1人が本棚に入れています
本棚に追加
文系学生の日常なんて無職の次くらいには休みに近いけれど、それでも毎日が休みというのはやはり非日常である。講義中の居眠りとソファーでの居眠りでは睡眠の質も違う。
学校に行くというのはそれだけで努力しているという安心を得られるのかもしれない。まぁ中身がどうあれ卒業したという結果が貰えるというのも大きいし。
だからつい夏目漱石とか宮沢賢治とかを読んで努力している気分だけでも味わおうと思ってしまう。
読書は娯楽、趣味、暇つぶし。そういう言い回しにもあこがれはするけれど、実際のところ僕にとって読書はまだ努力を必要とするものだし、読み終わるとやはり頭がよくなった気になる。
あるいは教師がすすめるものは全部勉強だと脳内に刷り込まれているのかもしれない。ゲームをすすめる先生と出会ったら案外それも勉強だと感じるのだろうか。それは良いことなのか悪いことなのか。
彼女にとってはこの宮沢賢治も米澤穂信も羽海野チカもファミ通編集部も平等に趣味なんだろう。ゲーム機がないのに攻略本がなぜあるのかは分からないけど、読んで面白ければなんでもいいというのは分かりやすい。
フォークソング同好会は同好会と言いながら数十人の部員を抱えている。
活動内容はともかく規模は同好会と呼ぶには少々大きすぎるのだけれど、フォークソングは同好会の方が良いというぼんやりとした共通認識で今もそう名乗っているそうな。
本当のところは変える必要を特に誰も感じていないからかもしれない。
古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろうと吉田拓郎は唄ったが、古い音楽を唄って古い生活様式にあこがれを抱いたりする僕たちは果たして新しい水夫なのか。
そんなことを彼女に尋ねるとその続きをそらで唄ってくれた。理由はどうあれ新しい海に漕ぎ出した僕はなんとか新しい水夫と言えるのかも。いや、ただ流されただけで漕いでるのは彼女か。目指す先もすべて彼女にゆだねている僕はただの乗客だ。
最初のコメントを投稿しよう!