魔導師とドラゴンのマリー

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小さなドラゴンは老齢の魔導師の手を逃れ、部屋をパタパタと飛び回る。翼をホバリングさせて天井の梁に移動すると、手の届かないところで四人を見おろした。とうとう見かねたアーロンが、壁に立て掛けてあった虫取り網を手にした。ぴょんぴょんと飛び跳ねながら捕獲を試みる。網を振り回しては、空振りするのだった。 「タイガ様、あれはなんというか……ドラゴンというより、トカゲに翼が生えたみたいではありませんか」  サー・ブルーの言葉にタイガは鼻で笑った。 「こら! マリーを侮辱するな。彼女は言葉が分かるんだぞ。女と同じで、すねたら厄介なんだからな」  アーロンは髪色と同じくらい顔を赤くしながら声を荒らげた。 「これこれアーロンや、客人に失礼であろう」  プロフェッサー・バトラーは弟子を窘める。 「弟子が怒るのは無理もない。サー・ブルーよ。マリーとは実に響きのよい名前ではないか。それに七色の鱗は、きっと美人の証に違いない」  タイガは天井に向かって手をかざす。すると子供の虹色ドラゴンは、まるで小鳥が木の枝に止まるかのようにタイガの指に翼を休めた。黒いビーズのような瞳をキラキラさせながらタイガの目を覗き込む。それから薬指にはめた白金のドラゴンが巻き付く指輪に頬ずりするのだった。クーと鳴き声を発すると、天井に向かって小さな炎を吹いた。 「はっ!見よ、サー・ブルー。なんて可愛いやつ」  呆れ顔のサー・ブルーをよそにタイガは無邪気にはしゃいだ。これにはプロフェッサー・バトラーもアーロンも驚いた。 「皇子、子供のドラゴンはかくも弱々しく、非常に警戒心が強いものでございます。初対面の皇子にこれほどなつくとは。いやはや、マリーはタイガ様に一目惚れしたのでございましょうな」  老齢の魔導師は破顔した。一方、アーロンはなんとも面白くなさそうな表情で顔をそむけた。 「これで話は決まりましたな」 「と、言うと?」 「マリーを連れ帰っていただく」  あっと叫んだアーロンは息を呑み、首を横に振る。サー・ブルーはすかさず言った。「王様の密命とは、もしや、この子供のドラゴンを我が国に持ち帰るということですか?」 「いかにも。もはやドラゴンの個体数はほんの一握り。絶滅に瀕しておる。マリーをカナトス王国に連れ帰り、お国のドラゴンに娶わせたいと考えております」 「我が国のドラゴンですと?」  タイガは声を大きくして言った。 「王様が匿っておられる、#漆黒__しっこく__#のドラゴンです。ただし、翼に飛ぶ力は残っておらぬと訊き及んでおりますーー。」  漆黒のドラゴンはカナトスの国旗に描かれている。まさか父王が本物のドラゴンを隠し持っていたとは初耳だった。タイガは白金の指輪に刻まれたドラゴンの彫刻とマリーを見比べた。 「何故、飛べなくなるまで衰弱を?」 「タイガ様は冥府の女神をご存知かな?」  タイガは幼い頃に観たオーブ城にある絵を思い出した。連作の絵は『反映』と『滅亡』の二作があった。絵の意味について母が語り掛けたのをおぼろげに記憶している。死の女神は人間界においては老婆の姿で現れ、時に絶世の美女に姿を変える。人間の男を誘惑の限りを尽くし、堕落させるのだと言った。むろん当時のタイガにとって堕落の意味は今ほどよく判っていなかった。 「もしや、ペルセポネですか?」  プロフェッサー・バトラーは頷いた。 「一緒に巨人の魔物も描かれておりましたが……」 「東方の大陸におる四精霊のうちの一精霊じゃ。死魔と呼ばれ、人の形をしておる。メリサンドの首都を一夜のうちに滅ぼした。仲間を失った漆黒のドラゴンは、気力が失せたのかもしれない。従って、マリーの存在が頼みの綱である」  母がなぜそのような絵を所有しているのか。それとも父王が描かせて、オーブ城に飾ったのだろうか。タイガに新たな疑問が湧いた。その事を質問する前にサー・ブルーが口を挟んだ。 「娶せるにしても、このドラゴンはまだまだ子供ではありませんか」 「騎士どの、ドラゴンは普通の生物ではない。現に人間とも交わっているのがなによりの証拠」  マリーはタイガの肩に乗ると栗色の髪を#食__は__#む仕草をした。そのようすを見たプロフェッサー・バトラーは満足げに、目を細めるのだった。 「タイガ様、私は死の女神と死魔を追い払う方法を探りたいと存じます。皇子様は、残されたこの小さき命をお守りくだされ。ドラゴンは必ずやお国の繁栄をもたらし、しいては、タイガ様、ご自身ため、この子の力はあなた様を強固になさる」  魔導師の踏み込んだ発言にサー・ブルーは表情を硬くした。 「#兄弟子__あにうえ__#そう険しい顔をするな」 「魔導師殿、私にその気はありませんよ。我が国には、すでに王位を継ぐ皇太子がいるのです。昨年、皇太子に皇子が生まれました。国の安栄のために、不用意な発言は控えていただきたく思います」  タイガは穏やかに言いつつも、藍色の瞳は厳しい眼差しを向けた。 「アーロン聞いたか? 己を知るとはこのことぞ」  不服そうな顔をした弟子は口をとがらせ、首をひねるばかりだった。 「こやつめ、マリーがタイガ様に懐いておるから嫉妬しておるな?」 「魔導師様そんな後生な、違います!」  アーロンはムキになって言い返した。 「そろそろ遊びはしまいにするとしよう」  タイガはそう言って、マリーを手の甲に乗せると籠の中に戻した。 「お二人とも食事はまだでしたな。よろしければ異国の地を渡り歩いた年寄りの薬味料理などいかがかな?」  魔導師は手を広げると大鍋いっぱいの緑色をしたシチューを出現させた。  
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