導火

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導火

 この物語はフィクションです。  登場する地名・人物名・団体名等は、実在のものと一切関係ありません。    ★☆★  薄暗い山道を、ロードバイクで走っていた。  登りの練習のつもりで山道に入って来たものの、どうやら道に迷ったようだ。  ビデオカメラをバイクにつけて走りながら、一人旅をしている。旅先で目にする新鮮な景色をカメラに映していく、気儘な旅のはずだった。  この裏野周辺に来たのは初めてにもかかわらず、慣れない山道に軽はずみに足を踏み入れたのがいけなかった。  時刻は腕時計で深夜二時を回ったところ。  いい加減、ライトの小さな明かり以外はほとんど見えない。路面と緑地帯の境にある縁石が、うっすらと暗闇に白く浮かんでいるだけだ。  その細い白線の少し横を、ライトの小さな光が走り抜けていく。 (マズいな……)  こんな時に携帯は充電切れ。手持ちの簡易充電器はソーラー発電という頼りなさだ。電池も手持ちが切れている。  連絡手段もなく、このバイクもエンジンがついているわけではないので、体力次第では野宿になってしまう。道路は比較的整備されていて走りやすいが、民家や商店は見当たらない。  何度か道を引き返したりしているうちに、現在地すら見失った。  裏野市は、都心から直線距離でもかなり離れているド田舎だ。その上山道でこの時間。歩行者は一人も見かけないという状況である。 「あれは、観覧車…、か?」  かなり遠くだが、夜の闇より一段階濃い黒で、観覧車らしきシルエットが見えた。輪っか状に、丸いゴンドラが並んでいる。  山道にも関わらず道幅が太く道路が整備されているのは、テーマパークにでも続く道だからなのか。  しかし、山道を走り始めてから、観覧車を見たのは初めてだ。ひょっとして来た道を戻るどころか、変な方向に進んでいるのか。 「……これはヤバイ。」  サドルを高くしている為、バイクを停めると同時に地面に両足をついた。 「誰か。」  思わず、口をついた。  助けて欲しい気分だ。  これ、朝までグルグル彷徨うことになるのではなかろうな。 「……ん?」  そんな時、ふいに前方から明かりが見えてきた。この光の幅は自転車でもバイクでもない。  車だ。  低いエンジン音で、前方から向かってくる。スピードはそれほど出ていない。深夜の閑散としたこの道で、律儀に法定速度を守っているということは、走り屋ではなさそうだな。  やがてその車は五メートルほど手前でブレーキを踏んで、停車した。ハザードランプがチカチカ。  ブルーのワゴンだ。 「君、何やってんの? まさか道に迷った?」  運転席の窓が開き、ヒョコンと顔が出てくる。  ふわふわとしたクセ毛の、少年のような顔だ。毛先がはねている。童顔だが、車を運転しているということは、免許のとれる歳なのか。 「あ、はぁ、はい。」  声を出すと、体がどれだけ疲れていたのかわかる。息が切れて、声もか擦れた。  時間が遅くなればなるほど焦り、ペダルを踏む足に力が入っていたようだ。 「マジ? しかもチャリじゃん。大丈夫? ハンドル超曲がってるよ。コケたの?」  と言ってくるので、ようやく少し笑えた。  『ハンドル超曲がっている』とは、この人ロードバイクを知らないな。 「これはドロップハンドルで、曲がってるわけじゃないんで、大丈夫です。…ただその、道に迷っちゃって。」  と素直に事情を説明すると、親切なことに運転手は、わざわざ車からおりてきてくれた。  バタンと音をたてて運転席の扉を閉め、近寄ってくる。フロントガラスから見えていた顔の高さで予想していたが、やはり背が低い。  迷彩のウインドブレーカーに黒のボトムス。腕にリストバンドをつけている。スポーツに理解ありそうな人だが、真夏に車内でウインドブレーカーとは。 「山の下まで送ってやりたいけど、あいにく俺も人探してる途中なんだ。…見つけてからで良ければ送るけど。チャリたぶん後ろに積めるし。」 「ホントですか! すみません。…乗せて貰えると、確かに、かなり助かるんですけど。」 「知らない男の車に乗って大丈夫?」 「いや、俺も男ですから!」  なかなかジョークも言う人なのか。  いい人に拾ってもらった。  ラッキー。 「災難だったね。ここはもう、ほとんど人が通らない道だよ。」 「はい。携帯も充電切れちゃって。…あの、誰か探してるんですか。」 「あぁ、俺はちょっとばかり人探しでね。」 「誰探してるんですか? 手伝いますよ。ただ積んで貰うのは悪いので。」  言いながら、車載しやすいように、ホイールを外しにかかる。人の車を汚すわけにもいかない。チェーンを上にして積めるだろうか。ホイールバッグがないのが痛い。 「ありがとう、じゃあ一緒に探してもらおうかな。それ、こっちに持ってきて。」  運転手は車の後部へ回る。もともとクーラーボックスや大きめの鞄等の荷物を積んでいたようで、それを助手席の足下へ移してくれる。 「君の座るとこ狭くなるけど、我慢できる?」 「はい、もちろん。…ホントすみません。お世話になります。」 「いいよ。てか俺の携帯も、水没させて今使い物にならないんだ。だから今すぐはどこにも連絡してあげられなくて、悪いね。」 「そんなそんな、こっちこそ申し訳ないです。」  携帯が水没なんて、ポケットに入れたまま洗濯機にでも放り込んだのか。そんなことを考えながらも、ロードバイクを積み込む作業。  ひとまずロードを乗せる幅は大丈夫だった。フレームを固定し、作業を終えてから助手席へと乗り込ませてもらう。  荷物を移動させてしまったので足下がかなり窮屈だが、文句を言える立場じゃない。どうにか足と足の間に荷物を挟むような感じにすると、席におさまることができた。 「閉めるよ。」  ドアまで閉めてくれて親切な運転手は、自分は運転席側へ回る。乗り込んでシートベルトを締め、車を発進させた。  しばし無言。 「あの、…拾ってくれて、本当に有難うございました。…喋ってると、ウルサイです?」 「いや? そんなことないよ。」  運転に集中したい人とかではなさそうだ。  初対面は気を使ってしまうので、ラッキーとはいえ、やはり災難だった。街に戻るまでの辛抱と思うことにする。  もともと、自分の軽はずみな行動が引き金だ。  とはいえ、ようやく人に出会えて、心から安堵感に包まれる。助かった。 「こんな時間に人探しなんて、大変ですね。…ご家族とかですか?」  何気なく話を振ってみれば、 「あぁ、…俺にもよく、わからないんだ。」  と返ってくる。  深夜の車内は、暗く静かだ。  この狭い箱の中で、初見の人と二人きりになる状況。会話が弾むわけでもないので、必然、定期的に会話が途絶え、沈黙がおとずれる。  車は山道を迷いなく進んでいく。周囲は縁石の向こうに広がる山の景色に包まれ、民家の明かりのようなものは一切見えない。 「悪いんだけど…。」  と今度は運転手の方から、会話を切り出してくる。 「君の足下のクーラーボックス、飲み物入れてるんだ。テキトーに、何か取って貰えるかな。」 「あぁ、はい。」  中身は飲み物でしたか。  そりゃそうだ。山で釣りはないわな。クーラーボックスって、魚が入ってるイメージしかない。 「たくさんあるから、君も好きなの飲んでいいよ。」 「え!? いいんですか?」  正直、自販機に巡り会えなかったせいでカラカラだった。せっかくなので遠慮なく、ポカリを貰う。  缶珈琲もあり、運転手にはそれを開けた。ハンドルを握る手にいきなり渡せないので、ドリンクホルダーを引き出して、そこに置く。 「ここ、置きますね。」  自分のタイミングで飲んでください。 「ありがとう。」  とお礼を言われて安堵し、ポカリの缶に口をつけた。  カラカラに乾いていたという言葉に嘘は無く、水分補給をした途端に、汗がブワッと溢れてくる。  体温を下げたいけれど、汗にして出すほどの水分も無いほど体が乾ききっていたのだろうか。車に拾って貰えて本当に良かった。 「汗めっちゃ出てくる…。」  汗臭くないだろうか。ヒッチハイクで汗臭いとか、最悪じゃないか。 「Tシャツ脱いで汗拭く? 鞄の方にミニタオルならあった気がする。」  と、かえって気をつかわれてしまう。 「ああっ、いや、その…。」  なんでもかんでも貰ったり借りたりしたら失礼だろう。しかしこのまま汗臭い方が失礼なのか?  ヒッチハイクの経験がないので全くわからない。 「夜道だし、ここは人がほとんど通らないから、パッと脱いでパッと拭いて、パッと着ちゃえば恥ずかしくないよ。」  パッパッパッ。  確かに助手席で服を脱いで体を拭くなんて、夜中の山道でないと出来そうにない。汗はかいてすぐに拭けば臭いにならないとテレビで言っていたような気がした。 「じゃあ、そうします…。ホントすみません。」 「うん。そうしな。風邪ひくより、いいさ。」  ハイライトの前照灯で、闇を引き裂き進む車。  その中でシャツを脱ぎ、汗を拭く。真夏とはいえ、夜は昼より体感温度が低いためか、車内に冷房は入っていなかった。  窓は運転席側だけ開きっぱなしになっている。冷房が入っていたら、汗が冷たくなってかなり寒かっただろう。  幸いだった。 「あの、さっき探してる人のこと、よくわからないって言ってましたけど…。」  何気なくまた問いかけてみれば、運転手は深刻そうに眉間に皺をよせた。 「あぁ…。俺にも、何がどういうことなのか、よくわからないんだ。今はとにかく、早く見つけないといけないんだよ…。」  ハンドルを握っている為、運転手の視線は常に前にある。  車は進み、立ち並ぶ木々の景色は後ろへ消えていく。 「見つけないと、て…。誰をですか?」 「友人を。」  と、返事が返ってくる。  それから運転手はおもむろにハンドルから片手を上げ、道の先を示した。とはいえ、街灯も無い山道で、しかも夜中だ。  先を示されたからといって、車のライトが照らす範囲しか確認できない。 「この先にある、『裏野ドリームランド』を知っているかい?」 「いや…実は、このあたりは初めて来たので…。」  ぎこちなく答えながらも、観覧車が見えていたのが頭に浮かぶ。やはり、テーマパーク的なものがあるのか。 「そこになにかあるんですか?」 「友人と一緒に、遊びに行ったんだ。だけど最後のアトラクション…『ミラーハウス』を出てから、友人の様子がおかしくなって…。」  運転手はそこで、一度口を閉じた。  車は走り続けている。緩やかなカーブにさしかかり減速。  暗闇の中、道の脇に古ぼけた看板が見えた。  『裏野ドリームランド』の文字が見える。この先に、どうやらドリームランドの駐車場があるようだ。 「おかしくなった…って?」  先を待てずに問い返してしまった。  それから急に寒気がして、体が震える。汗を拭く為に脱いだシャツを、あわてて着込んだ。  背中を、冷えた汗とは違う、冷たい何かが通り過ぎる。  なんだ? 「まるで中身だけ入れ替わったみたいにね…。その日、友人は突然変わったんだ。人が変わった。見かけは変わらないのに、まるで友人の体に、別の人間が入り込んだみたいに…。乱暴で、意地悪で、ニヤニヤして…そして…。」  ガクン。  と車体が揺れた。何かに乗り上げたようだ。  何なんだ。  石だか枝だかわからないが、乗り上げた何かを弾いて、車はそのままさらに進む。  闇の深淵へと、踏み込んでいく。 「そして…。そして、俺に襲い掛かってきて……。」  運転手が指差していた手をおろし、ようやく片手運転を止めた。  代わりに今度は顔を上げ、真っ直ぐと暗闇に伸びる道をとらえた。黒い道路に時折白線が浮かぶ以外、夜闇の中には何も見えない。  ふいに白い人影のようなものが、車道に飛び出してきて、倒れこむようにして車の下に消えていく。  なんだ?  なんだ? 「そして俺を殺してしまったんだ。」 「え…?」  パッと運転席へと視線を送ると、ちようど運転手が缶珈琲を手にとったところだった。  グイッと上向いて、浴びるように飲む。その為、視線は合わなかった。 「な、…。」  こんな時間なので。  冗談だよね、と思いつつも返答が遅れる。  車がまたガタンと揺れた。こんなに平坦な道で、一体、何にそれほどタイヤをとられるのか。やはり先程倒れこんできた白い影は、ただの影ではなかったのか。 「裏野ドリームランドには、そういう噂がいろいろとあるんだ。」  缶を再びホルダーに戻し、運転手が口を開いた。  口だけではなく目も見開いた。瞳は赤い。 「君はあのドリームランドに纏わる噂を、いくつ知っている?」  『裏野ドリームランド』。  それは裏野市が有する所謂一つの心霊スポットとというものだ。  片田舎の山の中という『辺境の地』に建つ巨大な遊戯施設。現在はすでに閉園となっており、訪れる者はもういない。  最盛期には百万人を超える来場者があったそうだが、アトラクションでの事故が起こるという、ハプニングに見舞われたこともあった。さらに裏野ドリームランドでは、度々『子供がいなくなる』という噂があり、それが閉園の理由だと言われている。  閉園後もアトラクションなどの施設は満足な解体作業が進むことなく、その場に形を残したままになっている。  まるで、まだ遊び足りないと訴えるかのように…。    ☆★☆  太陽が頂上を折り返したところ。  裏野市の旧商店街に当たる通りを、一人の少女が歩いていた。  年頃は十代半ば。濃紺のセーラー服に身を包んでいる。  女学生だ。  ハイソックスにローファー。高い位置でツインテールに結んだ黒髪が、生暖かい風に吹かれている。 「朝陽…昇様、覚えておいてくださいね。」  裏野市の市街は数年前に整備され、街の西寄りに新たなメインロードが敷かれた。旧商店街通りは今は閑散として、シャッターの下りたビルが目立つ。  傾いた電信柱に、カラスの止まり木と化した電線。ヒビ割れたアスファルト。狭い道路には、車通りもない。 「この裏野の悪霊を。」  人通りの少ない道を、靴音を響かせて歩く女学生。肩にかけたスクールバッグの持ち手を、ギュッと握った。  元はいくつかのテナントが入っていたらしい雑居ビル。その前まで来て、彼女は足を止める。  寂れた灰色の壁を見上げていくと、その上には曇天の空。とても真夏の昼下がりとは思えないほど、周囲は薄暗い。  今にも雨が降りそうだった。 「朝陽探偵事務所…、見つけた。」  雑居ビルのテナント案内板を見あげ、少女は安堵し息を吐く。  ビルの一階は生者の侵入を拒むかのように、固くシャッターで閉ざされている。その傍らには、人一人分ほどの幅しかない狭い階段。  階段の天井には明かりがついているのだが、蜘蛛の巣と埃に包まれて、ほとんど役にたっていない。  その階段を、女学生は駆け上がっていった。  暗い。  階段は上がった先に踊り場があり、折り返し。短い廊下に上がり、そこからはガラリと雰囲気が変わった。  突然、とって付けたように煉瓦風に壁がデザインされ、階段側の転落防止の柵もアンティークな鉄柵に変わる。その先に、丁寧にデザインされたスチール扉。  銀のプレートに、『朝陽探偵事務所』の文字がある。  女学生はその扉のノブを掴み、押した。 「んっ…。」  見かけによらず扉が重い!  と思ったら、扉の向こうで何かが遮っている。五センチほど開いた隙間から覗くと、扉の向こうにダンボール箱らしきもの。  さらに力を込めて押してみると、箱の中に大量の資料が入っているのが見えた。どうやら、向こう側に積みあげられている荷物に、扉が抑えられて開かないようだ。  事務所の人間は来客には気がついていないようで、部屋の中からは話し声が聴こえてくる。 「……悪いなノエル。夏休みに入ったのに、まだ何処にも連れて行ってやれてない。」  部屋の中の人物は、電話で話しているのか、声は一人分しか聴こえなかった。若い男の声だ。 「……あぁ、捜査資料の方はだいぶ片付いたよ。親父の遺品だから、粗末にできないしな。…なぁ、ノエル。この夏はやっぱり何処かに遊びに行こう。」  バサッと音がした。資料の紙束を、ダンボール箱に放り込んだらしい。さらに、あろうことか、その箱を扉の近くに置くのが見えた。  扉がさらに内側から押され、開いた隙間は三センチに減る。 「うう…」  女学生も、負けじと表から扉を押し返す。  これじゃあ事務所の中にすら入れないぞ。 「…不謹慎なんて言うなよ。死んだ親父がここにいたら、きっとこう言うさ。『部屋の片付けなんてしている暇が会ったら、ノエルと一緒に海にでも行って来い!』ってさ!」  スマホを耳に当て、やはり電話で話している様子で、事務所の人間が扉の前を横切った。青いストライプのシャツに、黒のベスト、ネクタイをしている。  事務所の中は木製の床になっていて、その床を踏みしめるシューズが見えた。 「あ、あぁの、あの!開けてくださいませ!」  と扉の外から呼びかけてみるが、声が届かない。  仕方ないので一度扉を閉めて、それから女学生は大きく息を吸った。そして声にして出す。 「すみませぇーん!朝陽探偵に依頼があって来ましたー!」  ドンドンドン!  と激しく扉を叩いた。  今にも崩れそうな古びた雑居ビルが、その騒音でいよいよ破壊されそうになる。それほどの剣幕で、扉にダイレクトアタックをした。  正攻法だ。  その振動と音にようやく気がついたようで、扉の向こう側で事務所内の人間は驚いた様子。 「おわっ!? な、なんだ?」  スマホが耳から離れる。 『探偵さん? どうしたんですか?』  という声が電話の向こうでしているが、それに答え損ねた。電話を邪魔されたことへの怒りか、 「あー、もぉ! 誰だこんな時に!」  と不機嫌になって、事務所の人間は扉の前へ移動する。そこに積んだダンボールを、仕方なく退かしにかかった。  扉を塞いでしまっていた箱を移動させる間も、事務所の扉を叩く音は止まない。  しつこくドンドンやっている扉の外の女学生に、 「はい、今開けますから、叩くの止めて!」  と、事務所の人間が内側から怒鳴り返した。  すると、音はピタリと止まる。  ダンボールの中ははどれも紙束の資料が乱雑にまとめられている。かなりの量だ。どうにかそれを扉の傍らに寄せたらしく、ややあって、事務所の扉がキイッと開いた。 「いらっしゃいませ…! 調査のご依頼ですか?」  扉を開けた事務所の人間は、まだ随分と若く見える。  青年だ。  少しのばした茶髪は、毛先がハネている。この青年が、朝陽探偵事務所の探偵、朝陽輝。 「貴方が朝陽昇様の息子、朝陽輝様ですね!」  対して依頼にやってきた女学生は、嬉々とした様子で言葉を返した。肩にかかるほどの長さのツインテールが、パタッと揺れる。 「はあああ。本物の探偵さんに会えるなんてもう、よまちぃ感激です!」  と、女学生は目をキラキラ輝かせた。瞳はブラウンだ。  その様子に、探偵である朝陽は眉間に皺を寄せた。 「お客さん、親父を知ってるの?」 「はい! ですが、このたびは輝様に依頼があって参りました。昇様の置土産です!」 「は? 親父の置土産?」  全くわからない顔をしている朝陽に、女学生はニコリと笑みを返した。  こうして二人、探偵と依頼人は出会った。  この先、共に怪奇を目撃することとなる運命にある二人。  これが戦慄の一夜の始まりだった。  狭い事務所の中へと招き入れられ、女学生は室内をキョロキョロ。先程まで朝陽が使っていたスマホは、部屋の中央のテーブルに投げ出したままになっていた。  そのテーブルを挟むように、二人掛けのソファが両側に並び、部屋の突き当たりの窓際には、大きな黒いデスク。  部屋を囲むように、資料棚やキャビネットが並んでいる。どれも西洋アンティークだ。 「君、名前は?」  と探偵の朝陽に問われ、女学生は動かしていた視線を朝陽に固定した。デスクにも床にも、たくさんのダンボール箱が散らばり、そこに紙の資料が詰め込まれている。  証拠品や押収品らしき、よくわからないガラクタを詰め込んだ箱もあり、朝陽がそれをどうにか部屋の隅に片付けていた。 「はい。夜中迷と申します!」  その凄惨な散らかし具合を見下ろしながら、女学生…改め迷は、名前を名乗った。  元気はつらつとした少女だ。滑舌もいい。 「ヨナカ…マヨイ…」  一方で朝陽は、その名前には心当たりがあり、ダンボールを片付ける手を止める。  迷に振り返った。 「その名前は確か…」  と言いかける。 「なんでしょう?」 「いや、何でもない。」 「縮めて『よまちぃ』とお呼びください!」  明るく微笑み、迷が言った。  『ちぃ』は一体どこからでてきたのか、見当もつかない。  「……あ、あぁ、まあ、散らかっていて悪いんだけど、ソファにでも座ってくれ。あと、様は要らねぇ。」  だいぶ引き気味の朝陽探偵が返す。  変わった依頼人だ。 「いえ、お構いなく! 散らかっているのは、貴方の父であり警察官だった昇様の、遺品を片付けていらっしゃるからですか?」  わかったように迷が口にして、朝陽は驚かされる。  探偵、朝陽輝。その父親である朝陽昇は、警察官だった。そしてすでに亡くなっていることも確かだ。  警察官になる前から面倒を引き寄せる体質だったこともあり、探偵まがいの事をしていた時期もあったという。  ここはその当時朝陽昇が資料作成や調査の拠点として使っていたオフィスだ。それを今は朝陽輝が引き継ぎ、探偵事務所として使いながら、遺品の整理をしている。 「親父のことを本当によく知っているみたいだな。」 「はい! ですから輝様に頼みに来たのです。よまちぃの依頼を聞いてくれますか?」  ようやく本題のようだ。 「事件の調査か?」  そこで迷は口を閉じる。そして少し躊躇う様子を見せてから、おもむろにまた口を開いた。  ツインテールがふるふる揺れる。 「事件といえば事件でしょうか…。『裏野ドリームランド』に纏わる噂を、調査して欲しいのです!」  裏野ドリームランド。  すでに閉園されているものの、この裏野市では有名な遊戯施設だ。まだ営業していた頃から色々と噂があり、それらはどれも、現実に有り得ない信憑性のない心霊話だった。  こんな何もない田舎町の、その何もない山の中に大きな遊戯施設が建っていれば、それは目立つ。様々な噂話が飛び交うのも自然な話だ。  探偵という仕事をしている以上、朝陽の元には様々な依頼が寄せられる。そして何を勘違いしているのか、心霊の類の調査や検証の依頼を、探偵事務所に持ち込むというケースも少なくない。 「やれやれ…。 学生さんが来たと思えば…。」  この時の朝陽も、内心呆れて言葉を返した。 「あ、バカにしてー!よまちぃを子供だと思ってますね…!」  朝陽の態度が気に触ったらしく、両手で朝陽を指差して、迷が少し声を荒げた。  この迷という名の女学生。自分のことをアダ名で呼ぶところや、その仕草など、まだ幼い子供のような印象を受ける。  しかしそれ以外の言葉遣いは丁寧なところ、『子供っぽい大人』という表現が、一番似合っているか。 「悪い悪い。別に馬鹿にしたわけじゃない。ただ、その、噂は噂じゃないか? 」  裏野ドリームランドといえば、信じ難いような噂話が一人歩きしている、廃園遊園地だ。  田舎の学生が、田舎の探偵事務所を訪ねてきて、頼む依頼といえば、こんなようなものか。交番の駐在でさえ、裏野は平和だと言うくらいなのだから。 「噂なんかじゃないのですっ。」  しかし迷は一歩も引く姿勢を見せない。  ソファの背に手をかけ、身を乗り出す。 「裏野ドリームランドには、絶対に、何かいます!」  わざわざ声をひそめて言った。  ほんの一瞬のわずかな沈黙に、世界が氷結する。事務所の内の空気が、ふいにガラリと表情を変えた。  ピンと張り詰めた緊張感。 「何か……ね。」  ただのオカルト話にしては、迷の瞳は真剣だ。  その表情には疑う余地が無かったので、朝陽はさらに問いかけた。 「何か証拠でも?」  しかしまだ半信半疑。箱を片付けてスペースができたデスクに、ヒョイと乗っかって座り込む。  朝陽のその言葉に、また迷の表情は生気を吹き返した。 「証拠でしたらば、これを見て貰えばわかると思います!」 「おいおい、あるのかよ。」 「裏野ドリームランドに残されていたビデオカメラ…。それがずっと録画していたのです。二人の男性が仲睦まじく裏野ドリームランドを徘徊し、そして何者かに襲われて、連れ去られるまでを……。あああ、よまちぃ困ってしまいます! これは、なんというフェアリーテイル!」  唐突に、早口になった。迷が頬に手を当て体を揺らす。  そしてハートのエフェクトを撒き散らす。独特の世界を持った依頼人だ。 「なんだ、急にハイテンション。」  ツッコむ朝陽。ちょっと引く。  迷は、ずっと肩にかけていたスクールバッグをソファにおろすと、そこから本当にビデオカメラを取り出した。  アタッチメント付きのアクションカメラだ。何かに搭載していたのだろうが、かなり傷ついている。  シルバーのフレームに、ヒビの入ったレンズ。そのカメラ自体が、どこか不穏な雰囲気を醸している。  異質な存在であることを、裏付けるように。 「こんなもの、どこで…。」 「どうぞ、ご覧になってください。そして、そのビデオを見て、裏野ドリームランドを調査する気になったら、今夜、裏野ドリームランドの駐車場跡まで来ていただけないでしょうか!」  朝陽の言葉に口を挟むように、迷がそう言った。  そして両手でビシッとテーブルの上のカメラを示す。強引だ。  この依頼人、どうあっても依頼を押し通したいらしい。 「そんな見たら呪われそうなビデオ誰が見るかよ…。」 「お願いします。輝様だけが頼りなのです。」  迷の目は依然、真剣そのものだ。  そしてカメラを探偵事務所のテーブルの上に残したままで、バッグを担ぎ直し帰宅準備をし始める。  勝手に資料を提供し、勝手に依頼を押し付けて帰ろうとする迷に、慌ててデスクから下りて朝陽は声を上げた。 「ちょ、言うだけ言って帰るのかよ! もっとこう、裏野ドリームランドを調査して欲しいっていう理由とかを明かしてくれないのか。」  警察は犯人に動機を求め、探偵は依頼人に動機を求める。  その言葉を聞いて迷は、扉へ向かおうとしていた足を止めた。  振り返る。 「……それはまだ、内緒です。…それと謝礼はまた後日、成功報酬でお支払い致します!」  と、全く聞いてないことについての解答をあげ、敬礼。  あくまで、この探偵事務所に依頼してきた動機や、すでに亡くなっている朝陽昇との関係については、答えるつもりはないようだ。  焦らされたようで、朝陽は苛立つ。 「いや、聞いてねぇわ!」  朝陽得意の、ツッコミスキルが炸裂した。  聞いてはいないものの、報酬は重要です。 「よろしくお願い致します。朝陽輝様っ。」  迷は可愛らしくウインクをした。シューティングスターを発生させる。とかく依頼を受けてもらうつもりらしい。  そして再び歩き出し、扉を開いて事務所の外へと出る。  唐突にやってきて、依頼だけして帰っていく。その迷の後ろ姿が完全に見えなくなる前に、朝陽はその背に向かって声を上げた。 「ちょっと待てって! 勝手に依頼して帰るなよ!誰が受けるなんて言ったんだ!」  迷が後ろ手に扉を閉める動きが止まった。振り返らずに口を開く。 「……よまちぃは、輝様を信じています。」  ガチャン、と重い音をたてて扉が閉まった。  それと同時に、事務所は外界から切り離される。後に残されたのは、探偵とビデオカメラ。そして、大量のダンボールと資料。  突然やってきた依頼人は、嵐のようにまた去っていった。 「なんなんだよ…。」  真夏の昼下がり。  現実と空想の境目が、陽炎によって曖昧になる時間だった。  『探偵さーん。』  と声がして我にかえる。  しまった。放り出した電話は、どうやら繋ぎっぱなしのようだった。 「あ、悪いノエル。…ちょっと、一瞬変な客が来て。」  慌ててテーブルからスマホを取り上げ、会話を戻す。会話の相手はまだそこにいた。  繋がったままの電話から全て聴こえていたらしく、 『みたいですね。』  と返ってくる。 「って、聞いてたのかよ。」 『聞こえたんですよ。もう帰ったんですか?』 「あぁ、悪かったな。一瞬で帰ったから気にすんな。」  本当に、一瞬で帰って行った。  なんだったんだ。内容が頭に入ってきてないぞ。 『…それで、その依頼受けるんですか?』  電話の向こうからズバリ聞かれて。  少し考える間が空いた。 「どうするかなぁ…」 『悩むなんて、珍しい。』  悩んだら行動しておけばいい、という安易な考えを持つ朝陽が、わざわざ考えるなんて珍しい。  それをよくわかっているので、電話の相手、ノエルはそれをそのまま口にした。  言われた朝陽は面白くない。 「…正直、噂の類をわざわざ調査している暇なんてないんだけどな。だけど気になるのは、あの学生の名前だ。」 『名前?』  ふいにテーブルを離れて、朝陽は片付けたばかりのダンボール箱にまた手をのばす。  しばらくガサガサと紙の束を漁って、それから一束の資料を取り出した。片手で電話、片手に紙束を持つ。 「あの名前、最近どこかで見た気がするんだよ。たぶん、片付けてた親父の捜査資料の中の、どこかで……」  朝陽の手がペラペラと重ねた紙をめくっていく。 『偶然にしては出来過ぎている気がしませんか? そんなタイミングのいい話し…。』  とノエルが指摘したが、朝陽はしばらく黙って検索を続けた。  そういう時の朝陽は、横から口を挟んでも止まらない。それもわかっていたので、ノエルは口を挟まなかった。  やがて、 「これだ。」  と朝陽は声を上げる。 「裏野ドリームランドで起きたジェットコースターのアトラクションの事故。原因を調査した結果をまとめた資料だ。…この時に亡くなった少女の名前が、夜中迷。女子高生だ。」  その名前に気がつくことができたのも、偶然この日に朝陽が資料整理をしていたからだ。こんな偶然も珍しい。  そしてさらに驚かされるのは、朝陽がたった今、資料で確認した事実。 「事故が起きたのは九年前で、その事故によって亡くなった少女の名前が夜中迷。場所は裏野ドリームランド。……そして、ついさっき俺の元に依頼に来たのも同じ名前の学生で、依頼の内容は裏野ドリームランドに纏わる噂を調べること。…偶然か?」  朝陽が眉を寄せる。  何処かで床が軋むような音がした。電話の向こうにいるはずのノエルからも、返事がない。  偶然。  と言ってしまえば終わる話し。  しかし、こんな場所で起こるには、この偶然は重すぎる。  裏野の片隅にある雑居ビル。その中にひっそりと在る朝陽探偵事務所。とっ散らかった室内には、無数の事件の記録が残っている。  こんな世界の片隅で、そんな珍しい偶然。 『偶然であるかどうかは、…探偵さんがこの事件を調べることで、わかるかもしれません。』 「そうだな。」  電話の向こうで出された結論に、朝陽はフッと笑った。  だいたい朝陽が思考につまると、結論はノエルが出す。いつからか、それは二人の間で無言の了解だ。 「じゃあ、早速見せてもらうとするかな。」   裏野ドリームランドを訪れた人間が『何か』に襲われるまでを記録したビデオ。そしてそのビデオを見て調査をする気になれば、ドリームランドの駐車場まで足を運べと、迷は言っていた。  まるで呪われたビデオのように、それは室内で唯一、異様な空気を放っていた。本当にこれが廃園となった遊園地に残されていたのだとすれば、何故そこに残されたのか。  そして、そこに映っているものとは、一体どういうものなのか。  怖い。  だが、見たい。  朝陽も、人並みの好奇心は持ちあわせている。怖いものは見たい。 『よければ、僕にも実況で教えていただけませんか。』  何故か電話の向こうのノエルは乗り気だ。面白がっているらしい。 「しゃーねぇな。」  とかなんとか言いながら、朝陽はテーブルの上のビデオを起動した。なんだ、問題なく動く。  どうやら傷ついているのは表面だけらしく、中身は無事なようだった。触った途端にネトネトしていると思えば、何かが付着して、さらに擦れていた。 (これって…血?)  不審に思いつつも、ペロッと舐めたりはしません。  ペロッ…これは青酸カリ!なんて真似はしない。  ちなみに、青酸カリの単語をググっただけで、某有名推理漫画のヒトコマが検索結果に表示されるよ。豆知識。 「とりあえず、中身を確認するか…。」  嫌々ながらも、片付け途中の散らかった部屋の中、テーブルの上にノートパソコンを準備して接続。問題のビデオの中身とやらを拝見しにかかった。  自転車に乗り、一人旅をする一人の少年。  延々と旅の記録が続く中、早回しをかけているうちに、やがて場面は夜間ロードへさしかかる。  日の暮れた山道。つい先程まで調子よくペダルを回していた撮影者も、不安気に来た道を何度も戻り、同じような道を繰り返し走る。  道に迷ったことは一目瞭然だ。  やがてカメラは暗視モードに切り替わり、撮影者は夜道で一台の車と接触した。  撮影者はやはり道に迷ったらしく、通りすがったその車に、乗せてもらう運びとなった。  カメラは自転車に装着されていたらしく、会話から聞き取るに、それをそのまま車載してもらったようだ。しばらく映像は車内に固定され、会話だけが情報源となる。  撮影者はどうやら、その車の運転手に連れられて、裏野ドリームランドへと赴くことになったようだった。 待ち受ける数々の怪奇に次々と巻き込まれていき、命を削られていく過程が、カメラには黙々と綴られていた。  やがて激しいノイズと共に暗転した映像は、これといった前置きもなく、唐突に途切れた。
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