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出火
裏野ドリームランドに向けて、車は進んでいた。
車の後部にはロードバイクを積んである。道に迷って難儀しておった、という昔話のようなフラグをたてたあげく、通りすがりをヒッチハイク。
そして親切な運転手に自転車まで積んでもらい、その御礼に人探しを手伝うハメになった。
のが、数十分前の出来事で。
「それにしても、ビックリするじゃないですか…」
車のヘッドライトが照らしだす先に「P」の看板。裏野ドリームランドの駐車場が見えてきた。
山の上まで上がってきて、さすがにここまで来ると下界とは全てが違ってくる。闇の深さも、囲む木々の姿も、不可解な影の数も、すべてが違う。
ワゴンの車はこの山の中で、星を除く唯一の光源といっていいだろう。丁寧に指示機を出して、車は裏野ドリームランドの駐車場に入っていった。
タイヤが路面で削れる音が、悲鳴のように響く。
(ここが……)
ついに、『裏野ドリームランド』の敷地だ。
先に聞いた話によれば、アトラクションの一つであるミラーハウスには、妙な噂があるらしい。一度入って出てくると、まるで中身だけ入れ替えたかのように、人が変わってしまうのだとか。
裏野ドリームランドには、そんな噂話がいくつもあるのだと、運転手は語った。
「ゴメンゴメン、そう、ただの噂だよ。」
ここに来るまでに聞かされた話。
親切に車に乗せてくれている運転手は、過去にこの裏野ドリームランドを訪れたことがあり、噂のミラーハウスに入った友人に襲いかかられ、殺された。
と、そんな悪い冗談を言ったのだ。
信じかけて心臓が凍ったが、彼はそれをほんの冗談だと口にした。まったく、時間帯を考えて欲しい。
「冗談にしては、ひどいじゃないですか。」
「怖がらせようと思ってさ。」
やはりか。怖がらそうとしたことを隠す気もない。
道幅は一気に開けて、だだっ広い空間に出た。白線が引かれ整備された空間は、ぽっかりと開いて何もない。
虚ろな空間に一定の間隔を開けて電灯が立っており、その電灯は車が駐車場の敷地に入ると同時に、点灯した。
なんなの?
動体感知なの?
「この裏野ドリームランドは、すでに閉園になった遊園地なんだよ。」
ハンドルを握る運転手が、そう説明した。それなら駐車場が貸し切りなのも納得だ。
だが、電気が通っていることに納得はいかない。
「閉園した遊園地…ですか。」
車は滑るように駐車場の真ん中あたりまで入ってきて、白線に構わず、およそ中央あたりの位置に停車した。
周囲は黒い木々に囲まれている。遊園地の建つ方向に向かって、煉瓦の大きな階段。その上に花壇のようなものがある。
早くもアトラクションのシルエットのような物が見えるが、夜闇に紛れるように真っ黒だ。
「ここで、人を探すんですよね……?」
念の為聞いた。
親切に迷子になっていたところを拾ってくれた人なので、疑ってかからなくとも悪い人ではないと思うが。
それにしても。
閉園した遊園地で人探し?
こんな時間に?
たった一人で?
「あの…。その探している友人さんは、なんでこんなところにいるんですか…?」
狭い車内。
密着するほど近くにいるのに、相手の表情が読み取れないほどの暗さだ。速度メーターや計測機器のバックライト程度では、なんの足しにもならない。
顔の見えない運転手は、黙々とサイドブレーキを引いている。
「廃墟が好きだとかでね、たまにこういうところにフラッと出掛けて行っては、帰って来なくなるんだよ。だからこうして、テキトーに時間が経ってから、探しにくるんだ。」
「あぁ…。」
納得。
できるはずがない。
初めからこんな山奥にくるつもりだったのなら、徒歩や自転車はまずないだろう。だが、この駐車場は貸し切り状態。
ここには、他には一台も車がない。
嫌な予感がした。
ただでさえ深夜のこんな時間に、初対面の知らない人と一緒にいるだけでも不安だというのに。こんな山奥の廃墟となった遊園地にやってきて、しかも聞かされる情報はどれも、疑いたくなるような話しばかり…。
まるで、うまく言いくるめられて、ここまで連れて来られたかのようだ。偶然道に迷ったせいで、運悪く生贄にされてしまったかのような。
この廃墟遊園地に纏わる怪談に食べられてしまいそうな、そんな気がした。
「じゃあ、車をおりて友人を探そうか。グローブボックスに懐中電灯が入っているんだ。とってくれるかな。」
運転手に言われて、懐中電灯を探し出す。この深い闇に対して、懐中電灯はたった一本だ。
嫌な予感がした。足下に何もない場所に立ったような落ち着かない浮遊感。心臓が、変な角度に傾いている。
丸皿のような光が一つ、足下を照らしている。
それと間隔を開けて立つ電灯。駐車場はガランとして広く、よく見ると足下のアスファルトは所々ひび割れていた。
懐中電灯一本では動き辛いので、こちらはロードバイクを引っ張りだして、夜間走行用のライトで道を照らすことにする。
コストをかけただけあって、こちらのフロントライトの方が優秀だ。だいぶ視界が安定する。
取り外して使おうかと一瞬考えたが、念の為自転車ごと運んだ。こんな広そうな敷地を探し回るなら、速い足がある方がよさそうだ。
裏野ドリームランド。
閉園した、と話は聞いたが、それがどれほど前の話なのかはわからない。いずれにしろこの場所は本来、すでに呼吸をしていない場所ということだ。
南はたった今、車で走ってきた山道。東西を山に囲まれ、北に階段だ。運転手はこの暗闇の中、懐中電灯の明かり一つで迷いなく進んでいく。
黙って後ろから続きながらも、不安になって駆け寄った。
「はぐれないで。」
と言ってくれるので、横に押して歩いているロードのハンドルを握りしめ、カクカク頷いた。
階段を上がった先には広場がある。どうやら裏野ドリームランドの玄関口を飾る庭のような役割らしく、花壇に土が入っていた。
ロードをどうにか担いで上がる。
まだこの遊園地に人が溢れかえっていた頃は、お客様を出迎える玄関口として、可憐な花を咲かせていたのだろう。
それが今となっては黒い土だけだ。枯れ草のようなものが、かつての花の残骸として残り、花壇から這い出している。
不自然にハサミが花壇の端に突き刺してあった。
「ご友人は、どこまでいったんでしょうか。」
先を行く背中に問いかける。
返事はない。
「こんな時間ですし、なんか、気味悪いですね…。」
これにも返事はなかった。
えっ。無視?
花壇は四角い広場の四方を囲み、中央には噴水。今はもう水は吹き上げていないが、雨水などが溜まっている。
水面は枯れ葉や枯れ枝が埋め尽くし、水底は見えない。
死体でも沈んでいそうだ。
空は黒く、星はない。かなり遠くに月があるようだが、とても見守っているとは言い難い距離だった。
駐車場と同じように、こちらも動体感知で電灯がつく。振り返ると、駐車場は暗闇だった。
嫌な夜だ。
真夏の空気がネットリと暑い。
「この庭の先に入場ゲートだ。」
「おぉ。喋った…。」
さっきまでの無視はなんだったのか。運転手がようやく喋り、先を示す。
足下は煉瓦敷き風に作られていた。中央に陣取る噴水を横に避けて進むと、確かにその上にゲートが見える。
そこへ上がるのはまた階段だ。幅広の階段。ゆっくりと、白い影が二本の足で降りてくる。
「入場ゲート…って、閉園しているんですよね?」
「そうだよ。」
「ご友人は、ホントに、中に入ったんでしょうか。」
素人の考えでいえば、廃墟といえど無断で入れば不法侵入になるような気がする。
しかし運転手は足を止めない。
「おそらくね。」
と、答えて先へ進んでいく。
タイヤが回転する物悲しい音が響く中、二人分の靴音がそれをなぞっていく。階段で上へあがると入場口。
さすがにそこで足を止めた。
とても。
人が踏み入るべき場所じゃない。左右に広いゲートは、鉄柱が錆び、穴の空いた屋根に覆われている。運転手がライトで上を照らすと、看板が付いていたような跡が見えた。
そのゲートの向こうは闇。ここからは世界が違うと言い聞かされているかのように、その闇の中ではたくさんの気配が動いている。
おいでおいでと、手招きしている。
一言で言えば、何か『でそう』だ。
「うわっ…。きっつ……。」
ゲートをくぐるとアスファルト地面。右手にこぢんまりと建物があり、左手にはイメージキャラクターらしきものが突っ立ったままになっていた。
ウサギに見えるが。
蝶ネクタイをしている。雨風に晒され、顔にはいくつも塗装の剥がれた跡が残っていた。
暗闇で立ちすくむその異様さは、言葉にできない。来ない客へ向けた乾いた笑い。
さらにその後ろには時計が、こちらも立ったまま。気にして見上げていると、運転手がライトで照らしてくれる。
秒針ないので止まっているのかわからないが、時間は少なくともあっていないようだ。
五時二十五分。
べつに四とか九とか、呪われそうな数字で止まっているわけではないのがリアルだ。
ちなみに右手の建物の中には、テーブルと椅子が積まれているのが、ガラス扉越しに見えた。
本当にこんな所に、こんな時間に、人を探しにきて見つかるものなのか。
(親切にしてもらった時は、何か力になれればと思ったけど…)
とてもそんな話じゃなさそうだ。
万が一にも逸れて置いてけぼりにされたら、などと余計な心配ばかりしてしまう。先を行く運転手から離れないようにと、そればかりに必死だ。
「この裏野ドリームランドには、いくつもの噂が残っている…。その一つが先に話した、ミラーハウスの噂なんだよ。」
「止めませんか? そういう話。」
また怖がらせようとしてくるので、言葉を返しながらも周囲を見回した。人影らしきものはない。
「さらにこの裏野ドリームランドの『アクアツアー』では、謎の生き物の影が見えるらしいんだ。」
「止めませんか?」
「営業していた頃からあった噂だが、今でも見えると言われてる。」
「止めませんか?」
「友人はその噂を確かめたがっていたんだ。だから、そのアトラクション付近を探してみようかと思ってさ。」
あぁ、そういうことか。
アクアツアー。
と言われて周囲をキョロキョロしてみる。近くに立て看板があり、こちらも赤錆だらけだった。
色落ちした見取り図が掲示されていて、ライトで照らすと、かろうじて文字が読める。
『裏野ドリームランドへようこそ!』
と赤字で目立つよう書かれており、その下にフロアの見取り図。
南から駐車場、噴水庭園、入場ゲートと上がってきて、ここからいきなり左右に開けて広くなるようだ。
有り難いことにアクアツアーは直進して目の前、パークのど真ん中にあった。
さらに南東にミラーハウス、北東にジェットコースター。南西にメリーゴーランド、北西に観覧車ときて、ドリームランドの一番奥、北側にドリームキャッスルが構えている。
ずいぶん広い敷地だ。こんな深夜に徘徊したら迷子になってもおかしくない。
「謎の生き物の影…が見えるアトラクションか…。」
普通、遊園地のアトラクションの中にワニやピラニアは仕込まないだろう。
とすると、その影の正体とはなんなのかね?
「何かが迷い込んだ…、とかでしょうか?」
「どうだろうね。さぁ、行こうか。」
またハッキリした返答がなく、促されるまま歩きはじめる。
気温が高いのに汗が冷えてきて、踏み出す一歩も重くなってきた。
何かがおかしい。
それに気がついていながら、もうどうにも引き返せなくなっている。
二車線道路ほどの幅広い道を歩く。
周囲にはやはり、遊具の残骸のようなものが多数残っていた。それ以外にも、事務室や倉庫、ゲームコーナーだったと思われる、古びた建物が残っている。
何かアトラクションがあったのだろうが、白い土台とそれを囲む柵だけ残されているものもあった。
もはや原型すら留めていない。
(なんか、不気味…)
先を歩く運転手の快調な歩みが信じられないほど、廃墟と化した夜の遊園地は進み辛い。
何より恐怖が足を引っ張る。今にも何か、動き出しそうだ。
早く帰りたいという焦燥感と、初めての土地で帰路も他人任せという心もとなさから来る不安感。
それらが、手を取りあってやってくる。
「大丈夫かい?」
と問いかけられて、曖昧な返事。
「はい…その、一応。」
と返して、また周囲に視線を配る。
今のところ、人影らしきものは何も見つかっていない。
園内は静かで、時折虫の鳴声が聴こえてくる。ライトを悪戯に左右に振ってみても、何も動くものは飛び込んでこなかった。
(眠い……)
失敬、夜中なので。いい加減で眠くなってくる。
と、そこへ丁度よく『アクアツアー』のアトラクションが見えてきた。
「ん、山……?」
「あれも、アトラクションの一部だよ。」
と穏やかに返されて、目に見えているものがやはり岩山だと自覚した。
山の中に山?
と疑いたくなるほどよくできた、岩山が見えてくる。
園内に唐突に現れたそれは、造り物の岩山で、その麓には密林があり、それらは全てアトラクションの一部のようだった。
巨大なプールだ。
いや、プールじゃないのか。アクアツアーと言うからには、船に乗って渡るのかもしれないが。
湖ほどの広さに水の溜まった空間があり、その周りを白い鉄柵で囲んであった。
山や密林はコースの一部で、ウォータースライダーになっている部分もある。
「これでしょうか、アクアツアー。」
水がテーマのアトラクションですね。
営業している頃ならば、たくさんの人々の歓声に包まれ、賑わっていたのだろう。
「巨大なウォータースライダーが用意されていて、噴火直前の火山や、恐竜の棲む密林などのスリリングなコースを、ボートで一周してくるアトラクションだよ。」
と説明してくれるということは、運転手はこのアトラクションに乗ったことがあるということなのか。
「乗ったことあるんですか?」
と問いかけると、
「一度だけ、友人と。思い返せば友人もあの時、水中に何かいるような気がすると言っていたかな。」
と返ってきた。
その、いちいち怖がらせようとするのを止めてくれないか。
運転手のその言葉はひとまず聴こえなかったという体で、無視することにした。
アクアツアーのアトラクションを囲む柵を左手に見ながら、ひとまず入口まで進む。
何もかもが巨大なだけに、今にも覆いかぶさってきて飲み込まれそうな錯覚がした。
恐れを抱かせる山、迷いの密林、水中には何かの影が見え隠れしている。
入口は木造ゲート。
ドーム状の屋根と門があり、木板の船着場が見える。板より少し低い位置にある水面は鉛色で、月光を反射していた。
木板は真っ黒な色になっている。
「ここらへんにいるかと、思ったんだけど…。」
勝手に中まで入ってみて、船着場の水際で足を止めた。
すげーな、閉園したとかいって、色々とそのままだぞ。
「いませんね…。」
深夜、廃墟にやってきたのだという友人の姿は、依然として見つからなかった。
木板の船着場には、ボートが逆さにして積み上げてある。船が逆さになってるのって、なかなか見ないな。
裏側こうなってるのか。
塗装は剥がれているものの、まだ使えそうでもったいない。
ライトで照らしてじっくりと船を観察していると、
「今、何か動いた。」
ふいに運転手が声をあげた。
「え…? なんですか?」
「あの岩山の方で、何か動いたんだ。君、見えなかった?」
と言われて咄嗟に顔をあげる。
岩山といっても造りものであって、中にはウォータースライダーが通っている。
所々、窓のように穴が開き、コースの一部が見えていた。見えている景色があまりにも現実離れしているうえに、ライトが届かない先は影絵の領域。
だんだん国内の裏野にいる感覚がなくなってくる。
確かにここはドリームランド。夢の世界だ。
「あんな遠くですか? ライト届かなくて見えないです。」
「友人に背格好が似ていた気がする。」
と答えて運転手は山の方向から目を離さない。
そうだとすれば廃墟が好きな友人は、廃園した遊園地のアトラクションを、中までくまなく見学しているのだろうか。
こんな時間によく行くわ、と思ってはいるが口には出さない。
こちらは夜道で迷ったあげく、連絡手段もないという体たらくなので、人のことをとやかく言えない。
「だったら、友人さんと早く合流して、車を置いたところまで戻りませんか?…なんか、その、気味悪いですし。」
誰もいないはずの廃墟で、人を探して歩きまわる。この裏野の夜道で迷った頃から、嫌な予感はずっとしているのだ。
背中に何かが這い上がるような感覚が。
「そうだね。友人と合流できれば、街に戻れる。」
運転手の口からその言葉が聞けて、正直、死ぬほど安堵した。
もうホテルのベッドにダイブさせてくれ。
「どうやってあそこまで…」
行ったんでしょうね、というようなことを言おうとして、その矢先に音が聞こえた。
ピチャン
という水音だ。
やけに響いて、耳についた。それに続いて今度は、
ヒュイイィン
と音がする。
音というか、生き物の声のようだ。掃除機の電源を切った時の音にも似ていてるし、鳥の鳴き声と言われれば、それにも近い。
いずれにしろ正体のわからない物音に、思わず話の途中で口を閉じた。
今の声は、なんだ?
「シャチ?」
なんとなく想像で言ってみるが、シャチの声は聞いたことありません。
シャチって鳴くの。
「何か聴こえた?」
と問い返されて、水面を指差す。
水面には波紋が見えた。それも大きな波紋だ。やがてそれは船着場の木板にあたって消えた。
「今、水の中で何か動いたんです。」
と素直に打ち明ける。
「何か見た?」
神妙な面持ちで問いかけられて、首を振る。何も見ていない。
アクアツアーで『謎の生き物の影』が見える。
運転手の言っていた言葉が、ふいに頭に浮かんだ。こんな時に考えたくもないが、やはり水中に何かいるのか?
バシャン
と今度はさらに近くで、大きな水音がする。同時に何かが衝突したらしく、木板の船着場がギシギシと軋んで揺れた。
なんだ?
「な、何かいます!」
ロードが倒れそうになってしまって、慌ててハンドルを引いて持ち直す。
足場となっている木板の真下に何かがいる。静かな空間にいただけに、板が軋む音が大きく聴こえた。
水がぴちゃぴちゃと揺れて、顔の高さまで跳ねる。頬にあたって、冷たいと感じた。
その水が妙に生臭い。
「かなり近いような…」
運転手の言葉の通りだ。水音は、かなり近い。
ヒュイイィン…
また鳴き声がらしきものが聴こえて、運転手が手持ちの懐中電灯を水面に向ける。心許ないライトの光では、水中まで見通すことはできない。
黒い水の上を、小さな丸い光が行ったり来たりするだけだ。
だが、それでも水面に浮かんできた小さな物体を捉えることはできた。
「腕……?」
ふかふか。
と気ままに水面で揺れながら、浮かび上がってきたものがある。普段見慣れているものだけに、一目見てすぐにわかった。
腕だ。
人の腕。
およそ肘から下辺りか、一部衣服と思われる布によって隠れているため断面は見えないが、ブヨブヨとした白い人の手であることは確かだった。
「うっ………うえ!?」
まさか。
まさか、まさかだ。
謎の水音、謎の鳴き声ときて、人の腕だなんて。それは水の上を浮かびながら、ライトの光から外れていく。
「ちょ ちょ 今、の、それ、」
あわてて運転手の肩を掴む。ライトを持っている方だ。
いや、だって、掴みもするだろ人の手だぞ。心拍が格段に上がり、頭がジワッと熱くなる。
「今の浮いてたの、人の手じゃないですか!?」
「俺もそう見えた。」
「なんで!?」
「この水中に棲む『何か』に、食い千切られたとか…?」
あまりにも冷静に言うので、言葉をなくしてしまう。
後ろから掴んでいた、運転手のウインドブレーカーから手を離した。力が抜けたせいでまたロードが倒れそうになってしまい、また慌ててハンドルを引く。
あまりにオフザケが過ぎるので、何を言えばいいのかわからなくなって、沈黙した。
深夜の廃墟遊園地だ。
水際だ。
風もない、生き物もいない、この空間で響いた謎の水音。そして鳴き声。さらに腕。空気はモワッと蒸し暑い。
それなのに、二の腕の裏は冷たくなっている。脳に血液が回ってきていない。
血は全部下の方に落ちきっているのだろう。
なんだ?
なんだ?
何が起こっている?
「ここ、やっぱり何かいるんですか…?」
「噂だとそうらしいね。あの腕、友人のものかもしれない。」
さらに心臓がバクンと縮んで跳ねた。なんで、そんなこと言えるんだ。
運転手はライトの光を、水面から木板に移し、こちらへ向き直る。
「友人のって、じゃあ、まさか、さっき見た人影は…!?」
「友人は『何か』に襲われ腕を失い、このアトラクションの中を逃げ回っているのかも。」
「何がいるんですか!?」
「それはわからない。」
「シャチですか!?」
「シャチではないと思う…。」
アクアツアーでは、『謎の生き物の影が見える』という噂がある。ついさっき、運転手から聞いた話しだ。
その言葉が頭の中でグルグルと駆けめぐる間、体はすべての働きを失ったかのようにスーッと血の気を失い静かになっていく。
半ば放心しかけていて、どうにか自分を繋ぎ止めている。
裏野ドリームランド。
ここではもう、何かが起こっている。
「こんな……ど、どうするんですか!?」
事態が事態なので、つい冷静を欠いて問いかけてみれば、
「早く友人を助けないと…。その為には、こっちもアトラクションの奥へ進むしかない。」
と返ってくる。
「冗談でしょ!? なんかいますよ、ここ、やっぱり!」
声がひっくり返った。
文章の順列もなんだかおかしい。だが、今は丁寧に言葉を並べている余裕はない。
ロードを横に引いて立つ体勢から、固まってしまって動けない。それほど今、かつて遭遇したことのない恐怖に見舞われている。
田舎の山中にひっそりと取り残された遊園地廃墟。そこに棲み着く可能性のあるもので、人の腕を千切るものとはなんだ?
クマか。シャチか。妖怪か? 悪霊か? 未確認生命体か?
なんだ?
なんだ?
「こんな暗闇の中じゃ、どこから出てきて襲われるかわかりませんし…。」
と口では言っておきながら、だからこそ、友人を一人にしておけないことは重々承知している。
逆の立場に立ってみろよ。自分がフラッとやってきた廃墟で、謎の生物に襲われて、腕を引きちぎられて意識朦朧としながら彷徨っていたら。
助けが欲しいだろう。
わかっている。百も承知だ。
「君は先に車まで戻っていてくれてもいい。俺は友人を連れ戻しに行ってくるよ。でも、引き返すなら気をつけて。君の言うようにどこから出てくるかわからない。」
そんなぁ。
「この裏野ドリームランドにはね…。実はまだ話していない噂話がたくさんあるんだ。ここから先、君を何が襲うかは、最後の最後までわからないというわけさ…。」
えっ。なんか、上手くまとめられた。
やめろ。縁起でもない。
「友人を探しに行くなら、一緒に行きます。一人にされる方が怖い。」
などと言っている間にも、ちゃぷん、と水の揺れる音がした。ザッと音が立つほどの動きで反応してしまい、二人揃って後退り。
やはり、何かいるのは間違いなさそうだ。
大きさも正体も把握できていない。姿すら見えない、数も把握できていない『何か』だ。
口の中が乾いてきた。歯がカピカピになっている。
「友人さんを見つけて、早く帰りましょう。早く! 一刻も早くです!」
こんなことなら、裏野になんか来るんじゃなかった。
生きて帰れるのか。
そんなことを、本気で気に病むのは初めてだ。
☆★☆
『それでは探偵さん、軽くおさらいしましょうか。』
と電話の向こうでノエルが言った。
夜の山道だ。足下はひび割れた舗装に覆われて、ひび割れの間から雑草が覗いている。
ここは少し開けた場所で、元はこの山の上にあった『裏野ドリームランド』の駐車場として使われていた場所だった。
しかし今では面影もなく、看板も全て取り外されている。
『今回、探偵さんが調査される場所は、すでに閉園している裏野ドリームランドという廃墟遊園地です。』
とノエルが電話の向こうから説明してくれているのを、バイクに寄りかかって聞いている。
探偵、朝陽輝。
彼はこの裏野の街で活動する探偵だ。今回も仕事の依頼を受けて、ここへやってきた。
『依頼人の名前は夜中迷。奇遇にも過去にこの裏野ドリームランドで起きた、ジェットコースターでのアトラクション事故によって命を落とした、女子高生と同じ名前です。』
「別人が亡くなった少女の名を語り、俺に依頼をしてきたと考えるのが妥当か。」
『事故として処理されたことに、心残りでもあったんでしょうか?』
「親父の置土産、か…。仮にノエルの想像通りなら、あの意味深な台詞にも納得が行くな。」
そして、そこで憶測だけの会話は一度途切れた。
山道をだいぶ上がってきた。このあたりは、田園も民家も見当たらない。
車通りもなく、蛙も鳴いていないので静かだ。裏野は過疎化の進む田舎街なので、こういう場所が少なくない。
裏野という街は。
新旧二つの風が入り混じる街だ。交通の便利が良くなると同時に、街は爆発的に進化した。新しいものが次々と街に入り、古いものは次々と置き去りにされていった。
古い通りは寂れ、山道などの旧道は、遠回りな上に危険だと言われ、続々と塞がれていった。
裏野ドリームランドも、そういった急速的な進化に置き去りにされたものの一つかもしれない。
いつしか、ここに姿を残したままになっていることも忘れられ、誰も訪れることがなくなった孤独の廃墟。
裏野ドリームランド。
「結局、この遊園地に纏わる噂ってなんなんだ?」
ごく当たり前の質問で、朝陽が沈黙を破った。蒸し暑い真夏の夜だ。
ジッとしていると蚊に刺されそうなので、ちょっと短い距離をウロウロして足を動かしてみる。
ちなみに「蚊に刺される。」と「蚊に咬まれる。」って、どっちが正しいんだろうな。
『それについては、学校の友達に聞いて調べてみました。人の口から伝わるものなので、情報にはバラつきがありますが…。この裏野ドリームランドには、七つの怪奇が潜んでいるようです。』
という前置きがあって、ノエルが説明してくれる。
一つ、
裏野ドリームランドには、度々『こどもが消える』という噂がある。閉園した理由はわからないが、その噂に関係あるのかもしれない…。
二つ、
ジェットコースターで事故が起こったとは聞くのに、それが一体どんな事故だったのか、誰に聞いても話が違うようだ。
三つ、
遊園地が営業していた頃から、アクアツアーのアトラクションでは『謎の生き物の影が見える』と噂されていた。
そして、…その影は今でも見えるらしい。
四つ、
アトラクションのミラーハウスに入ると、『出て来たら別人のように人が変わる』らしい。まるで人の中身だけを、入れ替えたみたいに。
五つ、
ドリームキャッスルには隠された地下室があり、遊園地にあるはずのない『拷問部屋』になっているらしい…。
六つ、
メリーゴーランドが、誰も乗っていないはずなのに、美しく輝きながら、ひとりでに廻っていることがあるらしい。
七つ、
閉園したはずの遊園地で、観覧車の近くを通りかかると、小さく声が聴こえることがある。『出して……』と。
順番に言い挙げられた七つの怪奇を耳にして、
「寒っ!」
朝陽さんはガクブル。
実はあまりこういうのが得意ではないので、自分を抱くように腕を交差させ、サスサス両腕を擦る。
『大丈夫ですか?』
「だいぶだいじょうぶ。」
『大丈夫ですか?」
「だいぶだいじょうぶ。」
訳:あまり大丈夫ではないです。
あまり大丈夫ではない朝陽が電話口からノエルに励ましてもらっていると、
「輝様ー!」
その後方から脳天気な声がかかった。
この聞き覚えのある声は、昼間の依頼人、夜中迷だ。
視線を投げると、山道を一台の車が走ってくる。スポーツカーだ。カラーは白か。
助手席の窓から、予想通り迷が顔を覗かせている。
「あ…、来た。」
時刻は夜の十時頃。空に雲はなく、月が出ていた。丸い月だった。
「今晩はです、輝様!」
駐車場に停めた車から降りてくるなり、ビシッと両手で朝陽を指差した。
夜中迷。
朝陽に、この裏野ドリームランドの噂の謎を解くように依頼してきた張本人だ。
学生服は浴衣になり、ツインテールの黒髪は、大きな花飾りがついていた。綺麗だ。
子供っぽい印象だった昼間と違い、今は歳も相応に見える。
「なんだよ、その格好…。」
「やはり夏というわけで、この装備が適しているかと思いまして!」
ツッコんだ朝陽に、迷はヘラヘラと笑って返す。浴衣は白地に真っ赤な金魚が泳いでいた。
「遊びに来たんじゃないんだぞ。」
と言った朝陽の前にもう一人、運転席からは別の女性がおりてきた。
こちらは迷と対象的にクールな佇まいだ。ワインレッドのベアトップに、タイトジーンズ。ショートヘアの下から、魚の骨を象ったイヤリングが光る。
歳は二十代前半といったところか。輝とさして変わらない年頃に見えた。
「浴衣姿の女子高生と、こんな時間に人気のない山奥で待ち合わせて、…遊びに来たんじゃないなんて、よく言うわね。」
と突然、棘を含んだ言葉が飛んでくる。
その言葉の棘を見事に額に食らった輝は、額から血を流しながら迷を小突いた。
迷の耳元に寄って尋ねる。
「こちらは?」
「えっと…全然、知らない人です!」
頼り無い返事が返ってきた。
「よまちぃが山道を歩いていましたところ、こちらの女性が車に乗せてくださったのです。目的地は同じですから、と。」
「は? 知らない人の車に乗ってきたのか?」
「いけませんか?」
「いけませんよ?」
「いけませんか!?」
「いけませんよ?」
「え?」
「え?」
不毛な争いをし始めた迷と朝陽の顔を、運転席から出てきた女性は、冷ややかな視線で見つめている。
顔をあげると視線があったので、朝陽は軽く会釈を返しておいた。
「あぁ…その、依頼人をここまで送ってくださり感謝します、お嬢さん。ですが、こんな時間に女性がお一人でドライブとは、感心しませんね。」
「感心されなくて結構よ。ところで、探偵さんは今からこの子と、遊園地の噂を調査するそうね。」
探偵、という身分を知られているどころか、目的まですでに明かされているようだ。
朝陽が黙って視線を送ると、迷がペロッと舌を出す。かわいい。
「よまちぃ、喋ってしまいました☆」
なぜだろう。語尾に星がついているような気がした。
朝陽は盛大にため息をつく。
「なんで、そう、ペラペラ喋っちゃうんだよ。」
「よまちぃは口が軽いのです!」
「自分で言うな!」
朝陽のツッコミスキルが自動発動してしまう。
しかし、事情を知られている以上、この女性の方も放ってはおけないと向き直る。
「俺は裏野の探偵、朝陽輝。ご存知の通り、これから調査に向かいます。何があるかわからないので、お嬢さんは帰った方がいい。」
「いいえ、悪いけど同行するわ。こっちも人探しで来てるの。アタシの名前は羽柴雛子。どうぞ、宜しくね。」
強引な姿勢で、女性は引く様子を見せない。同行の申し込みを断ろうとした朝陽だが、その朝陽のベストの裾を迷が引いた。
「雛子さんにも、同行してもらいましょう。その方がよまちぃ、安心です。」
丸い大きな瞳で、迷が訴えてくる。
迷の方が背が低いので、傍に寄って裾を引かれると、迷の小さな頭がコツンと朝陽の胸に当たった。
小さい。
「…ったく、身勝手な依頼人だ。」
舌打ち。
朝陽はどうも、ペースを乱されることが苦手だ。立ち回り辛くなってしまう。
羽柴雛子と名乗った、人探しをしているという女性。とても夜中に廃墟の遊園地に人探しにやってきた風体でないことは明らかだ。
何か違和感がある。
(…早めに済まして帰った方が良さそうだ。)
迷の申し出もあり、羽柴雛子が調査に同行する運びとなった。
問題の裏野ドリームランドはまだ先にあり、駐車場からは庭園へと続いている。
調査の前に園内の全体像だけは、頭に入れてきた朝陽探偵。
会話が途中になっていた電話を再び耳にあて、
「…てわけで、同行人が一人増えた。ノエル、悪いけど細かいルートはナビしてくれ。」
電話の向こうのノエルに呼びかけた。
また忘れかけていたが、携帯電話は律儀に、まだ電話の向こうのノエルと繋がっていたのだ。
『了解、ナビします。』
と丁寧な返事がくる。
『できればテレビ電話に切り替えて、現状をリポートしてくれませんか。』
とかえって向こうからも指示がきた。
言われた通り、朝日は携帯を操作する。それから携帯を持ち変えて、クルーンと一周、自分の周囲を映して見せた。
つい先程まで、月明かりやバイク、車などのヘッドライトだけが照らしていた駐車場。
突っ立っているだけだった電灯が、ふいに点滅し、点灯した。
不自然なタイミングの点灯だ。もともと、深夜になると照らすように仕組まれているものなのか、なんなのか。
電気が通っているだけでも有り難い。
『……壮観だな。』
朝陽の手に持つ携帯から送られる動画を確認したらしく、ノエルが言葉を漏らした。
『たくさん、集まってきていますね。それから探偵さん、一つ、別の結論に行き当たりました。』
と電話の向こうから、ノエルが意外なことを口にした。
『やはりこの事件の依頼人は、朝陽昇の置土産のようです。…僕と同種の存在であるかもしれません。』
「それって、まさか…。」
朝陽が言葉を返す。
数年間の付き合いを経て、ノエルと朝陽は互いに、互いの含みのある言い回しの理解が深まってきた。
今のノエルの説明で、探偵・朝陽はノエルの想像する事件の概要を認識したようだ。
『とはいえ、まだ確証はありませんので、色々と引き出してみましょう。』
「やっぱりお前の霊感はあてになるぜ、ノエル。」
『恐縮です。』
とまた丁寧な返答がくる。
それから朝陽は、携帯を構えたまま、迷に視線を送った。
迷は少し首傾げて、「なぁに?」という仕草をした後、朝陽の視線を気にしながらも、先へと歩き出す。
雛子もその浴衣姿の小さな背中に続いた。
「ねぇ、何撮ってんのよ。」
「お構いなく。離れたところにいる捜査の補足要員と情報を共有しているだけですから。」
「どうでもいいけど、あまり顔は映さないでよね。」
雛子に指摘され、朝陽は携帯の画面を咄嗟に少し横に向けた。
迷の顔が画面に映ると、顔の部分を中心にして、ボンヤリと滲むように画面が乱れる。
朝陽は、その変化には気が付かなかった。
「補足要員ということは、探偵の相棒、相棒ですよね!」
迷のテンションが高い。
「探偵と相棒…。互いに意見を戦わせながらも、求めるものは同じ、事件を解決することで取り戻せる人々の笑顔。やがて二人は互いの価値を認め合い、関係を深めていく…ううう、フェアリーテイルの正しい形です!」
迷のテンションが最高潮だ。
そしてその迷に構うのが面倒くさいので、朝陽と雛子は、迷のテンションを完全に放置している。
駐車場から幅広の階段を上がると、美しく花の咲いた噴水庭園が見えてくる。
手入れをする人間がいなくなったためか、花は好き勝手に花壇を侵食し、モッサリと花壇の外まで溢れていた。赤 紫、青、なんの花だかわからないが、色合いは美しい。
朝陽たち一行が階段を上がりきると庭園の電灯が点灯する。駐車場の電灯は消灯した。
動くものに合わせて点灯するのだろうか。便利だ。
「問題の裏野ドリームランドはこの上か…。」
朝陽はカメラで辺りを映しながら移動する。庭園をこえた先にはまた階段があり、その上は広く開けているように見えた。
『この庭園の上に入場ゲートです。』
とノエルのナビゲーション。
「電話の向こうの補足要員さんは優秀ね。」
と雛子が感心した様子で言った。
エンジン全開の迷が少し先を歩き、雛子と朝陽が並んで歩いている形だ。
「あぁ…営業していた頃のフロアマップや、古い観光雑誌を探しだして、ナビして貰ってるんですよ。」
と朝陽が答え、少し視線を上げた。
ノエルのガイドは正しかったようだ。二つの目の階段を上がった先には、今にもなし崩しに崩壊しそうな、入場ゲートが見えてくる。
駅の改札のような造りをしている。屋根は大きく、その屋根を支える柱は錆びだらけだった。
広くゆったりとした敷地に、開放的な気分にさせられる。
「ノエル、どうだ?」
朝陽は目の前のゲートをカメラにおさめ、ノエルの解析を待つ。
『ひとまず、そのあたりは大丈夫です。ただ、ゲートを抜けてすぐの物陰に何かモゾモゾしてますので、そいつに気をつけてください。』
ザックリしたノエルの指示に、
「ふむふむ。」
と朝陽は何かに納得した風だ。
それを横目にヒールの靴音を響かせる雛子は、朝陽の構える携帯を見つめる。
ノエルとの通信は、雛子にも聴こえたようだ。
「補足要員は、何を知っているの?」
と問いかけてくる。
「知っているわけではありません。ただ、アイツには見えているんです。…人より、少し多くのものが。」
「は? 霊的なものって、こと?」
幽霊。
とか、そういう類いのものか。言われて雛子は信じ切れない表情になる。
不可解な噂の蔓延るこんな場所にいるせいか、それでも半分は信じた。
「まぁ、信じるか信じないかは、人の自由ですが。」
とそんな雛子を朝陽は責めない姿勢だ。
「冷たいのね。探偵さん、自分の補足要員の眼を、信じてないの?」
「俺は信じてますよ。ただ、それを他者に押し付ける気はないだけです。」
朝陽は効率的に他人との摩擦を省きます。
裏を返せば、朝陽はノエルが見えると言えば、そこに霊がいることを認めるということだ。
「探偵という仕事をしていると、ウッカリそういう案件に乗り上げることもあるので。…そういう時の為の補足要員なんです。」
街角ノエル。
それが、探偵業を営む朝陽の心強い味方であり、幽霊探知機だ。本人は朝陽とは違い探偵ではないため、現場には現れない。
「じゃあ、この場所に関する数々の噂、探偵さんは幽霊の仕業に一票って、ことかしら?」
「まだ、調査はこれからです。補足要員に繋いでいるのは、あくまで広い視野であらゆる可能性を考えておきたいだけですので。」
と気だるげに口にした朝陽。改めて、今からこの廃墟遊園地を調査しなくてはいけないことを認識し、気分が下がる。
それもただの噂話だ。
探偵なんてお呼びじゃないような、信憑性もない都市伝説的なもの。
(裏野は平和だなぁ…。)
朝陽は、裏野というこの辛気臭い田舎街を、早く出て行きたいと思っている。
田舎は嫌だ。
世間知らずで図々しい態度の人間がゴロゴロいるし、遊ぶところはロクにないし、周りのその空気に飲まれて、田舎にいると、自分までどんどん向上心を失っていく気がする。
あしからず、あくまで朝陽の感想です。加えて朝陽はもともと裏野の育ちじゃない。
退屈と嫌悪感、それが朝陽と、裏野での日常を共にしている。
それなら早く出て行けばいいのだが、朝陽がそうしない理由。
それが、ノエルだ。
(いや、平和なくらいでちょうどいい。俺はこの街でノエルの成長を、待たなくちゃならないんだからな。)
ボンヤリ考えているうちに、ゲートを抜けていた。そこからはもう、裏野ドリームランドの敷地だ。
電灯がついていたことや、思いのほか人数が多くなったこともあって、スムーズにここまで来た。
自分が霊的なものが苦手なことは自負していたので、てっきり駐車場からは進まないかと思ったが。
「なんだ、案外進むなあ。」
気持ちちょっと軽くなってきたところで、
『ちなみに補足要員ですので補足させてもらうとすれば、本来なら不気味に感じるはずの場所が居心地よく感じてしまうそれは霊障ですよ。探偵さんに、そこにいてもらいたいと思っている霊の仕業です。』
恐怖のどん底に突き落とすような補足を入れるノエル。
羽が生えたように軽かった朝陽の心に、ジャランと鎖が繋がり重たくなる。
「ソウイウ ホソク イラナイ。」
恐怖のあまりカタコトになって朝陽が言葉を返すと、ノエルは静かになった。
代わりにウルサイのはあいつだ。
「そうですよね、そうですよね、輝様と補足要員さんは、関係を深めてきた仲なのですよね。だけどお二人は遠く離れた距離にいる。そう、だから、電話ごしに聴こえる声にすら二人は互いを強く感じてしまい、互いの姿を思い浮かべて、電話越しの声だけで胸に秘めた想いを慰めるのですね……ああああ、フェアリーテイル!」
とかなんとか前の方で聴こえてきて、朝陽は視線を先へ。
迷は後ろの二人に構わずズムズム進んでいるようだ。和柄サンダルでの歩きづらさを一切感じさせないスピードを出している。
ちょいちょい出てくる『フェアリーテイル』はなんなんだ。
こっちは真面目に付き合ってやっているというのに。はあ。なんでこんなことになったんだろう。
とか、唐突に現実を振り返ったりして。
「おい待て、よまちぃ。」
思わず、指定されたアダ名で呼んでしまう。
「お前、周りにペースを合わせろ。」
小走りに駆け寄り、浴衣の後襟を掴んで引く。ゲートを過ぎたら、右手に建物が見えた。
まるで大きな何かがぶつかったかのように、建物は側面の壁と屋根が傷ついている。
建物の前には屋根の一部や割れた窓ガラスなどが散乱していた。
「ふわ、輝様。すみません、よまちぃのペース速かったですか?」
掴んだ襟の内側に、真っ白な柔肌、項が見える。美しいラインだ。
そこに二つに結った黒髪が垂れている。ほんわり、甘い香りがした。
香水だろうか。
「……あ、いや悪い。できればもっと、ゆっくり歩いてくれ。」
ほんの一瞬見惚れてしまって、すぐに朝陽はその手を離した。
迷は足を止めると、ニコニコ朝陽を見上げている。その表情はまだあどけなく、ふんわりと柔らかい印象だ。
よくよく考えたら夜の廃園した遊園地の中、浴衣姿の女子高生とブラリ歩くなんて滅多にない経験だ。
(まるで向こうが透けてしまいそうなほど、綺麗な白い肌……か。)
触れると消えてしまいそうな、儚げな姿だ。昼間に探偵事務所にやってきた時とは、全く違う空気を身につけている。
昼と夜では、見せる顔が違うのか。
「崩れた建物とかをみてしまうと…、流石にやはり不気味ね。」
数歩遅れて追いついた雛子が、二人の傍に歩み寄る。
女子高生に見惚れていたなんて聞こえが悪いので、朝陽は迷から少し体を離した。
雛子の言う建物の反対側には、何やらキャラクターらしきもののオブジェがボサッと突っ立っている。
長年風雨に晒されたせいか、首から上が行方不明だ。
また一通りクルクル周囲をカメラに映して、朝陽はノエルに情報を送る。
「モゾモゾしてるやつ…って、どれだ?」
『移動しちゃったみたいです。』
「そうか。」
と、軽々しく答えて、朝陽は少し考えてから口を開いた。
「ノエル、どう思う? この場所で噂になっている怪奇とやらは、本当に霊の仕業だと思うか?」
『全部が全部、霊の仕業かどうかは、調べてからでないと何とも言えませんね。ただ、実際そうなら一体の霊の仕業とは思えませんので、いくつかの霊が別々に引き起こしているのだと思います。』
ここに来る前まで。
何度も観直した、迷から預かった一本のビデオ。そこに記録されていたのは、撮影者を襲った恐怖の体験だった。しかし、映されていたのは、あまりに現実離れした存在。
あの映像に嘘がなければ、ここにはかなり悪質な『何か』がいるということになる。
それをわかっているのか、いないのか。迷はどちらかといえば楽しそうだ。
「あ、輝様。あっちがなんだか明るくなってます!」
言って、また迷が勝手にとびだす。自由行動がすぎる依頼人だ。
「あっ、また! くそ、自由かよ。」
それを慌てて朝陽が追いかけるはめになり、雛子も気だるそうに後ろから続いた。
なんか、子供が走りだすと大人も走ってしまう。
園内は荒廃し、遊具の残骸らしきものや、小さな建物のようなものがいくつも見えた。
当たり前だが人はいないので、変な気分だ。地球に一人取り残されたような気がしてしまう。
棒立ちの看板に、骨組みだけとなった巨大遊具。ベンチの横にはかつて自動販売機があったのか、一段高くなった白いコンクリート台だけが残っている。
「よまちぃ、危険だから単独行動はするな!」
テチテチと数メートル先を走る女子高生に、朝陽は真剣な怒声を浴びせる。
迷は立ち止まってもその場足踏み。何も言わずに「急いで」と訴えてくる。
それはごく普通に、遊園地に来て遊ぶ子供と同じだ。気持ちが体より急いでいる。
やがてゲートをくぐった場所から南西へ走ると、迷が言った通り、光り輝くものが見えてきた。
かなりデカイ。
失敬、大きい。どうやら、明かりの灯ったアトラクションのようだ。
天蓋付きのカラフルな色使いの舞台の上で、馬が駆けている。よくある、メリーゴーランドのアトラクションのようだ。
「え……?」
行く先に見えてきたそれに、朝陽は圧倒的な違和感を覚える。思わず、走る足が唐突に棒になって止まった。
後ろからついてきた雛子は、その朝陽の背中に衝突して止まる。
「マジかよ。」
ここは、すでに閉園されたはずの遊園地。すでに訪れる者はなく、遊具と時間だけが取り残された場所だ。
そこで、動いている。
誰も乗せていないはずの、朽ちたメリーゴーランドが。
くすんだ白、青、黄色。照明は一つ残らず点灯し、絢爛な明るさを放っている。一体一体、丁寧に造られた白馬の乗り物が、クルクル周回していた。ゆっくりと上下にも揺れているようだ。
何故か、鉄馬の瞳に惹きつけられてしまう。
『噂通りですね。』
ノエルが静かに口にしたのは、雛子がその光景を目にして、驚き息を飲み込んだ瞬間と同時だった。
『裏野ドリームランドでは、誰も載っていないはずのメリーゴーランドが、独りでに動いていることがあるらしい。回るアトラクションの灯りは、とても綺麗で美しいが……』
そんな噂をノエルからの情報で聞いていた。その通りだ。
確かに、誰も乗っているはずはない。
迷はその光が作り出す色彩を、特等席で見つめている。アトラクションを囲む危険防止のための柵に寄りかかり、齧りつくように、メリーゴーランドを眺めていた。
楽しそうだ。
「見て、輝様! 綺麗ですね。これが裏野ドリームランドに纏わる、怪奇の一つですよ!」
奇なる一夜はこうして、幕を上げた。
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