魔導師とドラゴンのマリー

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魔導師とドラゴンのマリー

「少年ーー、約束通り、カナトスの皇子と従者を連れてきた」  スフィンクスは抑揚のない声で赤毛の少年に用件を伝える。 「ご苦労、これは魔導師様からの駄賃だ」  少年は威張りくさった態度で、スフィンクスの腰に提がっている革袋に数枚の金貨を入れた。 「二人とも、入ってくれ」  小屋の中は粗末な板を打ちつけただけのテーブルと食器棚にブリキの食器が数枚あるだけで、殺風景な部屋だった。いつでも引き払うことのできる仮住まいであると窺えた。 「二人とも剣を預かる」  少年はつっけんどんに手を差し出した。 「それは無理というもの」  サー・ブルーは強い口調で拒否した。 「では、そなたは立ち去れ」少年はふてぶてしい態度をとる。 「それもできぬ」 「では、プロフェッサー様に取り次ぐのをやめにしてよいのだな」  タイガは腰につけていた自分の剣を差し出した。 「サー・ブルーもお前も預けよ」 「皇子、罠かもしれません」 「罠であれば、先ほどの劇場で襲ってきたはず。そうは思わぬか?」   事実、あの開けた場所で矢を放たれたら、隠れ場所などなかったのだ。タイガの言葉にサー・ブル―しぶしぶ従うのだった。  いきなり食器棚がぐるりと回転した。奥から白い髭を蓄えた老齢の男が出てきた。節くれだったその手に、金色の鳥籠がぶら提げている。だが、鳥籠といっても名ばかりだった。七色に光る生物がパタパタと飛びながら、籠の中を出たり入ったりを繰り返していたからだ。もっとも正確にいえば、籠のシードが広いためにその生物の出入りは自由だったのである。 「これこれ、マリーやもう少し大人しくしてくれんかね」  草色のローブに、首からクリスタルのルーペを下げている。その風貌から老齢の男は魔導師プロフェッサー・バトラーその人だと思われた。タイガの横で控えるサー・ブルーは、この奇妙な状態に言葉を失っていた。 「もしや、飛び回っているのは、ドラゴンの子供ですか?」タイガは老齢の男に話しかけた。 「いかにも。これなるものは、七色ドラゴンの子供。死の淵にあった母親から盗み出した卵を、弟子のアーロンが一年をかけて孵化させたのじゃ」  タイガたちを出迎えた赤毛の少年の服装も草色だった。首からルーペを提げたさまは魔導師そっくりだった。孵化させたのは自分だとばかりにエヘンと咳払いをした。  小さなドラゴンはパタパタと飛び回り、魔導師の服に噛み付いたり、引っ張ったりを繰り返した。やんちゃなドラゴンに手を焼く魔導師は自分がプロフェッサー・バトラーだと名乗った。「――して、こちらが皇子様ですな」タイガに向かってうやうやしくお辞儀をする。 「私はカナトス王国の皇子タイガ・リオンと申す。父王より魔導師様にお目にかかるよう申しつかりました。それから、控えるこの者はナイトの一族、サー・ブルーと申す」  サー・ブルーは胸に手を当て挨拶をする。 「なんとも立派に成長あそばされた。また、このような場所に皇子を呼びたてまして誠にかたじけなく思っております。お父上のリオン十二世とは旧知の中でございますからな、実は赤子だったタイガ様にもお目にかかっているのでございます。本来なら王様の元に登城するのが筋というものですが、なかなかの多忙につき叶いませぬ。して、皇子、お母上はお健やかにお過ごしかな?」  魔導師は親しげな笑みを浮かべた。    側室の子であるタイガにとって、母は二人いる。いわば生みの親と養母。この場合、正室の話をするべきである。タイガはクレア妃の話をした。 「王妃様は健やかだと聞いております。ただし、何分(なにぶん)にも辺境の地より参りましたゆえ、最近のご様子は分かりかねますがーー」  もっとましな言い方はだできなかったろうかと、心の内で苦笑いを浮かべた。これでは母親と不仲なのが丸出しではないか。あの冷徹な微笑。王妃の顔を思い出すだけでも心が冷えるのだ。馬鹿正直すぎる自分にタイガはいささか呆れるのであった。  プロフェッサー・バトラーは質問しておきながら、王妃にはさほど興味がなかったようだった。 「王妃様のご健康は誠にけっこう、けっこう」それからつづけてこうも言った。「タイガ様、言葉足らずで許されよ。お聞きしたかったのは実の母君のほうでございます。レーテル様はご健在ですかな?」  プロフェッサー・バトラーが実の母について口にした真意を測りかねた。なぜなら、城中においてタイガの母の話はタブーであるからだ。レーテルは、身分は極めて低く、農園の娘だと聞かされていたからだ。王が鹿狩りの拠点として滞在した貴族の館で、お手付きとなったレーテルが王の子を産んだ。だが、クレア妃の嫉妬により、城に入ることは許されず、離宮に留め置かれた不遇の()であった。   「ここ数年はお会いしておりません。ですが、従者より母はオーブ城で平穏に暮らしていると訊き及んでおります」タイガは言葉を選んで言った。 「タイガ様、そう警戒召されるな。レーテル様がご無事であるのかが極めて重要であります。なぜなら、王と母君と引き合わせたのはこの私なのですから」  魔導師ははぐらかすように笑うと、ほい、ほれ、などと掛け声をかけながら、飛び回る子供のドラゴンを捕まえようとした。  この世に生を受けるにあたって、魔導師が関与していたとは。タイガはまんまとしてやられたような気分になった。ともかく、政敵の多いタイガを慮る父王が魔導師に引き合わせたかったのだろうか? この謎めいた瞳は、この先の起こるであろう出来事の先の先、万物を見通す力を宿しているように思えた。    いずれにしても二人の母は、タイガにとっては遠い存在だった。タイガにとってこと母親としてしっくりくるのはむしろ乳母のほうにほかならない。乳母のミルドレットはサー・ブルーの実母でもある。したがってサー・ブルーは乳を分け合った乳兄弟だといってよい。それゆえに、三歳年上のサー・ブルーのことは血を分けた兄以上に近しい存在だった。
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