「や ゆ よ」 

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消えた『や・ゆ・よ』 お爺から聞いた話です。「日本が元気だったころ、とついつい口にしてしまうな」と、お爺は今の日本があの頃に比べて元気が無いとか悪いのかというのとは違う、ほどよい成長過程にあるのだろうなと言います。     いわゆるボケ老人ではなく、老人会でも活発な方で、率先して行動をし、他を寄せ付けぬ言動力に老人会の女子に頼りにされています。十代の頃に運動能力の高い男子に人気が集まるのと似た作用で、老人会でも体の動く範囲と速度で人気が集まります。そして、いずれ幼子のように似る時が来るのかもしれません。そう考えれば、人生は三つの輪の中で構成されて堂々巡りを繰り返していると考えてもさぞおかしくはないと思います。    お爺は誇張した人です。おしゃべりが大好きで、一度引き寄せた人をなかなか離そうとしません。お爺は悪意のある話はしませんが、ごくたまに戦争の話をします。「本当の戦争はひとつ。第一世界大戦だ」が口癖で、日本が敗戦国になった第二次世界大戦は毛嫌いし、戦犯になった人間の名を聞くと気分を害してしまい、老人の集まりに顔を出さなくなるのです。戦後の復興の話が十八番でお爺自身、危ない橋を渡りながら一代で大金を掴む才覚を発揮していた時期があったようですが、今のご時世に昔の名残はなく、ごく普通の一般家庭の暮らしに落ち着き、「この暮らしも悪くない。我が人生を振り返れば波乱万丈だった、ようやく手に入れた安静の時間」と遠くを見るのです。老人会の方々に家族と、お爺の話は誇張され、多くの嘘が盛られているのは知っているのです。  話すことが生き甲斐で、人を傷つけず、面白く笑わせてくれ、さりげなく人生の教訓を織り交ぜる術は、総括すればかけがえのないお話なのです。ですから皆、嘘を追求せず、そればかりか、話をしてくれるように促す次第です。    これはそんな私の大好きなお爺が話した中でも際どい一話です。発端は「絶対になくならないもの」ということを当時、小学四年生で同い年の幼馴染のカンちゃんが父親の仕事の都合で遠くに引っ越すことが決まり、離れ離れになる前にカンちゃん一人で私の家に泊まりに来た夜のことです。 私らはお爺と濡れ縁に座り、線香花火をした後にスイカを食べながら「失わない友情」について語り合い、両親がそろそろ寝るようにと様子を伺いに来た時に、私とカンちゃんのまだ眠りたくないという気持ち、今晩、眠ると朝を迎え、長い間、もしかしたら一生、遊ぶことができなくなるかもしれないという気持ちが前面に出ていたのを、少しお酒を入れていたお爺が察したのです。お爺の研ぎ澄まされた勘はたまに人を驚かせることがあります。私を筆頭に、両親、カンちゃんもお爺が話す不思議な世界に引き込まれていました。 嘘か誠かわからない話ですが、お爺は私とカンちゃんの淡い幼心を癒すために話してくれたということは覚えておいてください。
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