火種

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火種

  裏野の街の旧商店街。  そこは、閉鎖したシャッターが軒を連ねる寂れた通り。  人通りの絶えた片田舎のその道を、一人の女学生が歩いていた。黒い髪を二つに結って、セーラー服に見を包んでいる。 「昇様、覚えておいてくださいね…! この裏野の悪霊を!」   ★☆★  裏野ドリームランドの調査から一夜開けて、朝陽探偵事務所は湿った空気に包まれていた。  片付けの終わっていないダンボールが、なし崩しに部屋の隅に寄せ集められている。  その中で、朝陽探偵はデスク周りを、ノエルが壁際の資料棚を整理していた。 「はあ…。」  本日七回目の溜息。  朝陽はずっと、手が止まっている。 「手につきませんか。」  とノエルが尋ねれば、ようやく我にかえって顔を上げる。今朝から朝陽は黒のシャツに黒の背広。上から下まで真っ黒だ。  喪に服している。  そこから朝陽が、昨夜救えなかった夜中迷のことを気にかけているのは、明らかだった。 「今度、お花を持って行きましょう。それで、どうですか?」  と気を使う。  ノエルは中学二年生。だが、見かけによらず達観した部分がある。  しおれたアサガオなような朝陽を励ますのは、いつだってノエルの役割だ。  イエロー基調のボーダーシャツに丸メガネ。ノエルは朝陽よりも身長は低いが、テチテチと歩いて朝陽に近寄ると、デスクに乗りあげ頭を撫でた。 「貴方が苦しそうだと、僕も悲しい。」 「うん……。」  と朝陽は気の弱い返事をする。  それからようやく持ち直して、ガムテープで閉じたダンボールを、適当に邪魔にならない位置へ移動させた。 「ほいせ…」  というやる気のない掛け声でダンボールを置いた場所が、偶然にも扉の前だったので、 「うぅ…。」  と扉の向こうで声がする。  その声に気がついて朝陽が顔をあげると、同時に扉が強く叩かれた。  ドンドンドン!  と音がして、聞き覚えのある、あの声が降ってくる。 「すみませぇーん!朝陽探偵に依頼があって来ましたー!」  大声だ。  その澄んだ声に、ハッと朝陽は息を飲んだ。ふいにノエルも、動きを止めて扉を見つめる。 「この声は…、」  知った声だ。その上で、既視感がある。  あわてて扉に取りつき引いてあけると、そこには望む女性の姿があった。  学生服にツインテール。  丸い大きな瞳に、学生鞄を肩にかけた立ち姿。唐突に開いた扉に驚いたのか、丸い目を見開いている。  夜中迷だ。疑いようがない。 「お前…」  扉を開いた状態で、朝陽は立ちつくした。その朝陽を見上げて、現われた少女は目を輝かせる。短いスカートが、パタッと揺れた。 「貴方が朝陽昇様の息子、朝陽輝様ですね!」 「え、あぁ…。」  何故、再確認?  と思っているうちに、迷は立ち塞がる朝陽の脇をスルッとすり抜けた。  触れ合う感触すらしない。まるで風のようだ。出会った時からそうだったのかも知れないが、彼女の正体を知った今では、そんな些細なことにも切ない気持ちにさせられる。 「はあああ。本物の探偵さんに会えるなんてもう、よまちぃ感激です!」  勝手に事務所に入ってきたと思えば、室内をグルッと観察する。  まるで初めて入った場所だとでも言いたげだ。  それから、デスクに乗り上げたノエルを指さし、 「くああ!」  とここ一番の声をあげた。  そしてブリッジしそうな勢いで、体を後ろに反らせ、両手で顔を覆う。  なんだ、そのトンデモオーバーなリアクション。 「なに、僕?」  驚いて、ノエルはひとまずデスクを降りる。唐突に奇声を発せられると吃驚だ。 「探偵事務所には、やっぱり探偵の相棒! これこそ探偵モノの正規ルートですふおぉぉぉ!」  言葉の最後に謎の奇声。 「おい、お前……。」  朝陽が声をかけようとした矢先、少女は唐突に体を真っ直ぐにして、グリンッと朝陽に向き直った。  そして勝手に手を握る。 「素晴らしき王道フェアリーテイル! ここが二人の愛の巣でしたか! よまちぃったら、そんな大切な場所に土足で踏み込むなんて御免なさい!」  一人で喜んで、一人で盛り上がって、何かに対して謝罪する。  相変わらず、謎の忙しさを持つ女の子だ。だが、今のセリフで確認はとれた。  やはり彼女は、「よまちぃ」だ。  昨夜、裏野ドリームランドを共に調査した依頼人。  そして、過去にその裏野ドリームランドのアトラクションの事故により、命を落としてしまった少女。  朝陽を頼り、依頼をしてきた、あの、よまちぃだ。 「二人の愛を育むはずの時間をお借りして申し訳ないのですが、今日は輝様に依頼があって来ました。」  と言って、部屋の中央のテーブルの傍へと移動する。 「どうか、『裏野ドリームランド』に纏わる噂を、調査して欲しいのです!」 「は?」  と思わず聞き返してしまう。  全く同じことを、昨日も頼まれたはずだ。そして何より、まるで他人行儀な言動に、明らかな違和感がある。 「何言ってるんだよ、昨日…」 「申し遅れました、私の名前は夜中迷と申します。縮めて『よまちぃ』とお呼びください!」  知ってる。  と言いかけて止めたので、戸口に立ち尽くしたまま、朝陽の口は半開きのままで固まった。 「裏野ドリームランドには、絶対に、何かいます! それを調査して欲しいのです。」  そして、テキパキと学生鞄から、薄汚れた携帯電話を取り出す。  スマホだ。パステルカラーのピンク。  目の前にいる人物、目の前で起きている光景に放心状態の朝陽に代わり、ノエルが興味津々で、その携帯を観察している。 「裏野ドリームランドに残されていた携帯電話…。それがずっと録画していたのです。一人の女性が裏野ドリームランドを徘徊し、そして何者かに襲われて、観覧車の中に連れ込まれるまでを……。」  言って少女はテーブルを離れた。それから、ビシッとテーブルの上の携帯電話を指差す。  子供っぽい仕草だ。 「どうぞ、ご覧になってください。そして、そのビデオを見て、裏野ドリームランドを調査する気になったら、今夜、裏野ドリームランドの駐車場跡まで来ていただけないでしょうか!」  事務所内が沈黙する。  朝陽が、返答をし損ねたからだ。  一拍開けてノエルが、あわてて承諾する旨を口にする。その間、朝陽の視線は、他ならぬその少女に向けられていた。  なんだよ、よまちぃ。  何事も無かったみたいな顔でまたここに来るなら、早く言って欲しい。  昨夜から今朝にかけて。朝陽の心の中に、どれだけその存在があったか。 「よろしくお願い致します。朝陽輝様っ。」  パチン、と可愛らしくウインク。その仕草には、覚えがある。  このやり取りは、昨日もやった。 「……よまちぃは、輝様を信じています。」  これが一体どういうことなのか、ノエルに聞かなければわからない。  それでも、救えなかったと思った少女が、思いのほか元気そうだったのが、何より嬉しい。  繰り返される依頼。  それならば、探偵のすべきことはひとつだ。 「…あぁ。その依頼、受けて立つよ。」  依頼人が納得するまで、何度でもその依頼を受けて調査する。それが探偵の仕事だ。  たとえこの先、何度同じことを繰り返しても。  彼女が何度も死を繰り返しても。  その光景を何度見ることになっても。  全ては一人の少女の魂を救うために。  やるんだ。やり遂げるんだ。  それしかないんだ。  その気にさせる言葉をかけたのは、その気にさせる優しさを向けたのは、自分なのだから。  夜中迷と名乗った少女は、軽い会釈をして、探偵事務所を出て行った。  依頼を受けて朝陽は、部屋の中央に置かれたソファへ、ぼふーんと体を投げ出す。  しばらく、動かなかった。  テーブルの上には、薄汚れた携帯電話。そこには裏野ドリームランドで実際に起こった怪奇現象の映像が、残されているはずだ。  その映像を見て、今夜もあの場所で待ち合わせをする。 「……長い夏に、なりそうだな。」  静かになった事務所内。灰色の天井が、朝陽を見下ろしている。  空は窓の外だ。遠い。幽霊を見たような気分で、しかし不思議と冷静だった。  それが幽霊であることを、すでに知っていたからである。 「当分、海はお預けですね。」  諦めたようにノエルが口にした。  その言葉がはじまりのゴングのように、朝陽の頭に鳴り響いた。  さぁ、それじゃあ夏の本番だ。    ★☆★  携帯電話で動画を撮影した人物は、どうやら、よく知った人物だった。  ワインレッドのベアトップ。その下はタイトジーンズだ。魚の骨を象ったイヤリングが、耳元でキラキラしている。  羽柴雛子。  裏野ドリームランドを調査する朝陽と迷にくっついてきた女性だ。昨日の今日で、よく覚えている。  自分の姿を撮したのは、どうやら背後を確認する為だったらしい。しきりに周囲を気にしている。  それから画面は園内の様子に切り換わり、遊園地の中を彷徨い始めた。  チラチラと視界に入っては消える、謎の人影を追いながら。  それから携帯電話の荒い映像は、観覧車の乗り場にたどり着くまでを撮し続けた。  深夜の遊園地で廻り続ける観覧車。その中から聴こえてくる、微かな声に引き寄せられるように、雛子は観覧車へと近づいていく。 「出して………」  か細く響いた声を最後に、観覧車の中へと強く引きこまれ、画面はノイズと共に暗転した。
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