養殖トビマンボウが大空を舞う日

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養殖トビマンボウが大空を舞う日

 数十年前まで、猛虎斑と言えば不治の病の代名詞であった。この病気に罹患した者は全身に虎斑模様が浮かび上がり、酩酊状態となり、最後は堀や川などに飛び込んで溺死する。  病因が人間を中間宿主、水虎を終宿主とする寄生虫であることは古くから知られていたが、脳内に侵入したこの寄生虫を駆除する方法は長きにわたって発見されず、患者に対してできる処置といえばせいぜいが縛り付けて川に飛び込まないようにするくらいのものであった。  この状況を一変させたのが、トビマンボウの肝臓より抽出される抗猛虎斑物質、マンボオールの発見であった。  年に一度の祭りの際にトビマンボウを食べる文化を持つココロコロネ族の間で猛虎斑が少ないことを不思議に思った一人の研究者がトビマンボウに含まれる様々な化合物の効果を虱潰しに調べた結果、ついにこの化合物にたどり着いたのである。  マンボオールの発見は猛虎斑による悲劇の終焉をもたらしたが、同時にトビマンボウ達にとってはこれが悲劇の始まりとなった。  トビマンボウの飛ぶスピードはゆったりとしたものであり、撃ち落とそうと思えば簡単にそうすることができる。それにも関わらずそれまでトビマンボウが人間の脅威にあまり曝されてこなかったのは、体の大半がガスの詰まった浮き袋で占められていて肉の少ないこの魚には獲物としての魅力が乏しかったためである。  しかしマンボオールの発見以後、これを目当てとしたトビマンボウの乱獲が後を絶たなくなった。  トビマンボウの生息数が年々減っていく状況に、マンボオールの発見者は自らの責任を感じた。そのマンボオール発見者というのが、私の父、鳳春彦である。  父はトビマンボウ財団を設立し、トビマンボウの保護を訴えたが、さりとてマンボオールを求める猛虎斑患者の声を無視するわけにもいかない。父は遺伝子組換え技術によりトビマンボウの遺伝子を持つ微生物を作り出し、トビマンボウそのものの代わりにこの微生物を使うことでマンボオールを作れないかと試みたが、この研究は思うように進まなかった。  トビマンボウの体内において、マンボオールは数多くの酵素が絡む複雑な多段階反応を経て合成されており、またそれらの酵素の中にはトビマンボウ特有の糖鎖修飾を受けているものもあった。そのため、トビマンボウ由来の遺伝子を一つや二つ入れただけの微生物では、マンボオールを合成することができなかったのである。  そして微生物を用いたマンボオール産生技術がようやく確立した頃には、トビマンボウの個体数は自然回復が不可能なほどにまで減ってしまっていた。
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