嘘つき

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 あるのは不安だけ。状況が状況なだけに言い知れぬほどの恐怖と不安が俺を責めてきた。  「あいつらなら、ここにいないよ?綾西」  「...っ!」  そして緊張が最高潮に高まった時、頭から離れることのない、あの憎い声がスッと耳を通して俺の中に入ってくる。  その声に反応した俺は何も考えることもなく、怒りのまま思い切り扉を開けた。  「千麻...っ」  「随分勢いよく扉を開けたね。ついさっきまでビクビクしてただろうに、さ」  「許さねぇ...お前のせいで、俺は...っ」  扉を開ければ思った通り、そこには冷めたい眼差しを向ける千麻が立っていた。  しかし俺が憎しみの目を向ければ千麻は嬉しそうに笑み、目を輝かせた。  「シナリオは気に入ってくれたみたいだな。俺もすごく楽しいよ、お前の滑稽な様を見ることができて」  「ふざけんな!」  「んっ...何、離せよ綾西」  「許さない...俺がどんな思いをしたか...」  下へ続く階段を背に立つ、千麻の胸倉を掴むが千麻の表情が歪むことはなかった。  むしろ余裕すら感じさせられた。  「随分と余裕なんだな...そうだ。なぁ、千麻、もし俺がこのままお前を押せばお前はどうなるかな...ここじゃあ、手すりも少し遠いし...落ちちゃうね」  「...」  「打ちどころが悪ければ死ぬし、運が良くても無傷ではいられないよ?」  下を向いて黙る千麻に、俺は漸く支配感を得た気分になった。  この状況ではさすがに千麻も内心慌てているはずだ。  「あははははっ、いい気味だな...落ちて...苦痛で歪む顔を俺に見せてよ」  その時、俺は一気に有頂天になってしまっていた。  だから気がつかなかったんだ。  俺たちを見る、第三者の存在に。そして、  下を向いている千麻の顔に笑みが浮かんでいる、ということに。  「たい...ち...?」  「...っ!?」  俺の名を呼ぶその声を聞いた時、心臓が締め付けられる思いに駆られた。  「弥生...」  顔だけ後ろに向ければ、茫然と立ち尽くす弥生の姿が目に入った。  その姿を認識した瞬間、急に俺の中の千麻に対する支配感が消え失せた。  ―弥生に...見られた。いつからいたんだ。どうしよう、弥生に嫌われる。また、弥生に嫌われてしまう。同情さえもしてくれなくなる。  そうして突如俺の中に生まれた感情は、焦りだった。  ―とりあえず、千麻をどうにかしなければいけない。でも、どう取り繕えばいい?今すぐにでも千麻に頼み込んで上手く切り抜けてもらうか?この俺が、千麻なんかに頼んで...  「...確かに、無傷はありえないな」  「...は?」  弥生の登場に焦って緩んだ、千麻を掴む手の力。  千麻がぼそりと呟き、俺が前を向いた瞬間。  「だから、どうした」  千麻は弥生に見えないよう、上手く俺の手を自分から外し、  「愛都君!」  そのまま——— 自ら階段を転がり落ちていった。  人が物にぶつかり、転がり落ちる鈍い音。そして弥生の悲痛な叫び声が階段をこだました。  そうしてその音が止んだ時には弥生は俺を横へ押しやり、床に倒れこんでいる千麻の元へと駆け寄っていた。  「ちが...俺は...押してない。こいつが勝手に...落ちてったんだ。自分で...」  「ひどい...ひどいよ!!愛都君が何をしたっていうんだ!」  「弥生、信じてよ...ッ、本当に俺は何も...むしろ俺は被害者なんだ。ねぇ、こいつのせいで俺はさ、今...」  「うるさい!何が被害者さ!愛都君は...愛都君はただ泰地と仲良くしたくて...一生懸命になってたのに...それなのに、そんな愛都君に対して泰地はこんなひどいことを...。」  徐々に短く、そして頻回になっていく呼吸。  この現実を見ていたくなくて目を閉じたいのに、瞼はいうことを利かず、限界まで開いたままだった。  「許さない...愛都君が許しても、僕は絶対に泰地を許さない...」  「そん...な...」  意識の無い千麻の体を抱きしめ、弥生は鋭い目つきで俺を睨んできた。  ―拒絶、された。  あの弥生が、俺を拒絶した。俺の...俺の弥生、なのに。  頭の中をまるで走馬燈が走るかのように、弥生との楽しかった思い出が駆け巡った。  だけど今、見ている弥生はその思い出とは正反対の姿。  俺はこの瞬間、唯一の存在を失ったのがわかった。  「俺は...また1人になったんだ...」  そう自覚した途端、今度は自分の過去の姿が脳内に浮かんだ。  1人、部屋で過ごす自分。1人、外で遊ぶ自分。笑うこともなく、楽しいこともなく、無表情で毎日を過ごす自分。  「...う...あ...あ゛あ...っ、」  涙が溢れ、とめどなく流れては頬を濡らした。  いく筋もの涙が道を作りポタポタと落ちては床に小さな水たまりができあがる。  そして床に崩れ落ちる俺の視界は遂に真っ暗になった。
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