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あれからどのくらい経ったのだろうか。
走り続けていた俺は、ある公園の前で無意識に立ち止まった。
そして空いていたベンチに腰を下す。
それから何をするでもなく、ただ暗くなっていく空を眺めていた。
体は脱力してしまって動かなかった。というか、気力が湧かなかった。
ずっとずっと、宵人のことばかり考えていた。否、それしか考えられなかった。
それほど、今の俺に余裕など1ミリもなかった。
「もう...ダメだ...」
「何がダメなの、」
「...っ!?よい、と...」
小さく呟いた時、その原因である声が俺のすぐ後ろから聞こえた。
振り返ると案の定そこには痛々しい傷を顔に持った宵人が静かに佇んでいた。
「なんでここに...っ」
「行かないで!!」
「っ!宵人!?」
立ち上がって去ろうとした瞬間、勢いよく抱きつかれ動きを止められた。
俺よりも力が弱く背の低い宵人は必死に俺にすがってきたのだ。
「ごめんね愛都...っ、僕..迷惑だなんて思っていない!あんなの本音じゃない。愛都を傷つけるつもりはなかったんだ!ただ...愛都を困らせるのが嫌で...。気がついたら勢いであんなこと...っ」
「...。」
「でも、あれから愛都を探しながら考えてわかった...それは自分のただのエゴだって。
僕はバカだ、愛都の気持ちをちゃんと理解していなかった。自分勝手に物事を考えていたんだ」
肩を弱々しく震わせながらそう強く俺に言う宵人の瞳からはいつしか涙がこぼれてきていた。
何があっても泣こうとはしなかった宵人の強い心が今弱まっているのだ、とそこまで追いつめられたのだと...すぐに分かった。
「宵人...俺、おれ...っ」
気がつけば愛都も涙を流していた。男同士で泣いて、抱きつかれて...傍から見れば、ひどい光景だったかもしれない。
だけどやっと本当の意味で宵人とより深く絆が結ばれた気がして、俺は周りを気にすることもなく涙を流し続けた。
「入学式から1ヶ月後、僕のクラスに転校生が来たんだ」
場所は公園から変わって俺の部屋。お互い何も話さず、静かに過ぎ去る時間は宵人のこの言葉で止まった。
「転校生...?それは、知らなかったな」
「まぁ、愛都には言ってなかったしね。たまたま僕はその転校生と同じ寮の部屋になったんだけど...そこからなんだ。それから徐々に僕は...愛都の言うとおり、イジメが始まったんだ」
ギュッと拳を握り、悔しそうに宵人はそう言った。そんな宵人の拳に優しく触れると、スッと下げていた視線を俺の方へ向ける。
「隠しててごめんね。でも今、全部話すから...だから僕のこと嫌いにならないで...見捨てないで...っ」
「、あたりまえだろ!俺はずっと宵人と一緒にいるから」
ソファに座る宵人の前で膝をついて立ち、視点を合わせて見つめる。
真摯な姿を示して、どれだけ俺が真剣なのかを教え安心させるために。
「...ありがとう。じゃあ、続きを話すね」
そしてそんな俺を見て宵人は安心したのか、優しく微笑み一息ついてから先ほどの話の続きをし始めた。
「...今話したのが、全部なのか?」
「うん、そう...だよ」
「なんだよ...っ、お前全然悪くないじゃないか、」
今聞いた話は俄かには信じられないことばかりの内容だった。
辛そうに、時には悔しそうにゆっくりと話す。今まで自分の身に起こったこと...イジメの内容とそのきっかけ。
その酷さに俺はすぐにでも相手の奴らを殴りに行ってしまいたい衝動に駆られた。
「...僕だってそう思ったさ。こんなのおかしいって...」
「...っ」
力なくうな垂れる宵人は酷くやつれて見え、胸を締め付けられた。
そんな宵人をギュッと抱きしめ、腕の中に入れると宵人は俺の胸に顔を押し付け涙を流し始めた。
「お前は俺が守る。あとは俺がどうにかするからお前は安心しろ」
「ううっ、まな、と...っ、まなと、」
部屋に響く宵人のすすり泣く声。俺は宵人を抱きしめる力を強め、なだめるように優しく頭を撫で続けた。
しばらくその状態が続いた後、宵人は泣き疲れたのかそのまま俺の腕の中で静かに眠りについた。
「なんで宵人がこんな目に会わなきゃいけないんだ」
起こさないよう俺のベッドへと倒してやる。
小さな寝息を立てる宵人は痛々しい傷があるものの、安心しきっているのか気持ちよさそうに寝入っていた。
きっとまともに寝たのも久しぶりのことなのだろう。安全なはずの寮には同室者である転校生がいたのだから。
「...くそっ」
先ほど聞いた話がぐるぐると頭の中を回る。
転校生である沙原 弥生という男。全ての不幸はそいつが宵人の同室者になったところから始まったと言っていた。
沙原 弥生は宵人曰く、容姿が良く性格も明るくそいつ自体はいい奴らしい。
だから最初は何の問題もなく、日常が過ぎていった。
しかし見目もよく、明るい性格の沙原のもとには徐々に人が集まっていき、そんな奴らによって宵人はイジメられ始めた。
しかもその理由も「沙原の同室者だから」「沙原といつも一緒にいるから」「沙原を独占しようとするから」と、酷いものだった。
まず、最初の理由。これは一番ひどかった。
同室者だから、と言ってもこれは学校が決めたことであって宵人が決めたことではない。
それに宵人だってこんなことが起こると分かっていれば、同室者になんてなりたくないと思うだろう。
あと二つの理由も宵人にとって不可抗力のことだった。
宵人が言うには、宵人自身はじめは特に沙原と一緒に行動しないで、いつものメンバーと一緒にいたらしい。
しかし、沙原はことあるごとに宵人を誘うようになりいつしか常に一緒に行動するようになった。
そしてイジメの日々が始まった。
その中でも特に中心的にいじめてきたのは三人いて、一人は綾西 泰地 (アヤニシ タイチ)というチャラついたやつで、二人目は見た目は女のような中世的な顔をした永妻 晴紀 (ナガツマ ハルキ)。
最後の一人は三人の中で最も暴力的で、言葉数が少ない香月 和史 (コウヅキ カズシ)という男で、宵人の体や顔にある傷のほとんどはこいつによってやられたものだった。
「...っ」
もう宵人をその高校へは戻せない。否、戻すつもりはない。
行っても傷つくだけだ。そんなことを俺が見過ごすわけがない。
そうだ、両親のいるアメリカへ行こう。宵人とアメリカにある学校に一緒に通うんだ。
そしてこんなことが二度と起きないよう、俺が宵人を守る。
父さんも母さんもきっと宵人の今の状況を話せばすぐにでもアメリカで暮らせるよう手配してくれるだろう。
明日にでもこのことを宵人に話そう。きっと宵人はすんなりと承諾してくれるはずだ。
あと問題なのは叶江だ。何もないとは思うが一応もう一切関わるつもりはない、ということを伝えておこう。
嫌なことは先に済ませておこうと思い、さっそく俺はジーンズのポッケに入れていた携帯を手に取る。
画面を見ると気がつかなかったが叶江からの電話履歴が2件あった。
しかし俺は掛けなおすことはせず、淡々とメールを打つとおそらく電話に出なかったことで苛立っているであろう叶江へとメールを送信した。
内容は簡単だ。もう俺たち兄弟はここを離れる、宵人には自分がそばにいるからもう宵人のために、とお前の命令を聞くということはしない。
だから俺たちは今後一切お前と関わるつもりはない、と。そのようなことを送った。
何かしらの電話かメールが来るであろうと考えていたが、それからずっと俺の携帯は鳴ることもなく、時は過ぎていった。
「、んん...誰、だ」
しつこいチャイムの音が頭の中に響く。
目を覚ましてすぐに感じたのはこのうるさい音。
どれほど時間が経ったのだろうか。
知らないうちに俺は、宵人が寝ているベッドに頭を預けて一緒に眠ってしまっていたようだ。
「しつこいな...」
しばらくすればこの音も鳴りやむだろうと放っていたが、チャイムの音は鳴り止むこともなく一定おきに鳴り続ける。
うるさい...宵人が起きてしまう...。
宵人の睡眠の妨害になってしまう。
そう思うなり寝起きで頭がよく回らないまま重たい体に力を入れ玄関へと向かう。
日も暮れてしまったのか家の中は暗い。
そのことから大体の今の時間がわかった...が、一体こんな時間に誰が...
家政婦かとも思ったが、家政婦の人は来たとしても夕方には帰ってしまうし第一鍵を持っているはずだからわざわざチャイムを鳴らしてくる、ということはない。
まぁ、今はとりあえずこの音を止めよう。
誰が来たかは関係ない。
階段を下りると居間にあるインターホンも確認することなくまっすぐ玄関へと行き、鍵を開けてドアを開ける。
「どちら様で――」
「...まーなと。迎えに来てやった、よっ」
「ぅぐっ、ぁ...」
開けた途端、すぐ耳元で嫌な声が聞こえ同時に腹に鈍い衝撃がきた。
強烈なその一撃に意識が朦朧とし、立っていられなくなる。
「はははっ、バカだなぁ、お前は俺の犬なのにさ」
「...ぁ、かな...え、」
前へ倒れこみ、俺の腹に拳を入れた奴...叶江に抱きかかえられる。
そして俺はその言葉を最後に意識を失った。
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