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自然回復が不可能となれば、人間の手でトビマンボウを増やし、それを自然に帰す他無い。
ところが、トビマンボウを養殖して放流しようという目論みは早々と暗礁に乗り上げた。
人間の手で卵から育てた養殖トビマンボウは、なぜか野生個体のように空へと浮かび上がることができず、陸に上がったただの魚の如くぴちぴちと地面をのたうちまわるだけだったのである。
産卵を控えた野生トビマンボウを捕獲して空中散布される前の卵を回収し、そこからトビマンボウを育てた場合も同様の結果となったことから、トビマンボウ自体の遺伝子に突然変異が生じたわけではないと推測されたものの、いっこうに原因は掴めなかった。
失意に暮れた父はある日突然倒れ、病院に運ばれたものの、結局そのまま帰らぬ人となった。
マンボオールの発見によって一時は富と名声を得た父だったが、その晩年は幸福とは言い難いものだったように思う。
財産の大半をトビマンボウ保護活動に注ぎ込んでしまったため、我が家の生活はいつもぎりぎりであった。また、マンボオール目当てのトビマンボウ漁に一定の制限を設けるべきだと主張した父に対しては、「人とトビマンボウのどちらが大事なのか」「マンボオールの値段をつり上げて儲けたいというのが本音ではないのか」といったバッシングも起こり、家に脅迫状が送られてきたことも一度や二度ではなかった。
微生物を用いたマンボオール産生技術の確立によりこうしたバッシングは止んだものの、前述の通り養殖には失敗してトビマンボウの個体数を回復させられず、また家族との関係でも問題を抱えていた。
私は幼い頃、父に連れられて野生のトビマンボウを見に行ったことがある。ゆったりと空を舞う雄大なその姿に、当時の私はすっかり魅了されてしまった。
そのため私は、トビマンボウ保護活動に入れ込む父の心情を理解できたのだが、歳の離れた弟の冬喜はそうではなかった。冬喜が物心ついた時には、飛行するトビマンボウはおいそれとは見られない存在となっていたのである。
だからというわけではないのかもしれないが、せっかく築いた財産を家族ではなくトビマンボウのために使い、保護活動に忙殺されて家族と過ごす時間もろくにとれず、更には家に脅迫状が送られてくるような事態まで招いた父に対し、冬喜は腹を立てた。そしてついには、家を飛び出してしまったのである。
冬喜の友人を介して、どうやら海外で元気にしてはいるらしいという話を聞くことはできたが、冬喜自身からは連絡一つこなかった。
父が倒れた日のことは、今でもよく覚えている。
運び込まれた先の病院で、意識が混濁した父の口から最後に発せられた言葉は「見えるか、冬喜。あれがトビマンボウの本来の姿だ。美しいだろう? ようやくお前にも見せてやることができた……」というものだった。
父はきっと、幼い頃の私にそうしたように、冬喜にも大空を舞うトビマンボウの雄大な姿を見せてあげたかったのだろう。
父の生き様を思い出すと、信念と家族との関係の間でバランスをとることの難しさについていつも考えさせられる。
父はトビマンボウ保護活動はほどほどに留め、もっと家族に時間を割くべきだったのだろうか?
どうすることが、人として正しい選択だったのだろうか?
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