兄と俺と教育実習生

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「死んだ。あいつは死んだ。」  そう口にした瞬間、肌がゾワリ、と鳥肌だった。そして俺の顔には笑みが浮かぶ。  ―計画していた通りにはいかなかったが、結果的には上手くいった。それはもう予想以上に。  渉の兄、歩は俺の中で最も憎い人間だった。  聡明で、眉目秀麗だった歩は大学内でもとても有名で人気があった。  しかし俺はそんな歩のことが大嫌いだった。  どれだけ勉強しようとも届くことのないあいつとの差。何をやってもあいつの下。  小中高と人の上に立ってきて周りからもいつも眺望の眼差しを向けられてきていたのに、それなのにその栄光も大学に入って歩と出会ってからすべて奪われた。  高校、大学と俺に媚びへつらってきたやつらも今では俺から離れ、歩の元に纏わりついている。  バカみたいに歩に媚びて尊敬の眼差しを向けるんだ。  そして最後には付き合っていた彼女も俺から離れ、見込みもクソもない歩に必死にアプローチし始めた。  頂点に立てなくなった瞬間に、こうだ。 俺の栄光、俺の唯一の糧を奪われた。 理不尽、そう言われるのかもしれないがそれでも俺は心を踏みにじられるような思いにさらされ、歩を憎むようになった。  それなのに歩は周りが望む全てを手に入れ、幸せだけを満喫していた。  そして俺は歩に対して負の感情を持つようになった。  そんなある日、俺は誤って教室の窓から筆箱を落としてしまい、それを拾うために学校の裏庭にきていた。  その時、だ。俺はあいつの本性を知った。  歩はわざわざ人の来ない裏庭で電話をしていた。  『渉、今どこにいるの?もう32回も電話したのに繋がらなかったからすごく心配したよ。  ほら、渉今日学校休みなんだろう?だからもし誰かといたら僕嫉妬しちゃうからさ。それを確認したくて...ねぇ、今...男の声が、聞こえたよ。誰、誰なの。 2人っきりなのか?何してるの、なぁ渉、渉答えてよ。  昨日はあんなに激しくしたのに、まだ足りなかった?...あぁ、そう。じゃあ今日はもっと可愛がってあげるよ。だからそんなに声を荒げないで。興奮してるのは僕も一緒だからさ』  正直、鳥肌が立った。名前からして相手は男だ。何でも出来て、周りから完璧だと思われていた歩はただのホモ野郎だったんだ。  それから周りの奴らから話を聞いてその“渉”とは歩の弟だということを知った。  そして運良くこれから俺が教育実習生として、その渉がいる高校に行くのだ、ということも。  これは運命だと思った。  全てのことに平等で何かに夢中になることのない、あいつの弟を俺が奪ったらあいつは一体どうなるだろうか。  ―きっと、俺と同じ思いをする。あいつを負かしてやることができる。  俺はこの幸運を手放すはずもなくすぐに計画を実行し、シナリオはどうであれ結果は成功。 ー ーー ーーー  だけど俺は一つ誤りを犯してしまっていた。  俺は考えていなかったんだ。  あの歩が狂うほどに愛した弟に俺が近づいて、これから俺がどうなるか、なんて。  ただただこの時は一つの死に対して悦に浸るばかりで、渉に対して生まれ始めた俺の狂気じみた感情には全く気がつかなかった。  「...ん、電話...か、」  すぐ耳元で鳴り響く電話の着信音で目が覚め、俺は大きく欠伸をした。  しかし画面を見て“渉”という文字を見るやいなや俺は一気に意識を覚醒させた。  「もしもし、渉君?急にどうし――、」  『土屋っ、今すぐ俺の家に来てくれ...っ、お願い、お願いだから...っ』  「渉君大丈夫?一回落ち着こう。何かあったの?」  『いいから早く来てくれよ!後で全部ワケを話すから...っ』  「う、うん。分かった、すぐに行く。着いたらワケもちゃんと教えてね?」  『分かったから早く来て...っ、家の鍵開けてるから勝手に入ってきてよ。家、着きそうになったらメールして。』  「分かった。それじゃあ、」  電話に出て1分もしないうちに切られた会話。  いつになく渉はひどく慌てている。...いや、怯えているような様子だった。    ―あの渉が...珍しい。  先程の電話このことを考えながらベットから降りるとグッ、と体を伸ばす。  「早く来て、か。っていっても俺、今起きたばっかなんだけどなぁ」  ―あぁ、なんというか面倒くさい。  ここまできておいて何だが、元々俺は好きだ、なんて感情も偽りのまま渉に近づいたのだ。  だから俺自身が渉に信頼されようが、どうされようが俺にはもう関係のないことだから、と割り切ってしまいたくなる。  「歩もいないし渉も、もう用済みなんだよなぁ。」  ―まぁ、教育実習生として高校にいる間、暇つぶしとして弄ぶか。終わったら捨ててしまえばいいだけのことだし。  そしてもう一度大きな欠伸をすると、俺は渉の家へ行くべく、ゆっくりと家を出る支度をし始めた。  「お邪魔します。渉君、いる?」  一応チャイムを鳴らし、家の中へと入る。数分前にメールは送ったが返信はまだきていない。  家の中も薄暗く、物音一つしなかった。  「渉君?どこにいるの?」  大きい声を出し、呼ぶがやはり渉は現れない。  渉の電話中の様子がおかしかったこともあってか、俺の中で妙な不安が生まれる。  「渉君、上がらせてもらうよ」  とりあえず渉の姿を軽く探そうと思い、靴を脱いだ...――その時、  「 あ゛あ゛ああぁぁぁっ!!」  「...っ!?」  突如つんざくような渉の叫び声が家中に響き、俺は慌てて声のした方へと走っていく。  声のした先は脱衣所で、奥の浴室の方から小さな物音がした。  すぐに俺は電気をつけ、浴室のドアを開けるとそこには全裸で頭を押さえて蹲る渉の姿があった。  「どうしたの!?渉君、」  「ひっ...ぁ...つち、や...土屋っ、」  「うわっと、大丈夫?叫び声が聞こえてきたから...すごくビックリしたよ」  しゃがみ込みポン、と軽く肩をたたけば、渉はひどく怯えた様子で勢いよく顔を上げたが、そこにいるのが俺だとわかると一息つく間もなく飛び付いてきた。  浴室は先程までお湯を使っていたのか温かかったが、俺に抱きつく渉の体は不自然に冷めきっていてガタガタと震えていた。  「土、屋...土屋、」  いつになくか細い声で俺の名前を呼ぶ渉。  一目で何かがあったのだろうということは分かった。しかし....  それにしても本当、こいつきれいな体してるんだよな。程よく筋肉もついていて、肌なんて吸いつくように滑らかだ。  そして僅かに残っているキスマークの痕がまた一層色香をはなっていた。  「大丈夫、大丈夫だよ。俺がついてるから」  俺の意識の向かう先は渉への心配などではなく...一度抱いた、この体だった。  肩に顔を埋め、震える存在。俺は荒くなりそうな息を押さえ、舌で自分の乾いた唇を舐めた。  ―ははっ、俺はこんな状況でも...しかも男に、本気で欲情なんてするんだな。  今まで相手にするのは女ばかりで男なんて渉が初めてだった。  だからきっと俺はあいつ、歩と同じホモ野郎なんかじゃない。でも、今の自分の状況はどう説明するのが正しいのか。  熱くなりかける下半身の疼き。  ―まぁ、今はとりあえず深いことは考えないで...やりたいことだけやればいいか。  俺の顔にはニヒルな笑みが浮かんだ。
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