記憶・エピローグ

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記憶・エピローグ

それは既に人の形をした闇の塊となり 信じられない速度で、泉に襲い掛かった。 しかし泉は霊気を巡らせた右の拳で、カウンターパンチよろしく、飛んできた闇の塊を地面に叩き落とした。 叩き落とされ、ぺたりと黒い水たまりのように地面に張り付いた闇の塊は、再び人の形になり浮き上がった。 洞窟のような口が何かを叫んでいるが聞き取れない。それは声というよりも金属と金属を擦り合わせた音に近い。 並の人間ならば耳を押さえのたうちまわっているだろう。 「やっぱり円満解決ってわけにはいかないか。よほど自分が死んだことを認めたくないのね」 「地縛霊として安定していたエネルギーが自分の死を突きつけられた事により不安定になり、オーバーシュートして怨霊化しつつありますわ」 「しょうがないわね!小百合ちゃんお願い!」 「合点承知の助ですわ!」 小百合がスマホを取り出し、アプリを起動すると、西山野駅跡地の所々に忍ばせておいた無数のお(ふだ)が宙に浮き上がり、四方八方からひとの形をした闇の塊に張り付いた。 さながら、お札を纏った大きな蓑虫である。 「ちょっと手荒でごめんなさいね。これも12万円、あーいや、成仏してもらうため!」 泉は両の手を前に突き出し、深く息を吸い込んだ。呼吸によって大気に満ちた「気」を身体に取り込み循環させ、掌に集めた。 「さて、いくわよ」 気を巡らせた掌を霊体に打ち込んで霧散させる、泉の祓いの技が発動すると思われた刹那。 「ちょっと待っテ!」 和香が叫んだ。 「どうしたの、和香ちゃん?」 「成仏させないデ」 「えー??」 「そのヒト、祓わないデ封印するカラ!!」 「って、どこによー?まさか和香ちゃんの身体にじゃないでしょうね」 「ちがうヨ、いい場所があルノ」 和香は悪戯っぽい笑みを浮かべている。 「なるほど!」 泉と小百合は和香の算段を一瞬で理解した。 和香が口の前に指を当て、高速呪文を唱える。 空間に封印陣を直接描く超高等技術だ。 巨大な蓑虫と化した闇の塊の下の地面、ホームに封印陣が浮かび上がった。 宙に浮いていた闇の塊は、吊るしていた糸が切れたように落下し、和香の描いた封印陣の中に落ちた。 まるで小石が水面に落ちたるように、とぷん、と音がして闇の塊は封印陣の中に沈んでいった。 「ここはどこだ?」 霧の中、松元はホームに立っていた。 足元にお(ふだ)がたくさん落ちていた。 身体に数枚ついていたものも、ハラハラと落ちる。 手を見ると、何故か切符を1枚持っていた。 見覚えのある小さな切符だ。 ねっとりとした、粒子の大きな霧が、緩い空気の流れに沿ってただよっている。 周囲を見渡すが、ホームがあることと、遠くに山の輪郭がみえることしかわからない。 「カンカンカンカン」と遮断機の下りる音が、霧の向こうから聞こえて来た。 近づく車輪の音とともに、霧の中から列車が現れた。 ホームに停まり、ドアが開く。 車掌が降りて来た。 帽子の下で大きな猫の眼が光っている。 「車掌が猫なのか?」 松元は最初ぎょっとしたが、その猫の顔に何故か見覚えがあった。 車掌は松元を見て口を開いた。 「お客様、風の列車にようこそ」 「風の列車?」 「この列車は、昔この地を走っていた山野線の記憶です。そして、あなたもこの記憶の一部となります。彷徨(さまよ)える魂も、いわば記憶なようなもの。私もかつてそうでした。さあ、この列車にお乗りください」 「俺はなんでここにいるんだ?」 「お亡くなりになられて、しばらく彷徨っておられたのが、何かのきっかけでここに来られたのでしょう」 車掌は流暢に語りかけていたが、松本の横顔をじっとみて、表情を変えた。 「もしも人違いでなければ、、、おじさん、松元のおじさんですか?私ですよ。わかりますか?」 「ひょっとして、お前、チビか?」 「そうです。可愛がっていただいたチビです」 「そうか、そうか。おまえ、こんな所にいたのか」 松元の差し出した掌に頬をこすりながら、 「この列車の車掌をしています」 と猫の車掌、チビは言った。 「お前は駅と列車が好きだったものなあ」 「松元さんもお亡くなりになられたんですね。悲しいけれど、お陰でこうやってお会いすることができました」 「三か月前に死んでいたそうだ。祓い屋という女の子たちに、貴方は死んでいるといわれて腹が立ったが、どうやら本当のことだったみたいだな」 「女の子たち?」 「そのうちの一人に、ここに行かされた。いや、行かせてくれたのだろうな」 「その女の子とは、黒い服を着た人でしたか?」 「それが良く覚えてないのだが——そういえば、たぶん、黒い服を着て帽子を被った華奢な子だったような気がする」 「やはり、あの方が」 「知っているのか?」 「はいーー」 「そうか、じゃあわかっていてここに儂を行かせたのだな」 「松元さんも、この列車に乗りますか?」 松元は列車を見渡した。 「キハ20系だな。なんとまあ懐かしい」 「今はもう走っていない列車です。これは皆の記憶ですから」 「乗ったら、お前と一緒にいられるのか?」 「そうですね。私たちはいくつもの意識と記憶の集合体。松元さんの魂も私たちに溶け込んで、ひとつになり、ずっと一緒にいられます」 「そうか——」 (良かったネ、猫ちゃん) どこかで聞いたような声がして、ふと振り返った車掌であったが、 松元の手を優しく引きながら列車に乗り込んでいった。 ドアが閉まり、列車はゆっくりと動き出した。 そして霧の中に消えて行った。 「一件落着だったねー」 小さな花柄のコーヒーカップに口をつけ、ゆっくりとテーブルに置きながら泉が言った。 「今回はお札のコストもそれほどではなくて、ちゃっかり収入得られますし」 ソファに腰かけた小百合は、自分で見つけて来た仕事のせいもあるのか、膝の上で手を組んで満面の笑みである。 別のソファで、和香は深く腰掛けたまま、大きなゴールデンレトリーバーのりんにもたれ、スースー寝息をたてて眠っている。 そのりんが、郵便ポストに何かが届く音がして片目だけ開けた。 「和香ちゃん、寝ちゃってるね」 「ここ数日で二度も大きな封印術を使いましたから。さすがの和香ちゃんも疲れたのでしょう。でもいい夢をみているみたいですわ」 小百合が覗き込んだ和香の寝顔は微かに笑っていた。 「ねえ小百合ちゃん。私たちの身体ってさあ、細胞がどんどん入れ替わっていくじゃない?」 「人間の身体の細胞は、だいたい3年ですべて入れ替わってしまうと何かの本で読んだことがありますわ」 「それって、今私たちの身体を作っているものと、三年後の私の身体を作っているものって全く別のものって事だよね」 「物質的に言えば全く別のモノですわ」 「でも、三年前の私は私だし、三年後の小百合ちゃんも小百合ちゃんだよね」 「そうですね。私が私である理由は、身体という入れものではなく、私であるという記憶なのだと思いますわ」 「あのおじさんの霊も、長い間に山野線の記憶の中に溶け込んでしまうのかな」 「溶け込んでしまうけれども、猫ちゃんと一緒に居られて、きっと幸せだと思いますわ」 泉は背伸びをした。 「さーて、12万円はいったら何に使う?」 瞳が星のように輝いている。 「とりあえず、怨霊化を止めたお(ふだ)が税込み1枚450円で20枚の9000円、私の手持ち分を使いましたから先にいただいて宜しいでしょうか?」 「いいわよいいわよ、9000円ぽっち」 「では残り11万1千円の半分は貯金して、半分は伊佐の美味しいものめぐりとかいいんじゃないでしょうか」 「久しぶりに、和香の言うところの赤いお肉、食べられるね」 「お腹減ってきましたわ!!」 かくして、祓いは終わり、 測量は無事執り行われ、平島から礼金を受け取ることとなるのだが、、、、 泉も小百合も、そのときはまだ知らなかった。 郵便受けに市役所から固定資産税の納入票が届いていることを。 昨年までは借家として暮らしていたこの家の名義が泉に変わり、土地建物込みで11万1000円の請求があるということを———。 (風の列車 完)
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