潜行

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和香は車内を見まわした。 イスは枠が鉄で、座面は青い別珍(ベルベット)だ。座りながら触れた手のひらの感覚が気持ちよかった。 男の子は母親の膝から離れ、窓の外の風景を見ている。 和香も外を見た。 見慣れたはずの伊佐の田園風景だが、田んぼの形が違う。 和香の知っている風景では、田の形は殆どが長方形で、それがタイルのように整然と並んでいるのだが、今、窓の外に見えている田園風景は、三角もあれば楕円に近い形もあり、不定形な田んぼが並んでいる。その中に大きな木が立っていたり、細い川が蛇行していた。 「昔の風景なのかナ?」 和香はつぶやいた。 向かいの席に座る母親と子供が、何やら会話をしているのだが、その声は遠くから聞こえてくるような、古いラジオから聞こえてくる声のような、そんな印象をうけた。 「次はぁ~山野ぉ~山野ぉ~」 スピーカーなどついていない筈の社内に、車掌のだみ声が響いた。 「西山野からお乗りのお客様、切符を拝見させていただきます」 連結部のドアが開いて、車掌が現れた。 大柄で少し太った大人の男性、そんなふうに見えたのだが、帽子の下に見えている顔は猫そのものであった。 長袖から出ている手首は猫の手だ。手に切符鋏を持っている。 その鋏をカチャカチャと鳴らしながら、車掌が列車の中を歩いてきた。 和香の向かいに座る、若い母親が切符を差し出し、車掌がその切符に鋏で切れ目を入れた。 「先日は、おいしい缶詰をありがとうございました」 車掌が若い母親に礼を言った。 母親はにっこり笑う。 車掌は手を伸ばし、男の子の頭を撫でた。 そして、振り向き和香を見た。 「切符を拝見させていただきます」 「ごめんなサイ。切符はナイの」 猫の車掌が、和香の顔を覗き込んだ。 「今、何と言いました?」 「切符、持っテないんダ」 「切符を持っていないとはどういうことですか」 ちりちりと、車掌の周りの空気が張り詰める。 車掌の口がゆっくり耳まで裂けて象牙色の牙が覗き、黄色い眼が吊り上がった。 猫の手の爪がギリギリと伸びる。 列車の中が夜のように暗くなった。 「この列車に無断で乗ったからには、それなりの―――」 「それなりの、ナニかな?」 和香はにっこり笑った。 「かわいい猫ちゃんだね」 右手を差し出し、レースの手袋の人差し指を猫の額に当てる。 「ヨシヨシ」 猫の車掌の体中から噴き出していた黒い瘴気とも殺気ともつかないものは、するすると和香の右手に吸い込まれ、やがて車掌の顔に穏やかな表情が戻った。夜のように暗かった列車の中も、朝が来たように明るくなった。 「おや?」 「どシタの?」 「これは驚いた」 車掌は黄色い目をパチクリとさせた。
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