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黒田の背後で声がした。振り向かずとも、白い服の少女だと分かる。
「こっちよ、二海のおじさん。こっち」
両手を左右に広げて飛び跳ねながら彼の右側に出た。自らを的にするつもりだろうか。少女は両手を頭の上で振って、院長の注意を引きつけようとしている。
「黒田、その子を止めろ」
湯浅の鋭い声に突かれて、彼はやっと動き出した。トクホの訓練を受けてましになったとはいえ、瞬発的な思考や反射的な行動は昔から苦手なのだ。
黒田は少女に向けて一歩踏み出す。
同時に圧縮空気の吹き出すような、「パスッ」という乾いた音が聞こえる。院長の手元から、白い弾丸が発射された。情報どおり射出速度はそれほど速くないためか、弾道はわずかに山なりだった。
毛足の長い絨毯で靴の裏が滑る。彼はバランスを崩して前のめりの姿勢となった。少女がまるでウサギのように横へ飛び退く。捕まえようと伸ばした彼の右手が空を切った。
そこへ残像が白い尾を引くほどの速さで弾が迫る。はたき落とすつもりなどは無かったのだが、反射的に手が出てしまった。
「触るな」
湯浅の鋭い叫び声だ。直後に目の前を白い弾が通過する。黒田の指に弱い静電気のような衝撃が生じる。はたき損なった手の、中指の先を弾がかすめたのだ。危ないところだった。彼の反応はあまりにも鈍かったが、短針弾の直撃だけは避けられたのだ。
絨毯で滑って転びそうなところを、なんとか踏みとどまる。少女は無事なようで、3メートルくらい向こうでこちらを振り返っている。院長は床に膝をついていた。おそらく次弾の装填でもしているのだろう。湯浅は3人の少女を床に座らせようとしているところだった。
黒田はふいに息をのんだ。右手が重い。指先に、とくとくと脈動を感じる。彼は左手で、右手を持ち上げた。中指の先が赤黒いキャップをはめたようになっている。指先をかすめた時に、傷でもついたのだろうか。
次の瞬間、かつて経験した事のない激痛が右腕を駆け上がってきた。眼前で指先から何かが弾け飛んだ。声を出せないほどの痛みに、喉から「喘ぎ」とも言えない、ぜろぜろという呼吸音が漏れた。
飛び散ったのは、急激に膨張する肉に内側から押された中指の爪だったのだ。
すでにピンポン球ぐらいの肉の盛り上がりが、黒田の指先に生じていた。球体の内側で次から次へと新しい肉が作られているようだ。はち切れんばかりに皮が張り、内部で血液と肉が対流現象を起こしているのが、生まれたばかりの皮膚を透けて見えた。
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