セイゼンノカノジョ

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セイゼンノカノジョ

 僕は今日も通います。腕には花。いつの日か忘れてしまいましたが、彼女が「好きだ」と言った花でした。  僕も彼女の言葉を聞いたときは、納得してしまいました。単に好きなもの、というだけで頷けるかどうかとは、変に思われるかもしれませんが、しかしやはりその花は彼女に相応しいと思うのです。僕は、彼女がどんな人かと問われれば、迷わず彼女の好きなこの花に例えるでしょう。それくらい彼女と今手に持つ花は似つかわしいのです。  その花は、華奢で気を抜けば花托から折れてしまいそうな弱々しい体つきで、だけどしっかりとした弾力としなやかさを持っています。透き通った白い花びらは、今にも消え入りそうな雰囲気を醸し出しています。しかしながら、自らの重さに頭を垂れることなく、四方に向かって咲いているのです。(がく)から迷わず伸びた白い花弁は、先でくるりと一周させ、面と向かわなければ、中で仄かに輝く花の美しさを見せてはくれません。  全くなんて彼女らしい花なのでしょう。貧相な、しかし確かに生をもって、対峙しなければ内に秘めた美や力強さなんて見えやしない。外見の脆さに身も心も油断してしまいます。  僕は、最後に会った彼女とこの花を重ね合わせほくそ笑みました。  扉を開けると、初夏の香りが走り去っていきました。あとには、いつもの無機質な匂いだけが残ります。  はて?──ああ。  疑問はすぐに解消されました。窓が開いていたのでした。だだっ広い空間の唯一の窓から、カーテンをゆらゆらとなびかせる風が、外の匂いを運んでいたのです。 「あら? 今日も来たの?」 「ああ。今日は、君が好きな花を持ってきたよ」 「ふふっ、よく知ってるわね」 「君が言ったのさ」  そして、お互いに静かに笑い合う。  そんなやり取りをしよう、と思っていました。しかし、そこに彼女はいませんでした。  僕は近くの椅子を窓際に寄せ、外の風景を楽しみながら待つことにしました。  彼女はいつでも居るというわけではありません。ついこの間も、彼女が近くを散歩している時に訪れました。そのときも、こうして先に部屋で彼女の帰りを待っていたのです。  別に待つことが嫌いなわけではありません。寧ろ、僕の生涯はほとんど待つことが多いのですから。ですが、今回ばかりは彼女に居て欲しかったなと思います。我儘(わがまま)かもしれませんが、花瓶に差した花を見つけられるよりも、僕の腕の中にある花を見つけられる方が少しだけ嬉しい感じがしたのです。  僕は、その花を空っぽの花瓶に差すことをすぐにやろうとせず、少しのあいだだけ腕の中に置いておこうと思いました。もしかしたら、彼女が早いうちに帰ってくるかもしれませんから。  窓の外から生き生きとした色が目に飛び込んできました。鳥や虫の音、子供たちの声も風に運ばれてうっすら聞こえてきます。 「──ふふっ」  と、思わず笑みが溢れてしまいました。こんなにも自分とは程遠い感情に胸の奥がむず痒くなるのを感じました。彼女と出会って、僕の世界は色を持ち始めました。遣ること為すこと、色の無い事ばかりですが、今ではこうして窓を隔てた向こうの色を共に笑い合えるのです。 ──ビューー    突然の強い風に窓から目を背けました。僕は、視線の先の大きなベッドのある事に気づきました。いや、いつも彼女はそこにいるので、ベッドがある事は知っていたのですが、いつもよりも整えられている事に気づいたのです。まるで、新しい人を待っているかのように、シーツや毛布が片隅に畳まれ、マットは消えてベッドの骨格だけが寂しく残されていました。  僕は、ふと手もとを見やります。 ──ああ、そうか………。  僕は、恐ろしいほどに何も感じませんでした。ただ、“事を為した”だけ。それは自分の手ではないにしろ、そう思いました。  僕は席を立ち、窓の外を一瞥すると、手に持っていた花を渇いた花瓶に差しました。  ドアの手前まで来たとき、もう一度部屋の中を見渡しました。風は、脇のカーテンを揺らし、花瓶の中の枯れた花も揺らします。その風は、僕の頑固な心もくすぐるように撫でていきました。それは、なんにも感じなかった心を懐かしさや悲しさや虚しさなどを一緒くたにして胸をむず痒くさせました。  花瓶の方を見ると、僕はその花が枯れてもその花らしく美しさを保っている事に気づきました。改めてその花は彼女らしいと思うのでした。
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