私は苦難の中でも満ち足りている。

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私は苦難の中でも満ち足りている。

   事の顛末を話そう。  僕の家出は相変わらず続いている。  但し、拠点は見ず知らずの他人の別荘ではなく、通っている学校の学生寮に移った。  二人部屋。小枝くんと同室に入れてもらうことになり、これからは二人で新しく人生を歩んでいく。  姉は結婚を控え、幼馴染の彼氏と共に暮らし始めた。  クラスメイトを巻き込んだ僕の自殺未遂が、火をつけたのかどうかわからないが、彼氏の方が頑張ってくれたようだ。 (つまるところ、僕が起こした癇癪はやはり全くの無意味だったことになる。若い頃っていろんな失敗をするよね。)  有り難いことに恋愛結婚が決まり、姉は祖父母や母との関係も持ち直した。  僕の方は、祖父母との関係は全く回復していない。相変わらず互いにひねくれている。  ただ、学生という身分は金回りに関して、結局親の手を借りないと生きていけないので、我慢我慢で表面上はニコニコしておく。  こうやって、効率的な世の渡り方を身につけるのだなぁ。嫌だなぁ。  で、その対応策として、イライライライラを抑える為に写経を始めた。  ノヴァリス・ゲートの力で一命を取り留めた小枝くんと僕を、夜の心霊スポットまで迎えに来てくれた救世主。  彼の名前は金剛槍 盾将くん。  お寺の息子さんらしい。  真夜中の心霊スポットに経典と数珠を手に乗り込んで来てくれる、小枝くん最大の切札であり大親友だそうだ。  菩薩と帝釈天みたいな?  いずれにしろ穢れた心を持ち、俗世をうろつく僕とは生まれた世界が違いそうな二人だ。  小枝くんは観音様のように優しいし。  盾将くんはめっちゃ強そうだし。  そして、その盾将くんに教わって、僕は写経で身を清め心を落ち着ける努力をしている。  方眼ノートにお経を写して来てくれたので、僕はそれをひたすら紙に書き写している。  お薦めされたのは懺悔文から始まり、観音経や般若心経という比較的ポピュラーなものだった。  そして残る問題は小枝くんの体調だけで、こればかりは良くない方へと流れた。 「小枝くん、今日は大丈夫だった?」  と問いかける。  夜八時をまわった寮の部屋。今日は盾将くんが遊びに来ていて、三人で食卓を囲んでいる。 「大丈夫、大丈夫。悪いな、江に心配かけちゃって。」  という能天気な返事をする小枝くんは、最近は授業中にパテ…と倒れてしまうことが増えた。  僕が飲ませてしまった毒のせいか、小枝くんは体の弱い男の子になってしまったのだ。 「大丈夫って、お前なぁ…。ちゃんと気にしたことないだろ、自分の体のこと。」  盾将くんに指摘されて、小枝くんは煮物をモゴモゴしながら、 「んー。」  という生返事。  ちなみに、小枝くんは早くに事故で両親を亡くして以降、盾将くんのお家によくお世話になっていたらしく、精進料理しか作れない。  なので食卓にお肉やお魚は出て来ません。寮や校内の学食は金がかかるので、僕と小枝くんは当番制の自炊で節約している。 「ごめんね、小枝くん。僕のせいで、体力とか体重とか落ちちゃって、運動とかも出来なくなって…。」  ついでに呼吸器系の異常で、冷たい空気を吸い込むのもあまり良くないそうです。なので、寒い時期や寒い場所に行くのも構えなければいけない。  面倒な体にしてしまった。  頭が上がらない。 「そんなに気にしてないんだけどなぁ〜。」  本人はこの程度の認識です。 「気にしろよ…。 まぁ、あさのんを責めているわけではないけど。」  盾将くんは僕を『あさのん』と呼ぶ。浅野だから?かな?  アダ名をつけて積極的に仲良くしようとしてくれている。  というのも、小枝くんが僕を助ける為に相談をしていたのは他ならぬ彼で、色々と事前に事情を把握してくれているからだ。  いつも、僕を気にかけてくれている。 でもクラスは一つ隣です。 「責めてください。説教してください。」  と僕は言う。  しつこく言う。  僕みたいな人間は早く死んでしまえと、思わずにいられない。それでも小枝くんに拾われた命なので、無駄には出来ないと今は考えられるようになった。 「この際だから、ついでに言っておくけどな。お前、これまで以上に霊に狙われやすい体になったみたいだから留意しておけよ。」 「霊に!?」  と思わず叫び返したのは僕の方だ。米粒が口から飛び出しそうになる。  小枝くんは黙々と漬物に箸をのばす。 「ノヴァリス・ゲートの神秘性は異常だ。仮にも一度死にかけた人間が、ケロッと生きかえるんだからな。そういう強い力に一度でも関わると、気配が残るんだよ。」  生と死の狭間を彷徨った小枝くんは、ノヴァリス・ゲートの力を借りて生きている。  そうでなければ、あの日、僕と一緒に飲んだ毒で死んでいたはずなんだ。  生と死の狭間で、生死の裁判にかけられた事を受け、小枝くんは最近ずっと十三佛真言を唱えている。 「悪霊や妖怪は、そういう強い力に惹かれて集まってくる。その力を欲し、取り込む為に襲いかかってくる事もあるんだ。夜道の一人歩きはするなよ。」  冷静に言っているようで、結構、めちゃくちゃな事を言っている盾将くん。箸の持ち方が綺麗だ。  で、それに対する小枝くんはあくまで冷静。 「要するに、盾がこれまで通り、俺を護ってくれるんだろ? 問題ないじゃん。」 「少しは問題視しなさい。」 「夏祭りの夜、川辺で水の中から手招きされた時も。中学の修学旅行の肝試しで、後ろから誰かに首を締められた時も。盾が護ってくれたじゃん。」 「そんなに色々あったの?」 「他にもあるよ。駅で線路内から足を引っ張られた時も。鏡の中の自分が動きについてきてくれない時も…。」  小枝くん、どれだけ危険な状況を引き寄せる人なんだ。  ツッコむ気もなく、黙って聴いていることにした僕に、 「千葉は元々、変なモノをよく『引き寄せる』体質だから…。」  と盾将くんが耳打ちしてきた。  ナンテコッタイ。  小枝くん…。  そういう星の生まれの人だったのか。当の本人はホウレンソウのおひたしを口に運びながら、 「これからは、江も俺を護ってくれるらしいし。周りに恵まれてるよな俺って。俺って超ラッキーガイかも!」  と大喜びしていた。このポジティブさが小枝くんの長所なんだろう。  幼馴染だという盾将くんが、まるで天に与えられた役目であるかのように小枝くんを護っているのは、きっと小枝くんの人柄あってこそだ。  害をなすものと同じくらい、小枝くんは自分の味方になる人も、引き寄せている。  そして、僕も。残っている全ての人生の時間を費やして、小枝くんに恩返しをするつもりだ。  一先ず、実生活を充実させ、小枝くんと楽しい学園ライフを再生させようと思う。  結局、僕は何も変わっていない。明るい奴になったわけでも、家族と仲が回復したわけでも、友達がたくさん出来たわけでもない。  ただ『死ななかった』というだけで、これまでの自分とは何も変わっていない。  それでも、僕は僕としてこれからも生きていく。自分が生きる予定の無かった、白紙の未来を。 「この先、どんなに大変なことがあったとしても、小枝くんは僕が護るよ。」  大好きな小枝くんの笑顔を、自分の手で作るために。  そして、いつかこの世界で、彼女に出会う為に。
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