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院長が使用したのは、弾頭が微小な棘や刃で覆われた特殊弾だったのだろう。つまみ上げたり皮膚をかすめたりしただけで、薬品が皮膚に浸透する仕組みだ。問題は針にどんな薬品が塗られていたかであった。
驚きと激痛で、黒田は呻いた。考えを言葉にできない。
「科学兵器だ。しかもこんな恐ろしい変化を起こす原因は一つしか考えられない」
佐伯の声が、はるか遠くから呼び掛けてくるかのように聞こえる。
「BCWだ」
BCWとは、生物・化学・兵器の略である。国際条約で製造・所持が禁止されている対人兵器のことだ。
「指の付け根を押さえるんだ。手首でもいい。止血しないと」
今や右手の中指は腫れ上がり、熟した桃のようで、触れただけで皮膚が破れて破裂しそうであった。自分の手とは思えないほど重い。黒田は右の手首をきつく握って、指先を下に向ける。
その間にも腫れは広がり、右手は肉の球と変化しつつあった。五本の指がみるみる太くなって、関節が見えなくなっていく。爪が割れ、弾け飛び、膨張する肉の圧力で指の骨が砕けた。あまりの激痛に脳が悲鳴をあげ、喉からは絶叫がほとばしった。
「気を失うなよ。黒田、がんばれ。湯浅さんが助けてくれるから」
彼の手を異形の肉塊に変えつつあるのは、クローン作製技術と培養技術、成長促進の技術を軍事に転用した生物化学兵器である。弾頭には健全な細胞を異常増殖させる薬品と成長促進剤を固めた物が使われていて、傷口から皮膚の細胞を侵食する。驚異的な速度で細胞分裂が行われる様子は、爆発的に増殖するがん細胞を植えつけられたと考えても、ほぼ間違いではない。
皮膚が裂かれ骨が割られていく激痛が続いた。肉塊は次第に直径を増していく。内側から肉が盛り上がって皮が裂けると、異常増殖する皮膚がそれを覆い、そしてまた裂ける。爪が割れ、骨が砕ければ、肉塊の中で新しい骨や爪が生えてくるのだが、それらもまた破壊される。
黒田は立っていられなくなって、膝をついた。苦痛とおぞましさと高熱で、頭がぼうっとして吐き気がする。
全身が血と肉の塊になるのは嫌だった。この苦しみが死ぬ瞬間まで続くのも耐え難い。痛さと辛さ、自分の右手に対する嫌悪感が思考の幅をどんどん狭くしていった。
彼自身の、このまま死ぬのだな、という声が胸の内で反復する。
「黒田、腕を出せ」
凛とした声が彼の頭から、苦痛と混乱のもやを払ってくれた。
「切り落とす」
いつの間にここへ来たのか。湯浅が目の前に憤怒の形相で立っていた。
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