兄と俺と教育実習生

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兄と俺と教育実習生

 「渉兄さん、いる?」  目が覚めてからも起き上がることはせず、茫然と天井を眺めていると静かな足音が聞こえ 扉をノックする音がするのと同時に、ひよりの少し高い声が聞こえた。  「あぁ、いるよ」  「よかった。あのね、夜ご飯の準備ができたから呼びに来たんだ!ほら、今日は歩兄さんの誕生日でしょ?すっごく豪勢だよ!」  心が浮き立っているのか、ひよりの声音は少し上擦っていた。  俺の誕生日には特に何もしない両親も、兄貴の誕生日はいつも盛大に祝うから大げさな両親の反応にきっと驚いているのだろう。  「いや、俺はいい。これから出掛けるから俺の分はいらない」  特に誰かと約束したわけではないが俺はそう理由をつけた。きっと電話すれば誰かしら連絡がつくだろう。  そして立ち上がり傍にあった上着を羽織ると、携帯と財布だけを持ち扉の方へと歩いていく。  「えー!せっかくの誕生日なのに...って、わっ!」  扉を開ければすぐそばにいたひよりは軽く驚いて、一度一歩後ろへ下がったが、俺の外向きの服装を見て瞬時に道を塞いできた。  その光景はなんとも愛らしく見えるが理由が兄貴のため、ということを考えるとあまりいい気持ちはしない。  「どけて、ひより」  「嫌よ、皆で楽しもう?歩兄さんの誕生日なんだから家族皆でじゃないと!ね?渉兄さんがいなきゃ意味がないよ」  「...」  俺の腕を掴み、上目遣いに見てくるひよりのことを直視することができず、俺は視線を下げる。  ―やはり、複雑だな...  ひよりの部分的な言葉だけを聞いていれば勘違いしてしまいそうだった。  「ねぇ、出掛けるのは食事を終えてからでもいいでしょ?渉兄さんだけいないなんて...寂しいこと言わないでよ」  「.....わかったよ、」  そして、ついにそれ以上拒むことができず、やむなく了承した。  しかしその数分後、俺は了承したことを後悔することになった。  ―気持ち悪い。  居間に入った瞬間、見た光景に俺は胸がムカムカとした。  きれいに並べられた多くの料理に温かな雰囲気。笑い声、楽しそうにほほ笑む顔。  そこにあったのは幸せそうな“家族”の姿だった。  「...っ、」  「おっと、大丈夫?」  一歩後ずさると、不意に肩を軽く押さえられた。  「...兄貴。」  「あ!歩兄さんお帰りなさい!!」  「あぁ、ただいま。それにしても、今日はすごいね。僕の誕生日なんてそんな豪勢にしなくてもいいのに」  そう言い兄貴は俺の手を引いて食卓へと向かう。だが、見た目に反して俺の手を掴む兄貴の手の力は強かった。  「ほら渉、席について。いつもの、僕の隣にさ。」  三日月のように細まる兄貴の目。ゾクリ、と胸が震えた。大人しく兄貴のいうことに従うのは嫌だったが、 ギリリと手首が痛み、嫌々ながら席についた。  そしてそんな俺を見て、漸く兄貴は手を離し自分も席に着く。  チラリ、とあたりを見れば俺の方を一度も見ようとしない両親の笑顔が視界に入った。  その2人の視線の先にいるのは当然のことながら、兄貴だった。  「久しぶりに一家全員が集まったね!それじゃあご飯の前に失礼して.....はいっ!歩兄さんにプレゼント!!」  そういうなりひよりは何処からか見覚えのある紙袋をだし、それを兄貴の目の前に差し出した。  「え、僕に?ありがとう、ひより。すごく嬉しいよ」  「どういたしまして!気に入ってくれると嬉しいんだけど...」  「ひよりからのプレゼントなんて、何をもらっても嬉しいよ」  ―戯言を...どうせすぐに捨てるくせに。  「俺、これから約束あるからやっぱ行くわ」  もう付き合ってらんねぇ。いつもは我慢できる兄へのひよりの笑顔もこの気持ちの悪い雰囲気も、堪えられない。ましてや兄貴の隣になんかにいたらもとより食欲も全て失せてしまう。  「...お前はたった一人の兄の誕生日も祝うことができない不義理な奴なんだな」  「なんでこんなにも歩と違う、正反対な子になったのかしら。」  「...っ、」  席を立った瞬間に言われた親父、そして母さんの一言で俺は身体中に怒りを走らせた。  ―何も知らないくせに...!自分だって利益の有無ばかりを考えて、俺を捨て、兄貴ばかりに目を掛けているくせに...っ、  キッと親父を見て、そして母さんを睨む。  「父さん、母さんそんな言い方しなくてもいいだろ。渉は僕の大切な存在なんだ。そんな渉を傷つけるなんていくら2人でも許さないよ...」  すると急に兄貴は笑みを消し、冷めた表情を作ると、俺とは違った形で2人を見据えた。  しかしそんな兄貴も放って俺は足早に居間を後にする。  後ろで兄貴の俺を引きとめる声が聞こえたが、そんなのは気にしない。  ―そもそも、もとはといえば兄貴がいたからこんな比べられる生活を味合わされているんだ。    「渉!!逃げないで。ちゃんと僕と話をしよう」  「話だって?...あんたと話すことなんて何もねぇよ」  居間を出て、玄関で靴を履こうとしていた俺は不意を突かれ兄貴に捕まり、そのまま兄貴の部屋へと連れて行かれた。  鍵を閉め、扉の前に立つ兄貴はガンとして俺を部屋から出そうとはしなかった。  「でも僕はあるんだよ、たくさんね。それに僕もあの誕生日会には嫌気がさしていたんだ。ふふっ、渉と一緒だね。あ、もしかして渉も僕と2人きりになりたかったのに、それができなかったから苛々してたの?」  「....、」  あーぁ、また始まった。兄貴の頭の湧いた妄想が。 俺が何を言っても聞こうとしない。自分の都合のいいことしか考えない。  「そう言えばさ、僕へのプレゼントは?ねぇ、用意してくれたんでしょう?」  ニコリと笑み、手を差し出す目の前の男。あるはずもない俺からのプレゼントを強請るのか。本当、自意識過剰。  「はっ、何言ってんの。あんたみたいな奴にあげるもんなんて何もねぇよ」  「あ、分かった。もしかしてどこかに隠してるの?直接渡すのが恥ずかしいから...―」  「いい加減にしろよ!!」  「...渉?」  ダンっ、と近くの壁を殴り兄貴を睨む。もう、こいつは普通じゃないんだ。おかしいんだ。 こいつのせいで周りもおかしくなっていくんだ。  「俺はあんたが嫌いだ。あんたの全てが嫌いだ...イラつくんだよ。兄貴がいるせいで俺はまともな生活さえできない。あんたのせいで全てが狂ってくんだ!!あんたなんかいなくなれば良いのに!そしたら...そしたら俺は...ひっ、」  「じゃあ、具体的にどうしたら僕のことを見てくれる?僕だけを愛して、僕のことだけを考えてくれるんだ?」  急に目の前に現れた兄貴は俺の両肩をギュッとつかみ、瞳を覗きこんでくる。  人形のように表情の読めない顔。いつもなら妄想を吐きだすだけなのに...  「それじゃあ...んで..よ。」  「渉、聞こえない。もう一回言って、」  「...っ、死んでくれって...言ってんだよ!!死んでくれたらいくらでもあんたのこと好きになってやる!あんたの想う通りの俺になってやるよ!」  そう言い切ると俺は強く兄貴を押し、扉の鍵を開けるとそのまま勢いよく玄関へと走っていった。
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