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「珈ヒーは美味」
瀬波穂香には好きなものがたくさんある。
音楽にアニメ、読書にお菓子、それにお昼寝お風呂に街ブラにビール。え、もっとないかって? うーんとえーと……。あ、ありました!
瀬波穂香は珈琲が好き。
それこそ文庫本を片手に喫茶店へ入ることもしばしば。店内に入れば珈琲の芳ばしい香りが鼻孔をくすぐり、コポコポと粉末状の豆に注がれるお湯の音がたちまち顔をふにゃふにゃにさせる。小さく聞こえるジャズの音も可愛げがあってイイ。
珈琲は基本何でも好き。ホットでもアイスでも、ブラックで飲むときもあれば、お砂糖ミルクを入れて甘トロにして飲むときもある。ブレンドもアメリカンも大大大好き。違いは分からないけど、美味しいのは分かる。
そんな珈琲好きな私でも苦手なコーヒーショップがある。それは今まさに会社の後輩ちゃんに誘われて入った、緑と白で彩られ、ギリシャ神話に出てくる人魚をモデルにしたロゴの世界規模で展開しているお店。
入店するなり、緑のエプロンをつけた美男美女が一斉に「いらっしゃいませ」とさわやかスマイルで私を歓迎してくれる。嬉しいけど、緊張で顔が引きつってしまう。
レジの前には数人が並んでおり、イートインの机には勉強している学生やかっちりスーツを着たサラリーマンがリンゴマークのノートパソコンをぱちぱち打っている。
後輩ちゃんの糞のようにくっついて美女がてきぱきと捌いている列に並ぶ。(飲食店!)お姉さんの捌きは見事なもので、あっという間に私たちの番になった。
「じゃあ、私はダークモカチップクリームフラペチーノのトールで」
「かしこまりました」
そつなくオーダーをする後輩ちゃんの背中が逞しく見える。
「先輩はどうしますか?」
急にクリクリお目目が振り返って尋ねてくる。私は恐る恐るメニューを見て目を見張った。
メニューにはバタースコッチにオーツミルク、さらにアーモンドミルク、アールグレイアフォガード、そのほかにも見たこともないおしゃれな横文字がずらりと並んでいた。
さらにこの店はサイズの名前が独特。グランデ、ベンティ―? 初めて聞いたよ! 私の知っているサイズは大中小かSMLの大体三段階。どうして日本語は大から小なのに、英語だと小から大になるのだろう。いやいや、そんなことは今どうでもいいお話。
新手のサイズに驚くがここは後輩ちゃんの前、私はあごに手を当てて余裕をもってじっくりメニューを眺める。本当は背中に冷や汗がいくつも流れていたなんて言えやしない。
無難にコーヒーを注文しようと思ったけど、せっかく来たのだから変わったものを頼みたくなるのが瀬波穂香。
悩んだ末、メニューを指さして注文する。
「エスプレッソで」
きっとね、きっと喫茶店にもあるはずよ、エスプレッソ。でも普段は飲まないし、でもでも後輩ちゃんみたくいきなり冒険はできないからエスプレッソ。私のちょっとした日帰り旅行。
「先輩、大人ですね!」
「ま、まあね」
エスプレッソは大人なの? そこらへんもよく分かっていない。
それでも注文できたことに満足満足。この困難を乗り越えたらこっちのもんだい。
「サイズはソロとドピオのどちらになさいますか?」
「ソロ? ドピ……?」
痛恨のミス。まだサイズを言っていなかった。
しかも他のものは大概ショート、トール、それから規模未知数のグランデベンティ―なのに対して、私が頼んだエスプレッソは全く異なるサイズの表現をしていた。ハン・ソロとドミノなら知っているのに……。
いくら変なことを考えていたって店員のお姉さんはにこにこ笑顔を崩さない。さすが人気コーヒーショップのお姉さん。
「じゃあ、ソロで」
内心ドキドキ、見た目はスマート。
後輩ちゃんの分までお金を支払った後は隣のカウンターで注文した『エスプレッソのソロ』を待つ。店員のお兄さんとお姉さんがカップに氷を入れたりメッセージを書いたりと忙しなく動いている。私のはどれかしら。
「エスプレッソのお客様」
「はい」と挙手して店員の前に行くと、彼女は微笑しながらカップが載っているソーサーを私の前に出す。
「お待たせしました。ごゆっくりどうぞ」
お礼を言って後輩ちゃんと二階へ上がる。二階も結構席が埋まってはいたけど、テラス席が空いていたのでそこに座った。
「先輩ごちそうさまです!」
後輩ちゃんは手のひらからはみ出すくらいのカップを手に取り、クリームに刺さっているストローで美味しそうにチューチュー飲む。
私はもう一度目の前のカップを見つめる。
「……小さい」
私が頼んだ『エスプレッソのソロ』は、親指と人差し指で取っ手をつまむほどの大きさでしかなかった。昔遊んだおままごとのカップみたい。
しかし、これも旅行の定番。旅先では何が起こるか分からない。
慎重に持ち上げて、唇を尖らせて人すすり。
ゔぉー、苦い。そして熱い。
後輩ちゃんが大人という意味がやっと分かった。今度はより慎重にすする。
苦い、でも香りがいい。
三口目は思い切ってクッと飲む。
苦い、でもビターで濃厚な感じが舌に残って美味しい。クセになるおいしさ。
これも旅行の定番、予期せぬことが必ずしもアクシデントとは限らない。
後輩ちゃんはチューチュー、私はちびちびクッを繰り返す。あっという間に飲み終えた私はかちゃりとカップをソーサーの上に置く。あー美味しかった。
エスプレッソのおいしさに気づけなかったとは、これまで私はどれだけの時間を無駄にしてきたことか。
珈琲とコーヒー、どちらもすごくおいしい。
また来ようと考えたがまだ一人では心細いので、あと二、三回は後輩ちゃんを連れて行こうと決めた。そのためなら二倍のお金でも払ってやるさ。
「先輩、また来ましょうね!」
舌一面茶色になった後輩ちゃんの言葉に強く頷いた。
今後もよろしく後輩ち、いや、後輩先輩。
瀬波穂香の好きなものが一つ増えた。ある一日。
~次回のヒント~
ぽっぽ、ノックダウン!?😱🤒🤢
今回も読んでくださり、ありがとうございます。楽しんでいただけましたでしょうか?
これからもよろしくお願い致します☺️
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