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「車掌がこっちにくるぞ」
平島が慌てて久保と樺山に言う。
車掌が三人の座る座席の前に来て、手を差し出した。
「切符を拝見いたします」
大きな黄色い猫の目を見開いて、そう言った。
平島と久保と樺山は、既に切符が無いということがわかっていたが、ポケットを探す仕草をして、
「す、すみません。切符持って無いんです」
と言った。
にこやかだった猫の車掌の目が、キリキリと鋭い光を帯びた。
「切符が無いですと?」
「はい、無いんです。すみません」
平島は自らの顔から音をたてて血の気が引くのがわかった。
「貴方たち、いま、ポケットを探しましたよね。それは切符を持ってないのに、私を欺くためにとった仕草だったのですか?あたかも過失だったように見せかけるために」
猫の車掌はゆっくり言葉を区切りながら、平島の顔を見つめて言った。
「いえ、私たちは測量をしていたのですが、気がついたらこの列車に乗っていて、、、だから切符なんて買う暇が無かったんです」
「だったら、最初から切符が無いと言えば済む話ですよね。なのに貴方たちはさも切符を買うことを忘れたと装うために探すふりをした。違いますか」
猫の車掌の目はさらに鋭い光を帯びた。
「いや、ち、違います。僕たちはその、測量をしていたんです、でも、気がついたらいつの間にかこの列車に乗り込んでいて」
「そんな言い訳が通ると思っているのですか」
猫の車掌の長い数本の髭が、それぞれ意思を持っているように動く。
少し開いた口に、黄色い牙が覗いた。
「いやいや、ほんとですって。僕たちは知らないうちにこの列車に乗っていたんです」
久保が目を見開いて車掌に言った。
「そんな筈あるわけないだろう」
気が付けば、首から木箱を下げた男が目を闇の中の三日月のように剥いてまくしたてた。
「なんてずうずうしい人達なんでしょう」
子供を連れた女性が呆れた口調で言う。
「信じられない」
セーラー服の女学生が、蔑む目で平島たちを見ていた。
「ほら、皆さんも貴方たちの所業をお見通しなんですよ」
猫の車掌が低い声で言い放った。
「お前たち、何しにこの列車に乗ったんだ?」
乗客たちが声を揃えて言う。
乗客たちの顔が、黒い球になり、口が割れたスイカのように赤く、目が三日月の様に黄色く鋭くなり、大きな声の合唱になった。
「この列車に何しに来た!降りろ!降りろ!」
平島たち三人は恐怖に歪んだ顔を互いに見合わせた。
こんなにたくさんの乗客が乗っていたか、と思われるほどの人数が平島たちを取り囲んでいる。
列車を降りようにも出入り口までたどり着けそうにもない。
「しゃ、社長、ど、どうしよう」
「夢だよ、きっとこれは夢だ。俺たち夢を見ているんだ」
「怖い、怖いっすよ社長」
三人は席を立ち、お互いに身を寄せたが、乗客たちの勢いはおさまらない。
平島はふと半分開いている窓に目をやった。
「久保君、樺山、窓から逃げるぞ」
「窓からですか?」
「それしかない」
乗客たちの顔は皆どす黒くなり、紅く割けた口と黄色く吊り上がった目しか見えない。それが大きな波となり三人に押し寄せてくる。
「ひいいいい」
悲鳴を上げて、平島は車窓を開け、外に飛び出した。
久保も樺山も後につづいた。
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