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『愛都、今日も叶江君会いに来てくれたよ!』
毎日の日課である宵人との電話越しの会話。
その声音は明るく幸せそうな雰囲気が伝わってきた。
「そうなんだ。よかったな、一時はどうなるかと思ったけど今じゃその心配もいらないな」
『うん!僕、幸せだよ...すごくね』
「そっか、お前が幸せだと俺もなんか嬉しいよ」
宵人との電話は俺の冷えた心を温めてくれる。いつまでも長くしていたい。
しかしそれもあの時間に近づくことによって終わりを告げる。
あの時間...それは俺にとって不幸でありながらも、同時に宵人にとっての幸せをつくることのできる唯一の時間。
「それじゃあ、そろそろ切るな。明日も電話するから」
『りょうかい、また明日ね』
その言葉が終わることによって聞こえる機械音。そしてそのタイミングを狙ったかのように鳴り出す携帯電話。
あぁ、今日もだ。今日も。もう二度と聞きたくないと断言できるほど嫌いなあいつからの電話。
「...もしもし」
『遅い。出るの遅すぎ。俺からの電話は3コール以内に出てよ』
今日もまたあいつ...叶江からの電話がきたと分かれば、小さな抵抗としてしばらく経ってから電話に出る。
叶江からの電話なんて出たくないんだ。だからこっちからすれば出ただけでも感謝してほしいくらいだ
しかしあいつはそんな小さな抵抗でさえ許さず、グチグチと文句を言ってくる。
『返事は、』
「...わかった」
そう、俺が言えば満足したのかあいつは鼻で笑い、次からそうしろよときつく言いつけてくる。
俺は叶江の犬。そして叶江は俺の飼い主。犬が飼い主の言いつけを守るのは当たり前のことだ。
わかっている、そんなことは。それがあいつとの約束でもあるのだから。
しかしどれだけ時間が経とうと、その事実は俺を酷く憂鬱にさせる。
「今日は何。いつもみたいにヤればいいのか」
『あははッ、冷たい犬だな。もっと愛想良くすればいいのに』
「いいから早く答えろ。お前との電話なんて早く切りたいんだ」
クスクスと笑う奴の声にひどくイラつきを感じる。早く要件を聞いて電話を切ってしまいたい。
自然と眉間に皺が入り、歯を強く噛みしめる。
『本当、あからさまな態度。...今、外にいる。お前ん家の玄関前』
「...はっ?」
『だから早く開けてよ。寒いんだよね』
ウソだろ、と思いながらも..いや、願いながらも携帯を耳に付けたまま小走りで玄関の方へ行き、ドアをゆっくりと開ける。
「...ぅあ、」
瞬間、するりと手が伸びてきて肩を掴まれると引き寄せられた。
「あーーー、あったかい。もうそろ夏だっていうのに夜は寒いの何のって」
慣れた香水の香りに抱き締められる俺の体は包まれる。
持っていた携帯は引き寄せられたときに手から滑り落ち、音を立てて地面にぶつかった。
「っ!はな、せっ」
「耳元でうるさいよ」
肩口に顔をうめられ、ヒヤリとした叶江の体温を感じ一瞬ビクつく。
何故だか抱き締められたまま動くこともできず、俺はされるがまま固まっていた。
「はぁー、ダルい。なんか飲みものちょうだい」
どれくらい経ったか、しばらくしてようやく叶江は俺から離れて、何もなかったかのように靴を脱ぐとそのままズカズカと居間の方へと入って行った。
なんなんだ、と思いながらも携帯を拾うと急いで叶江の後を追う。
「お茶ぐらいしかないけど...」
「えーー、俺お茶嫌いなんだよな」
「...そんなに飲みたいなら自分で買ってこいよ」
折角嫌々ながらもお茶を用意して渡したのに文句を言われイラっとする。
あー、ムカつく、一体こいつは何様なわけ。
「ンな、めんどくさいことしないよ」
しょうがないなぁ、とブツブツ文句を言いながらも叶江はコップに口をつける。
「てか、本当なんで来たの、」
正直家の中にこいつを入れるのが嫌だった。宵人と育ってきたこの家にいる叶江。
その叶江と俺の今の関係はすごく複雑なもので、俺の中に宵人に対する妙な背徳感が生まれる。
それが嫌でいつもは叶江とヤる時は俺がわざわざ奴のところまで行っていたのに。
「来ちゃダメなわけ?宵人のお兄さん」
「...っ」
やけに宵人という言葉を強調され俺は何も言えなくなってしまう。
黙り込む俺を見て満足そうに叶江は笑うと空になったコップを俺に押しつけてソファに寛ぎテレビを見始めた。
その態度に不満はあったものの文句を言うこともできず、流しにコップをおくと俺も近くのソファに腰を下ろした。
その後も特に何をするでもなくテレビを見続ける叶江。
時折テレビの内容に笑ったりはしているが、俺に話しかけたりは一切しない。
俺には全く奴の考えが読めなかった。
「ヤリに来たんじゃないのかよ、」
夜10時を回ったところでついに俺は耐えきれずにそう、叶江に問いた。
「何、お前そんなヤりたかったの?」
「なっ、違う!...お前がわざわざ俺の家に来といて何もしてこないから...」
「あー...今はそういう気分じゃないんだよね。いいでしょ別に、お前は俺の犬なんだから。飼い主の俺が何したって」
「...特に用がないなら帰れよ。てか、それなら俺どっか出掛けるからその間に帰れ」
いつもとどこか様子の違う叶江に少し戸惑うが、それでも叶江の近くにいるのが嫌だ、という気持ちの方が勝る。
「じゃあ俺行くから。鍵のことは別に気にしなくていいから早く出て行けよな」
それだけ言うと俺はソファから立ち上がり玄関の方へと歩いて行く。
「、ぅぐっ!」
「調子にのってんじゃねぇぞ。犬っころのクセに」
突然背中に走る強い衝撃。バランスを崩した俺はそのまま床へと倒れる。
倒れたすぐ横には俺のものではない見知らぬ鞄が転がっていた。
「イライラするなぁ...なんでお前は飼い主の気分を下げたりするかな。」
リモコンでテレビの電源を消し立ち上がると俺の方へと歩み寄ってくるあいつ。
情けないことに俺はその怒りが滲み出ている声、口調に恐れを感じうつ伏せになったまま動けないでいた。
「ほら、立って。お前の部屋に行くから案内してよ」
「...っ」
首根っこを掴まれ無理やり立たされると、速く動けと足で軽く脇腹を蹴られる。
言いなりになるのがすごく嫌で反抗心が生まれるが、もう何度となくこの状況で躾けられてしまった俺の体は
素直に言うことを聞いて、部屋へと向かって歩き出す。
その後を俺に投げつけた鞄を拾った叶江がついてくる。
「愛都の部屋は初めてだな。前は来ても、もうひとりの方の部屋だったし」
部屋の前に付いた時、叶江はそう言い思い出したかのように笑った。
もう一人の方、それは宵人のことを言っているのだとすぐに分かった。
俺の大切な義弟。
こんな最低な奴に愛想を尽かすこともせずにただひたすらに思い続ける純粋な恋心を持った優しい奴。
叶江の一言はそんな宵人を馬鹿にしているような口調で、俺は我慢することができずに後ろを向き奴を睨んでやった。
「なぁに。文句でもあるの?」
「くっ...」
すると前髪を掴まれ、顔をあげさせられ喉がのけ反る。
「別に俺は良いんだよ?宵人と別れても。つーか、俺の友達に頼んで輪姦でもさせようか?」
「っ!そんなことしたら――」
「したらなんだよ。殺してやるってか?はっ、無理なこったぁ。...だって宵人は輪姦されても、俺に裏切られても、きっと俺のことが好きなままだろうからな。そんな俺を宵人の前から消してもいいのかな?」
『うぬぼれるな!』そう、怒鳴ってしまいたかった。...しかし叶江の言うことは多分真実だった。
宵人は叶江に惹かれている。それは酷く深く...。宵人のことだ、もし叶江に裏切られたとしても何か理由をつけて許してしまうだろう。
今の宵人を見ていればそんなことすぐにわかってしまう。
「わかったら早く中に入れて。俺の、可愛いワンコ」
「っやめ、ろ」
首筋に唇を押しつけられ短いリップ音が響く。
それが気持ち悪くて、前髪を掴んでいた奴の手が離れると同時に俺は駆け込むように部屋の中へと入っていった。
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