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10年前になる。ゴブリンにとって、忘れがたき敗北の日。ヒトとの戦いにおいて、出征したゴブリンの戦士たちは壊滅的な被害を受けた。その戦いには、若かりしルノも一兵士として従軍していた。
『モスレロア』と呼ばれる「ヒト」の居住する城塞都市を攻撃するため、ゴブリン軍は、精鋭6千を集めて挑んだ。
対して、『モスレロア』を守る「ヒト」の守備兵は応援に駆け付けた近隣の兵士を合わせても5千にも満たない。
平時、城塞都市『モスレロア』の住民は老若男女、全てを合わせれば1万を超える。華やかな賑わいを見せた大都市ではあったものの、前線での小競り合いが頻度をますにつれ、雑用に駆り立てられた壮年の男女を除く非戦闘員は続々と『モスレロア』の街を引き払っていった。
互いの斥候同士の小競り合いが繰り返しおこり、遂には城塞都市『モスレロア』の20キロ手前にて、ゴブリン軍と『ヒト』の軍、双方の主力が会戦のための陣を張る。
ヒトの軍隊は小高い丘に密集して陣を構え、ゴブリン軍を見下ろす形で構えていた。地形的には不利ではあるものの、身体能力おいて圧倒的にヒトに勝るゴブリンは、その程度の高低差は気にすることなく、対峙している。ゴブリンは正面に位置するヒトの部隊を破り、そのまま城塞都市『モスレロア』へなだれ込み、陥落させることだけを考えていた。
*
「ルノよ、あいつら殺しまくって出世の足がかりにしようぜ」
緊張のためか深呼吸を繰り返すルノに声をかけたのは、幼馴染のマロ。
手にした小刀を古布で磨き上げながら、自信にあふれた笑みを浮かべていた。
「ここで、手柄をたてれば、最年少の将軍になるのも夢じゃねぇぞ」
ルノもマロも貴族の出ではないため、戦場にて戦果を挙げることが地位向上の一番手っ取り早い手段であった。
俊敏さが売りであるゴブリンに中においても、マロは極めて能力が高く、小刀を自在に操り、敵兵の咽を切り裂くのがうまかった。ルノとしては、そんなマロの能力が羨ましくもあったが、援護もないまま唯一人でも突進していく幼馴染の恐れしらずな行動に不安を感じることは多々あった。
「マロ、油断するなよ。調子にのるなよ。慎重にいこうぜ」
「バカいうな、ルノ。俺はこの時をずっと待ってた。殺って、殺って、やりまくるんだよ」
目の前、臨戦態勢を整えた敵兵を見るマロの眼は赤く充血し、口から涎がこぼれ落ちるほどに興奮している。
「へへ・・。はやくやろうぜ。おっぱじめようぜ」
「もうすぐ、もうすぐだよ、マロ」
落ち着け、冷静にと言葉を並べているルノも興奮状態にある。心臓がばくばくと音を立て、身体が異常に熱い。
軍団長の『進め!』の合図により、ゴブリンは皆、颯爽と丘を駆けのぼる。ゴブリンの戦い方は、その多くが俊敏さを武器とするため、小刀をもって敵に駆け寄り、乱戦に持ち込むというものだ。
対して、ヒトは弓矢を放って応戦する。スピードを武器とするゴブリンは、放たれた矢をかいくぐって敵の陣へと突入していく。
平均的な速度で、一定の距離があったなら、ヒトが放つ矢の多くをゴブリンは避けることができた。それだけのスピードが各自に備わっていた。
口では「冷静に、落ち着け」と言いながら、実際にはルノも興奮し、周りが見えていなかった。開戦早々に肩に矢を受けると、体勢が崩れたところを、今度は太ももにも矢が射られ、ルノは戦闘不能に陥った。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ」
ルノは唇をかみ締め、痛みをこらえた。
あんなヒョロヒョロの矢を避けることができないとはなんと恥ずかしいことか。これまでの厳しい訓練の成果を何一つ発揮することなく、後退させられてしまうのか。何もできずに戦闘不能に陥った自分への怒りが、痛みすら麻痺させる。
速さが売りのゴブリン軍は、足を引きずるルノをおいて、どんどん敵陣へと突入していく。ゴブリンの第二陣、俊敏さよりも力が売りの兵士が長刀を担いで進んできた。
「バカ野郎! うすのろめが!! 後ろに下がれ!」
足を引きずりながらも、前進しようとするルノに仲間からも罵声が浴びせられた。
「ちくしょう! 何をしているのだ私は・・」
言葉を吐き捨てる以外に、何もできることがない。
★
戦況はゴブリンが圧倒的な身体能力をいかし『ヒト』を蹴散らしていく。
ゴブリン軍の圧勝であった。ヒトは、後退を余儀なくされ、陣を敷いていた丘の上を手放した。
ゴブリンの軍は城塞都市『モスレロア』を陥落させるため、予定通りに前進する。
負傷したルノは部隊から早々に離脱したわけだが、彼が属する第一陣の兵士は、血と汗が乾ききれていない、占拠し終えた丘の上にて休息を取りつつ、軍団長が発する今後の作戦行動に耳を傾けていた。
身体を休める兵士の集団の中に、マロの姿がある。無事であったのだ。ルノは足を引きずりながら、彼のもとへ近寄り、肩を叩いて幼馴染の働きぶりを称えた。
「3人はやったぜ。耳を切り取る暇はないから、捨て置いた。まぁ、いい。このまま街を攻めるのだ。そこで大将首をとってやるっ!」
「凄いな、マロは・・」
2時間前は幼なじみの戦友であった。それが、今は英雄と役立たずの負傷兵へと様変わり。友を見るルノの目は憧れの者を見る眼差しへ変わらざるをえない。。
「ふふ、今回、お前は運がなかったな。それだけだ」
ビィーッ!と笛が鳴り響く。軍団長が旗を掲げ集合をかけていた。
「よっしゃ! 行ってくるぜ」
マロはルノの頬に手をあてた。
「ルノ、今日は後ろから見てろよ。俺がお前の分までやってやる! 戦功を重ねて俺たちは将軍になるんだ!」
「ああ、大将首をとってこい」
ルノは血と埃にまみれた友の背中をポンと叩き、送り出す。自信に溢れたマロの後ろ姿は、戦の前に比べて大きく見えた。
しかし、城塞都市『モスレロア』攻略へと意気揚々に向かうマロの後ろ姿、それがルノの目に映った友の最後になった。
★
城塞都市『モスレロア』を包囲するため、ゴブリンの全軍が前進していく。ルノを含め、動くことが可能な軽傷の負傷兵は後からのろのろと進軍した。
後に敗戦の弁を問われた、数少ない生存者からは、「敵がさしたる抵抗もなく撤退することが不思議であった」「何もかもが上手く行き過ぎていた」などの回答がいくつか上がった。
ルノはその一人である。口には出せずじまいであったが、違和感を感じていた。傷めた足を引きずりながら『モスレロア』へと向かう途中で見た、置き捨てられた敵兵の遺体の少なさ、重傷者の少なさ、我が軍の死傷者とそん色がないのではないか? との疑念がわいた。損害がさほででもないにもかかわらず、一方的な敗走、後退は何かがおかしいと。
後方から戦況を俯瞰して眺めることで、今、この戦場で起こっていることに疑問がつのる。
ヒトは敗走する際も、統率がとれすぎている。背後にある『モスレロア』の城塞都市へと撤退する部隊あり、それとは別のルートを取って戦場を離脱し、『モスレロア』を離れる隊もあった。
この退却は作戦的なものではないのか? 打ち負かされての退却にしては、統率が取れすぎている。混乱している様子が見受けられない。それぞれが自身の与えられた仕事をしっかりとこなしているかのようだった。
この時の、違和感を抱きながらも、何も果たせなかったこと。これこそが、ルノが現在、全ての種族に協力を仰ぎ、対ヒトへの合従策を打ち出して、その実現に全てを捧げている理由であった。
ルノは言葉にすることができなかった。早々に矢を受け負傷した役立たずであったから。ついでに言えば、階級が絶対的である軍の組織において、一兵士が上官に対し進言する勇気などは、当時、持ち合わせていなかった。
さしたる抵抗もなく高さ4メートルにも及ぶ、巨大な中央の城門が開け放たれる。城壁で囲まれた『モスレロア』の街にゴブリンの軍が入城して、兵たちの歓喜の声が場外にいるルノにも聴こえた時であった。
ドーンと轟音が響くやいなや、『モスレロア』の町全体が一瞬にして、火に覆われたのである。
あれほど一瞬にして燃え上がる炎をルノは今日まで、見たことがない。
「ああっ!?」
数万人が暮らせるほどの都市が爆音と共に炎上していく。全長5キロに及ぶ外壁のいずれからも火が噴出しており、溢れ出しそうな勢い。火の海という言葉がふさわしい。
城門の外で待つルノは目を疑った。
「どうなっているのだ・・・?」
赤々と火が燃え上がる高層の建物、そしてもくもくと立ち昇る黒煙が空を覆う。
つい先ほどまで、城内では勝利を確信したゴブリン兵士の喜びの声がこだましていた。それが今や絶叫と悲鳴の渦だった。それすら業火によって崩れ落ちる建物の音によりかけ消されていく。
目前の都市がまるごと火で覆われた光景を信じることができずに、ルノは茫然自失の様子。
「こんな戦い方があるのか」
全てが策であったことが、燃え盛る街を見上げながら気づいた。
「初めから、これを狙っていたのか。奴らは、最初から刃を交わすつもりなどなかったのだ・・」
業火の中を這いずり回り、城門へたどり着いた全身に火傷を負ったわずかばかりの兵士たち。助けを求められても、水を与える以外にどうすることもできずにいる負傷兵の中にルノもいた。
戦意など、すでに失くしていたこの状況で、かろうじて生存しているゴブリンの兵士には更なる試練が待っていた。
後退、撤退と見せかけたヒトの軍の来襲である。それは虐殺以外の何ものでもなかった。命乞いをするもの、火傷を負って動けないもの、無抵抗のまま、きり殺されていく。
かろうじて足が動くものは、逃げ出す意外にすべはなかった。
ゴブリンの軍は、指令部がすでに崩壊しており統率も何もない。
生存者はそれぞれが、自身の判断で故国へ帰りつく算段を取らねばならなかった。嬉々として襲いくる敗残兵狩りのヒトに怯えながら。
四散した敗残兵の1人となったゴブリンのルノの脱出行が始まった。
生きるために必死で、走って、歩き続けて、故国にたどり着いたのは20日後。命からがら、故国の地を踏めたものは、従軍した兵士、全体の5%にも満たない200名足らず。
ゴブリンの惨敗であった。
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