ゴブリンの合従策

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   夜がこわい。眠りに落ちて夢を見るのが怖い。 見る夢は常に同じ。10年前に経験した敗走の20日間の中の出来事だ。 主要な道はヒトに押さえられていた。ゴブリンの敗残兵は道なき道を進み、山を越えて故国へ帰ろうと試みた。ルノもまた、その中の一人。 日中は息をひそめ陰に潜んで、太陽が沈むと闇の中をひたすら歩いた。泥水をすすり、口にできそうなものは何でも食べた。生きて帰るために。  武器を手にした敗残兵狩りのヒト々が、周囲を取り囲んでいる。一斉に襲いかかる。 ルノはかろうじて、剣をかわし、槍を抑えて、逃げのびていく。 不意に、草むらの中から、手が伸びる。 「ひっ!?」 倒れこんだルノの足首を、どこからともなく伸びてくる手が捕らえて離さない。 「は、離せ! 離してくれ!」 動けないルノを武装したヒトが取り囲む。と、同時に無数の剣が槍が、ルノの身体に突き刺さる。 「ああっ!?」 目を覚ましたルノは、歯切りした。 この繰り返される悪夢に対して。うんざりだった。あの敗走を体験してから、何度、こうして目覚めてきたか。 (いつになれば、この悪夢から解放されるのか? ヒトを倒した時でしかない ) ルノはいつも自問自答する。 身体中が汗だくで気持ちが悪い。 ルノの横では妻のアーヤがスヤスヤと寝息をたてていて、そのまた隣に3歳になる娘のサーヤが逆さまになって寝ている。寝相がすさまじく悪い。 窓からは薄明かりが見える。日の出が近い。 「ん?」 玄関の外で、ザッザッと砂利が踏まれる音に気が付く。 (足音? 離れていく? こんな夜明けに?) 妻のアーヤを起こさぬように、ルノはそっとベッドから降りた。 「・・・ルノ?」 「大丈夫、嫌な夢を見ただけだから。寝ててくれ」 アーヤはルノが繰り返し、悪夢を見続けていることを知っていた。 二人が恋に落ち、夜を何度か重ねた頃に、アーヤはルノが自身よりはやく寝つけることがないことに気づいたし、真夜中にうなされて目覚める姿を何度も見ていた。 『心にも深い傷を負ったのね』と、出会った当時、アーヤは夜、震えていたルノを強く抱きしめてくれた。 ルノは寝室を出て、そっと玄関の扉に耳をあてる。足音か遠退いて行くのがわかった。ゆっくりと扉を開けると、書状が一枚、扉に挟みこんでいたのか、地に落ちた。 「夜明け前からご苦労なことだ」 内容はなんとなく見当がついたが、一応、確認してみる。 難しい言葉を使用してゴブリンの国家の成り立ちからはじまり、その後で、現在ルノが取り組んでいる仕事を非難し、口ぎたなく罵っていた。  要するに、ルノが中心になって勧めている全種族が協力し、ヒトに対峙するという合従策には反対だから、今すぐに、この政策は中止にしろという内容だった。これ以上すすめるならば、ルノ本人、もしくは家族に対して何らかの制裁を加えるぞという脅しもあった。  こういった脅しの類は、古今東西、昔からはるか未来にいたっても、社会のシステムが違っても、存在していく。何かを変えよう、実現しようと行動する者に対して、必ず反対する者などから差し出される。 「こんな脅しをする奴に限って、愛国だの民族の誇りだのと言うから笑えるな」  妻のアーヤに、このような脅迫文を見られては心配させるだけなので、ルノは即座に破り捨てた。 「生き残るために、過去のことは捨て置いて、手を結ばねばならぬ時があるのだ。どうしてわからない? このままでは滅びさるだけということが」                 ★  ゴブリンの国は王政である。王の下に、国の指針を決める政治を行う上級貴族の面々がそろっている。  ルノは定められた政務を具体的に実行するためのいわゆる官僚の一人。今は、彼自身の計画を遂行するため、賛同者の確保に忙しい。 何人かの上流貴族が合従策に興味を示してくれたおかげで、予算を確保し、とりあえず、歴史上初となるヒトを除く異種族の会議を開催することに成功していた。  大小さまざまな執務室を、ルノを含めた役人たちが、紙類を手にして出たり入ったり忙しい。  「ルノ、フミナス様の紹介とのことで、貴方あての客人が来ている」 同僚の一人がルノを見かけて、声をかけた。 「客?」 「元軍属かなぁ、毛むくじゃらのおっさんだ、知ってるか?」  直接、会いに来て、ひたすら実現不可能だと、罵る輩も多いため、嫌でも慎重にならざるをえない。 「ああ! そうだそうだ、ちょっと前にフミナス様に腕がたち、身元の確かな者を推薦してくれるようにお願いしていた。なにやら物騒なのでね」 「腕がたつ・・? ふむ・・」  同僚の者は、その言葉に少し首を捻って見せた。 「お待たせした。フミナス様からの御紹介とのこと。ありがとうございます」 挨拶を交わした時に、同僚が首を捻った意味がわかった。 客人には左腕がない。そして顔は髭が伸びるがまま、頭髪は乱れており、年齢の推定が難しいが50近くにも見える。  片腕の客人は、ルノと目を合わせ一礼すると視線をそらした。 背丈があり、肩幅も広いものの、痩せ型。ルノの眼には、かつては軍に所属していたであろう客人が、凋落した姿をわざと装うかのように、ひげを伸ばし、髪を乱雑にしているかのように見える。 「これを・・」 左腕のない男は、懐より紹介状を取り出して、ルノに手渡した。 片腕の男の紹介者であるフミナスは王族であり、現国王の第4皇子にあたる方。ルノの一番の後ろ盾である。前面には出ていないものの、王族のフミナスが、支援を行うことで、異種族の会議は開催できたのだ。 紹介状を読み終え、ルノは目を疑う。目の前にいる隻腕の男を改めて凝視した。10年前のヒトとの戦い、「モスレロア」で敗北した戦において軍を指揮していた3人の軍団長うちの1人が、このスフレムであったから。 「あ・・・驚きです。スフレム殿・・・。あの、私はあの戦いに従軍しておりました、早々と怪我を負い、後詰であったことにより、なんとか生き残ることができた者です、私は・・」 言葉を続けようとするルノの言葉を遮り、片腕の元指揮官が深々と頭を下げる。 「フミナス様から、聞いております。申し訳ない・・。多くの同胞を失わせてしまい、ただただ申し訳ない・・・」 かつての軍団長は小声で謝罪の言葉を並べ、頭をあげない。 あの戦いで生き残った指揮官は、王族を除けば、このスフレムが最高位であり、敗戦のあらゆる責任を背負わされていた。 この男もまた、ヒトとの戦いにおいて、運命を大きく狂わされたひとりであった。                 * 「この度、フミナス様に推薦をお願いしたのは警護の者。私が留守にする間、妻子の警護をと、考えておりました」 「・・・そう、聞いているが」 「警護には他の者を雇います。スフレム殿、共に各国に出向いて、私を助けてほしい」  首を傾げた。紹介された内容とあまりに違ったからか。しかし、世捨て人のように、生きている男に断る理由もない。  スフレムは上級貴族の出身であり、本来であれば、老年であっても警護の仕事をするような者ではない。しかし、敗戦の責任を負わされ、貴族の称号を剥奪され、妻子とも別れ、この10年を耐え忍び生きていた。 「あなたを助けることなど、できるだろうか?」 「私は、これよりエルフの国に出向かねばなりません。スフレム殿、一緒に行って頂きたい」 「・・・エルフの国ですか」 「エルフです。協力の要請に行くのです」  スフレムの耳にも、ヒトを除く異種族の会議が開催されたことは入っていた。千年の間、争い続けてきた各種族が、一堂に会したことだけでも大事件であったから。 スフレムは首を眉をくもらせる。 「奴らが、最もヒトと結びついているのは御存じか?」 「だからこそ、です」 「・・・協力しあうのは難しいのではないか?」 「勝つためには、彼らの力が必要なのです」 「エルフを訪れたあとはオークに、そしてノームにも。コボルトにもハーフリングにも行く。皆で協力して、ヒトを倒すのです」 「それが、あなたが取り組んでおられる合従策で?」  千年の間に、ゴブリンはエルフともオークとも戦った。種族間にわだかまりはある。それを乗り越えなくては、共に戦うことなどできない。 ルノは、百年後の未来を見据えるように説いてきた。今、ヒトの拡張政策を止めねば、皆が絶滅せざるを得ないと。 「そう、勝利のためには皆の協力が必要です。エルフの力も必要です」 「『モスレロア』の一瞬で燃え広がった炎は、エルフの仕業だとと聞いている」 「承知しております・・・それでも、私はエルフに協力を仰ぎます。エルフにも絶滅の道を歩んでいると、危惧している者がいる。ヒトを脅威と感じるものも多々います。だからこそ、今回の会議にも、出席してくれた」  スフレムは片腕しかない右手でぼさぼさに乱れた頭髪をかきむしる。 「・・もうひとつよろしいか?」 「なんなりと」 「ルノ殿が取り組んでおられる合従策とやらは、どのあたりまで進んでいるのか?」  今度はルノの方が、苦笑しながら口をひらいた。 「今のところ、協力的なのはオークとドワーフの2種族のみ」 「ならば、ゴブリン・オーク・ドワーフ連合でよいのでは? 信じられぬ奴らとは、共には戦えない」 すでに、ルノはこのような問いに対する答えを何百回と繰り返していた。それでも、一人一人に丁寧に説明をする以外に道はないと思っている。 「いや、勝つためには皆の力が必要なのです。ヒトは今や、最大で10万もの兵を動員できると聞いています。どこまでが本当の話かわかりませんが、ヒトの数は圧倒的です」 「10万とは、凄いなそれは」  スフレムの顔から笑みがこぼれる。この10年、笑ったことなどなかった。 圧倒的な兵力を告げられ、笑うしかないといった反応だった。 「まだ、一度目の種族会議を終えたばかり、これからです。私が実現してみせます」 「戦いは、できるだけ、早い方がいい」 「もちろん、これ以上、ヒトの国力が増してはどうにもならない」 スフレムは右腕をまわして見せた。 「身体が十二分に動くうちに、戦わせてほしいのだ」 「そのためにも、力をお貸し頂きたい」 「もう一度、ヒトと戦える・・」  先程から、自然と笑みがこぼれていた。笑うことなど、あの戦い以降、一度もなかったというのに。 「いや、我が軍に必要とされないのはわかっている。しかし、至る所で戦線が開かれ、世界大戦ともなれば、片腕の儂でも、どこかで使ってもらえよう」  敗軍の将として、スフレムはゴブリンの軍からは追放されていた。それでも、一兵卒としてなら、大混乱の戦時であれば、戦える機会は必ず生まれるはず。 「ルノ殿・・・儂に死に場所を作ってくれ」 「いやいや、我々は死に過ぎました。消えるのはヒトだけでいい。現状の半分ですら多すぎる。十分の一程度がふさわしい」  スフレムは右手で髭でおおわれた頬を撫でながら、声をあげた。 「声が聞こえるのだ。あの戦い、城の中で焼き尽くされた部下たちの声が聞こえてくるのだ」 「スフレム殿・・・」 「熱い熱いと、助けてくれと、ヒトを同じ目に合わせてやれと」  二人は同じように苦しんでいた。亡き者の声が聞こえる。狩の獲物となった悪夢を何度となく見る。 『モスレロアの戦い』をかろうじて生き延びた者は心にも深い傷を負っていた。 「千年以上にわたって、争ってきた種族が一つになり、ヒトと戦うか・・」   スフレムの目が輝きをまし、表情が生まれるのを見た。嬉々としているかのように見える。 「力を合わせることができるならば、勝利もできるか。確かに、ヒトは狩りつくさねばならない」       
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