い出す。前院長である父親が亡くなったのは3年前だから、少女は「10歳から12歳くらい」という、見た目どおりの年齢であるはずがなかった。
彼女はまるで黒田の思考が落ち着くのを待つかのように、十分な間を置いてから左手の人差し指を扉に向けた。
「院長のおじさんが、何かしている」
指の先を追ってみれば、院長が右手を扉の電子錠に伸ばして、入力しているところだった。
「だいじょうぶ、扉は開かないよ」
黒田は安心させようと声をかけたのだが、少女の指は、さらに前に突き出された。彼の目はもう一度、延長線上を辿る。
電子錠はどうやら、扉の施錠・解錠に使われるだけではないらしい。二海院長は扉の横に拵えられた隠しを開いて、何かを取り出しているところだった。
院長の右手に収まったそれは、まるで拳銃のような形をしていた。
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