不平等な交渉

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 「愛都。僕、恋人ができた 」  それは、突然やってきた俺たちの人生を狂わせるきっかけとなった一言だった。  「恋、人...?」  俺の目の前にいる同い年の義弟である宵人は恥ずかしそうに、はにかんで笑う。  黒い髪に特徴のない顔立ち...世間一般でいう平凡な容姿の宵人だが、俺にはその笑顔はどんな綺麗な男がつくった笑顔よりもずっと綺麗に思えた。  「 今日、告白したらOKもらったんだ...。前にここへ来る途中不良に絡まれたんだけどその時に助けてもらって、そして一目惚れしちゃって 」  「...ん、え?ちょ、ちょっと待て。ツッコむところがありすぎて反応が...」  「まぁ、えと簡単に言うと、その助けてくれた男の人と恋人同士になった、みたいな 」  あはは、と顔を赤くして笑う宵人に俺は何も言い返すことができず、ただただ固まる。  ...男に...一目惚れ??  頭の中が上手く回らない。宵人が言っている言葉も俄かに信じ難いものだった。  「ま、愛都、大丈夫?」  「...あぁ、えと、ちょっと驚いて。」  あからさまに態度がおかしくなる俺を宵人は心配そうに眉を下げ見つめる。  『言わなければよかっただろうか 。気持ち悪い思いをさせてしまっただろうか 』  そんなことを言っているかのように、  「本当に大丈夫だって。別に男同士に偏見はそんなにないし」  ...なんて、嘘だけど。本当は全然大丈夫なんかじゃない。男同士にだって、偏見は持ちまくってる。  宵人は俺にとって大切な存在。 本当は男なんてやめろ、と叫んでしまいたいほどだった。  「そう...?なら、よかった。いや~、僕もまさか男の人に惚れるなんて考えもしなかったんだ 」  「まぁ、でも...初恋、だよな。その男が 」  「うん!こんな気持ち初めて...」  頬を赤く染めボソリと小さな声でそういった宵人。  そんな宵人に男なんてやめとけ、なんて言えるはずもなく、  「そっか、じゃあ俺は応援するよ 」    俺には、優しく笑って宵人の肩をポン、と叩くことしかできなかった。  でも、もしこの時俺が反対していたら、この後に起こる最悪な出来事は怒らなかったのかもしれない。  反対しておけばよかった。 そう、後悔することになるなんてこの時の俺には想像もつかなかった。  俺はただ宵人の幸せそうな顔を見ていたいだけだったのに。  『ごめんね、愛都。明日は叶江君と会う約束したんだ。』  電話口から聞こえる声に俺は「わかった。」と答えることしかできなかった。  恋人ができたと聞いてから数週間。最近どこか調子がよくなかった宵人はみるみる元気になっていった。  相変わらず小さな傷はつくってはいたが、笑顔を見る回数は増えていった。  「なんなら家に連れて来いよ。俺も誰か暇人と遊びに行って家の中、空けるから。」 今年に入ってから両親はアメリカに行ってしまい、無駄に広い家に住んでいるのは俺1人だけだった。  もちろんお手伝いさんが午前中には来てくれるが、夕方になれば泊まり込みではないので帰ってしまう。  学校の登下校もドライバーさんが来てくれるが、送り届ければすぐに去って行ってしまう。  『でも... 』  さみしい生活だったが1ヶ月以上も続ければ慣れてしまっていた。  「いいから。お手伝いさんにも早めに切り上げてもらうように言っとく。折角の恋人との一時だ、ゆっくりしとけ。」  『うーん...わかった。ありがとう、愛都 』  見えはしないが嬉しそうに笑う宵人の顔が浮かんだ。    それから明日会えない分を補うかのように長電話をし、欠伸がではじめた頃俺たちは電話を切った。  「明日、会えないのか... 」  繰り返すように言ったその言葉に連なって深いため息が出た。  でも、宵人の嬉しそうな声を聞いたせいか寂しさを感じながらも、どこか俺は心が暖かくなった。  楽しそうに笑う男子校生の声。今時の流行曲がかかる室内。  宵人に言った通り俺は当日、多分友人であろう数人とカラオケに来ていた。 歌いはしないものの、一応周りに合わせて笑い、会話に入る。...表面上で。  頭の中を占めているのは宵人の存在だった。 そして、恋人である叶江、という男のこと。  宵人が俺に恋人の名を教えてくれたのは、つい最近のことだった。    “恵 叶江”そいつは宵人が言うには俺と同じ高校らしかった。そして同い年。  恵は俺の高校で有名らしいが周りに興味がない俺からすればその男は全く見知らぬ存在だった。  ― 恵か。宵人の恋人はどんな男だろう。  俺が予想するにそいつはきっと好青年に違いない。  宵人が絡まれてるのを助けるぐらいの正義感を持ち、頭も良く、一目惚れしてしまうほどの容姿の端麗さ。  それに宵人が選んだんだ。真面目なやつだろう。  今度助けてくれた礼も含めて会いに行ってみよう。  うるさく騒いでいる友人たちを尻目に俺はそんなことを考えていた。  「もう寝てるか」  あれから長々とカラオケボックスで時間をすごし、駅で皆と別れて一人ゆったりと家に帰った。  「鍵閉めろって言ったのに...」  手をかけた玄関の扉のカギは開いており、物騒だな、と思いながら中に入った。  「ただいま、」  その一言に返ってこない声。静まり返った家の中。  やはり、もう寝てしまったか。  「...ん?」  しかし、階段を上りきって俺はある小さな異変に気づいた。  ...宵人の部屋の扉が空いている。それは本当に小さなこと。だけどなぜか俺にはとても違和感を感じさせられることだった。  何が?どこが?そう問われると答えられない。 しかし何かが俺を惹きつけた。  「 宵人...、」  部屋の中は真っ暗だった。声はかけるが返答はない。  「 入るぞ...」  一歩、部屋の中へ入った瞬間。俺はそのまま立ち尽くしてしまった。  それは、臭いが原因で。...部屋の中は独特な臭い...情事後の臭いで包まれていた。  一瞬、どうしよう、どうすればよい、と思い悩んでしまう。  2人は恋人同士。家に誰もいないというこの状況...わかりやすい行為への理由だが、予想していなかった。  このまま立ち去ってしまおう。今、ここに恋人の姿はない。きっとすでに家に帰ったのだろう。  立ち会ってはいけない場所へ来てしまった。  そして俺は引き返そうと足を後ろへ引く。  「...っ! 」  しかし一瞬香った血の臭いに俺は反応し、宵人がいるであろうベッドの方へ走り寄る。  「宵人っ!...ぁ、よい...と、...ひどい、」  膨らみのあるベッドの上。強くなる精液の臭いに、血の臭い。カバーを剥げば目の前に広がる、宵人の無残な姿。  衣服は纏っていない宵人の身体は酷い殴打のあとがあり、足の間から太股にかけて血が流れた跡がついていた。宵人のものか、相手のものか、どちらかの精液で身体を汚している。  まるで...いや、確実に...それは強姦された後の姿だった。  どう見ても合意で行ったことだとは思えない。  「宵人!大丈夫か宵人!!」  「 ...まな、と?」    手が汚れることも気にせず、意識のない宵人の身体を揺する。  すると、ゆっくりと宵人は瞼を開け俺を見て、そして...涙を流した。  「俺...ま、まなと...」  「落ち着けっ。まず、身体を洗い流そう。傷の手当も...話はそれからだ 」  いつものような笑顔も冷静さもなく、しゃくり声を上げ始める宵人の背を撫ぜ、優しく声を掛ける。  それからしばらく経って宵人の涙が止まってから俺は宵人を抱き上げ浴室に連れて行った。  傷がある部分に手が触れるたびに肩をビクつかせる宵人を見て、心が苦しくなった。  「 お前をこんなにしたのはあいつ、恵 叶江なんだろう?」  「...っ 、」  寝間着に着替えさせ、俺の部屋に宵人を連れてくる。  ベッドの上には宵人が、その正面には俺が床に座っている。  「 ...別れろ。こんな乱暴な 、」  「 嫌だ!!」  「、よい...と 」  「嫌だ...別れたくない!...好きなんだ。叶江君が好きなんだ。こんなことされても好きな気持ちは変わらない。」  「でも、お前泣いて...」  とっさに俺はあの時の、ベッドで宵人が俺に涙を見せた時のことを思い出した。  あれは怖かったからだろ...恵 叶江のことが...。  「違う!あれは...違う...」  「 何が違うんだよ。お前は怖かったんだ。事実そいつは最低なことをーー」    「 愛都っ!...それ以上は言わないで。お願い...」    「 ...っ」  「初めてなんだ...愛都以外の人間にこんなに近づきたいと思ったの。大丈夫、叶江君もきっと好きで暴力を振るったわけじゃないんだ...もしかしたら僕が何か気に触ることをしてしまったのかもしれないし」  「 ...っバカ野郎、」  手首についた傷を撫ぜ、宵人は優しく微笑む。 ...悔しかった。俺の大切な存在がこんなに傷ついているのに、仕返しすることさえできない。  宵人は優しすぎる。こんなになってもまだそいつが好きか...。そんなにひどく暴力を振るわれて...。    俺の忠告も聞かないで...。  ギッと唇を強く噛み、拳を爪の痕がつくほど強く握る。  「ごめんね、愛都。心配かけて、 」    「悪いと思うなら別れろ...」    「...無理だよ。っ、泣かないで愛都、」  恵 叶江の存在がムカついて、同じ目に合わせてやりたい。  でもそれは叶うことのないこと。  悔しい...悔しい悔しい悔しい...俺は目の前の大切な人間が傷ついていくのを黙って指咥えて見ていなければいけないのか。  涙が流れる。一粒、また一粒と。  「ごめんね、愛都。ごめんね、 」    そんな俺を宵人は優しくギュッと抱きしめた。  辛いのは宵人の方のはずなのに...。  流れ続ける涙は止まることがなかった。
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