門扉

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虫の知らせとでもいうのだろうか。黒田はなぜかジャケットの胸に手を入れ、端末が振動を開始する直前に取り出していた。 「湯浅さんっ、佐伯さんから」 上ずった声に指摘されるまでもなく、上司はリズミカルに振動する端末を、滑らかな動作で取り出していた。太い指が画面をなぞる。 ふたりの端末には、たった1行、メッセージが表示されていた。 「トクテンケン、使われたし」 佐伯は二海病院内で12名の保健所職員と共に、法に基づく臨時監査を行っている。クローン犯罪の捜査ではなく、病院の通常業務を点検している、という建前だ。 黒田のひとつ上の先輩は、まさに「天才」としか言い表せない人物で、その判断は確実だ。メッセージが送られてきたということは、監査中にトクテンケン執行に十分な証拠をつかんだのだろう。 音声等の個人認証が添えられていないことには驚いたが、証拠隠滅の恐れがあるか、被害者の保護に支障をきたす事態が発生しているのかも知れなかった。 21世紀もあと5年足らずで折り返しという現代、複製人間にも我々と等しい人権があることを知らない者はいないだろう。問題は、違法に生み出された複製人間は犯罪被害者である、という事実が世間にあまり知られていない、という点だ。 人を複製した場合、需要に合わせて肉体を成長させることが可能だ。培養器の中で過ごす間、肉体は2か月毎に10歳ほど成長するという。見た目が60歳のクローンでも、誕生からわずか1年しか経っていないことになる。 残念ながら今もって、人間の記憶を完全に取り出したり、脳に外部から情報をインプットしたりすることは出来ない。0歳児の状態で培養器から出して育てないかぎり、クローンの外見にかかわらず、経験や記憶、知能は生後1年の乳児未満だ。 クローンには生物学的な親がなく、法の定める保護者もいない。彼または彼女がこの世に生を受けたことを知るのは、製造者のみだ。死亡または行方不明になっても、照会すべき記録もない。たいていの被害者は、人としてこの世に存在した痕跡さえ残せない。 どのような場合でも、複製人間は独力では生きていけない。被害者の保護はクローンの基本的人権を守るために必要であり、社会秩序の維持のためにも重要な課題であった。
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