仲間と作業場

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仲間と作業場

「いいじゃんそれ。かっこいい。あまり無駄な装飾をするのは好きじゃないけど。そのくらいならいいかも」   ノアの実家には職業バイクレーサーだった父親マシューが利用していた広々とした車庫があり、そこを改造して住処にしている。四人掛けソファー、冷蔵庫、洗面台完備に簡易ガスコンロが二つ。隣接している応接間に二人掛けソファー、テレビそして机にベッドと暮らすには充分すぎる理想郷を手に入れている。 裏口を開け、中庭を歩けば母親真理が暮らす二階建ての家がある。マシューはレーシングチームに帯同するために現役時はあまり家に帰ってこられなかったが、引退直後はしばし家族水入らずの時間を楽しんだ。だけど、長男の事故死を境に誰にとっても居心地の悪い家になってしまい、父親はかつて所属していたレースチームの裏方として働くことを志願し、結果、今度は全く帰ってくることがなくなった。 真里は元々、バンド好きな明るい性格だったが、溺愛していた長男、健一の死で塞ぎ込むようになってしまった。ノアは食事洗濯、家事全般、自分のことは自分でやるようにし、あれこれと日常を忘れる作業場を求めていたら必然的に車庫にいる時間が長くなった。わずか一分の家と車庫を何度も行きするのが億劫になり、車庫を快適にリフォームした。二台の愛車と四六時中いられる幸せはいいのだが、オイルの匂いが充満する車庫に遊びにくる友達は限られてしまった。 四六時中グレーのつなぎの作業着姿に、紫に染めた背中までの髪を束ねたり解いたりキャップを被ったり。父親の血を引いた色白の肌に茶色の瞳。母親からの遺伝子、百六十三センチの上背はバイカーとしては華奢な体型。十五を過ぎてようやく女性らしい発達がみられるが、本人は鬱陶しく感じている。勝気ではあるが、男勝りという感じでもない。実験的料理が得意で三割の確率で傑作が生まれるも、同じ味を再現できるのはさらに確率は絞り込まれる。家事全般を手際よくこなし、母親を気遣い愛している。 ノアが最も信頼するのが彦兄と呼ぶ、彦丸。健一の兄貴分的存在であった。ノアの家族がこの地に引っ越して来たときに近所の公園で最初に仲良くなったのがきっかけで、様々な遊びを教えてくれ、健一とは男同士の秘密をシェアしていた。遊びを教えるのが上手。持頭がいい。人の興味を引くのがうまい。何度かマシューと会って機械いじりを経験し虜になり、以来、この車庫が遊び場となった。大学を一年飛び級で卒業し、エンジニアの会社と契約し好きな機械いじりを生業としていけそうなのだが。 この日、他にノアの車庫に遊びに来ているのは十八になったばかりのサンドラ。バイトを掛け持ちしながらアーティスト活動するタフネス。芸術活動全般に手をだす器用貧乏な所があるが、広い人脈を持つ。バンド活動が優先順位トップで、それも二つのバンドを掛け持ちする。タフネスを欲する同性から指示を受ける。ミスマルチタスクで、集中できる場所としてノアの車庫を訪れて作曲をする。 古びた単車の外装を勝手にデザインしノアに見せている。   「そうかあ?オシャレかもしれないけど、ノアには合ってない」 「オシャレが似合わないと言われていると一緒だね」 歯に衣着せぬ物言いをするのはダイと呼ばれているアジア系の二十歳の男。二歳になる黒人とのハーフの子を負ぶっている。元女房は、イケイケで威勢がよかった元悪ガキのダイに惹かれ、互いに十八で結婚し、子供を授かったが産まれてから勢いだけではままならない生活の現実を目の当たりにし、母親は蒸発、男一人で息子ラッセルを育てる。ラッセルは滅多に泣かない。 「油汚れの作業服がお似合い。近くにマーケットがあるのも良くないな。あれが、もう五キロ離れていればノアも着替えて帽子ぐらい被って行くんだろうよ」   「離れればバイクで移動すればいいでしょ」 ノア、彦丸、サンドラ、ダイ+ラッセルが車庫に集まる定番メンバー。 母屋には年老いたブルドック、バンクスがいる。若い頃は顔をしかめて威嚇することもあったが、威勢とは真逆に気が優しく、油の匂いが苦手であまり車庫には来たがらない。だが、ノアのことは好きで懐いている。真里の癒しでもある。 ノアは食事時には母屋に出向き真里と二人でご飯を作り一緒に食べる。ノアは、今は食事を一緒にとり、家事をするくらいが大好きだけど、どう接していいかわからなくなってしまった母親との絶妙な距離だと思っている。 近隣迷惑を考え防音にしてある車庫だが、エンジン音はどうしても外に漏れる。真理はもうエンジン音はこりごりなのだ。ノアは大好きな母親に悪いなって思いながらも、家をほったらかしの父親の事も大好きで、憧れている。特に、車庫は健一と共に機械いじりをしていた一番楽しい時間が詰まっているので思い出深い。そして、あの頃はたまに帰って来る父親に子供らが懐いている姿を微笑ましく見ていた母親の姿もこの車庫にはあった。 マシューは超一流というわけではなかったが、腕と勘の優れたレーサーだった。気難しさはなく、単に多忙すぎて家族を省みることが出来なかった。だが、家に帰れない時は必ずネット家族会談をする時間を設けていた。実は今も、ノアは自分が家に居ない時に真里とマシューは二人でネット会話を楽しんでいるのを知っている。そのことを知って、そこまで不幸というわけじゃないと考えられるようになった。 マシューはバイクが好きすぎた結果、引退後もバイク、バイク、バイク、レース、レースと考え、息子の健一に心血を注いで楽しみ方を教えた。ついでに覚えのいい、近所の気のいい少年、彦丸に機械いじりを教え込んだ。彦丸の親は熱心すぎるマシューを警戒し、勉学に励ませるために引き離しに試行錯誤したが、彦丸は成績が落ちることがなかったし、機械いじりで道理を学ぶことで勉強のノウハウもさっさと覚え、人よりも効率よく学科を習得することが出来た。結果、親は彦丸を高額な学習塾に通わせる必要がなくなったのでよしとした。 「どうするの?このイメージでやる?」 作曲のページとデザインのページを交互に開け閉めしてサンドラは指を鳴らしている。 「小さめにワンポイントにして」 「オッケー」 「ペイントは来週ね。今日は曲を終わらせるわ」 「いつでもいいよ」 「ラッセル。漏らしたんじゃない?」 強いオイルや塗料の匂い中で嗅ぎ分けるのは至難の技ではない。 「っぽいな」 だが、慣れたもので四人は嗅ぎ分ける。 「ごめん。彦。取り替えてくれるか?俺今、モーターから手が離せない」 ダイは自分の単車を改造中。慣れたもので、彦丸は渋ることなくラッセルの下の処理をする。ラッセルもご満悦。 「五番手ぐらいには入りたいな」無理な体勢からダイは明日の夜に行われる路上レースへの意気込みを言った。 「どーだかね。ダイは大体、二十くらいじゃない?」一足先に整備を終えたノアが腰に手をあて車庫全体を見渡す。 「ダイがだいたい。いいね、それ」制作に集中するとサンドラはオヤジ化する。それを皆で無視する。 「私は無難に十くらいってとこかな。マジで最近、昔の走り屋勢が凄いからね。特にお父の世代の馬力!!初見のコースであそこまで踏み込めちゃうんだから。」 「警察は?」 「どうだろうね。今はファイナンシャル区と市議会警備で手薄じゃないか?」彦丸は明日、出陣用に四人で着る「N‘s」チームロゴ入りライダースジャケットに袖を通した。 チームとしているが、ライダーはノアとダイの二人。彦丸はメカニック、サンドラはデザイン担当。全員が暇だった頃に集まり始め、憂さ晴らしを理由に夜の無法地化したレースに全員で参加し、いつの間にかチーム意識が芽生えた。ジャケットはサンドラのデザインで作ったのものだが、自由主義のノアは一致したものを着たり、所持したりすることに気乗りしなかったが、サンドラは好奇心で作り上げた。着るか着ないかは自由。本当は健一のメモリアル用に「K’s」にしようと思ったが、それだけはやめてくれとノアに頼まれて中止した。それから勝手にサンドラはいくつもデザインしてグッズを生産するが、結局、最初の作品をみんな好んで着ている。 「ラッセルお腹空いてんじゃない?」 「だな。不機嫌になっている。そこのそれにあれをこれだけいれてっ」 「どこのどれになにをいれるんだ?」ダイの指示に彦丸は反応できなかった。 「何言っての?この便にこれを入れてかき混ぜて少しずつあげるんでしょ」ノアがダイのバックから瓶二つを発見しとりだした。 「おもしろい。それいいね」 「なあ、ノア、俺も腹減ったぞ。どうする?」 「彦兄は?」 「まあまあ」 「そっか。今日はレースだから面倒だな〜」 「じゃあ、デリバリーだな。俺中華!」 「賛成」 「イタリアン」 「なんでもいい」 民主的にこの日の早い夕食は中華に決まり、社会人の彦丸が六割払い、残りを分担するいつもの仕組み。飯食って、解散し、次の日を迎える。
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