《衆道・その他の武将シリーズ③》

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さてさて徳川家光様といえば、色好みの家康様を祖父に持ち、乙女衆道をやってのけた秀忠様を父にもつ、生粋の衆道好き殿様であります。 さらに幼い頃より女装をしたり踊りを踊ったりと、少々変わり種なお殿様でした。女嫌いであったとも言われています(^^;; 中でも美少年小姓を女装させて目の前で踊らせるという遊びにたいそう夢中になり… 伊達政宗様も家光様のために選りすぐりの美形小姓を集めて踊りを披露させたとか(^^;; そんな家光様ですが… 47年の人生の中で、手を出した小姓は数知れず… その中でも特に寵愛されていた小姓が2人おりました。 一人目は家光様より5歳年下の堀田正盛さん、13歳で家光様の小姓になったのですが、家光様は正盛のことが好きすぎて、正盛が元服したのちもなお肉体関係を続けていたのです。 一般的に、衆道の決まりごとでは、元服をしたら小姓は衆道関係から解放されるのですが… 正盛は殿様のご所望とあれば断れず、お目付役から隠れながら夜伽の相手をしていたそうですが… ある晩、お目付役にその現場をバッチリ見られてしまい… 正盛は慌てて衣服を整えて部屋を出て行った…という記述があるのでかなりあられもない現場を見られてしまったのでしょうね〜 その後、家光様はお目付役にこっぴどく小言を言われ叱られたという、なんとも苦笑いなエピソードが残っているそうです(*^_^*) そんな正盛さんですが、家光様との絆も深く、異例の出世を成し遂げ、最期は、家光様がお亡くなりになったさい、迷わす殉死します。 主従ってすごいですね(*^_^*) そして寵愛のもう1人は超絶美男子だったと言われ、家光様がぞっこんだった酒井重澄くん。 この子は正盛さんとは違い、超ツンデレ、好かれていることをいいことに家光様に傲慢な態度をとっていたようです。 ある日のお茶会で重澄は家光様の淹れたお茶を投げて捨てます、そんなことをすれば普通なら手打ちになってもおかしくないのですが… 投げた理由が、自分より先に他の小姓へお茶を出したからという… それ聞いて家光様は嫉妬とは可愛いいやつ〜と重澄を無罪にしたり(^^;;とにかくベタ惚れ! 「山賊の折かけ垣のかた思ひ幾たびゆふも幾たびゆふも」(私の気持を何度言いよっても振り向いてくれない、こんなに好きなのに) という家光様の片想いラブレターを重澄に送っていたほど(^^;; しかしながら、重澄の傲慢な態度はエスカレートしていき、ついに家光様に内緒で子作りしていたことがばれ、家光様に備後へ幽閉されてしまいます(^^;; そして重澄はそこで自害、生涯の幕を閉じます。 手打ちにならず幽閉で済んでるところが家光様、やっぱ重澄のことよっぽど好きだったんだな〜ってうかがい知れますね(*^^*) だって、 可愛がっていた小姓が風呂場で別の小姓に抱きついている現場を目撃して、その場で手打ちにしたり…してますから家光様(´Д` ) 逆に家光様ひとすじな小姓もおりました、名を梶定良と言って、この子も見目麗しく家光様に寵愛されたのですが、1番の寵愛でなくとも不満も言わず…さらには結婚もせず、家光様没後は地位も財産も受け取らず40年以上も、ただ家光様の墓を守って亡くなったと言われています。 小姓の人生のも色々ですね(*^^*) 家光様は色々衆道関係はお盛んでしたので話が長くなってしまいました(^^;; ここまで読んでくださってありがとうございます(*^_^*) 時間と気力があれば…他の武将も知ってるので書いていけたらなと思います(^^;;お付き合いありがとうございました!
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