みっちゃん

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 ある日突然、そいつはやって来た。  玄関の扉が開く音がして、いつものように「おかえり」を言いに行ったら、みっちゃんの隣に、背の高い男が立っていた。  驚いたことに、そいつは、いつの日かみっちゃんを泣かせた悪ガキだった。あの時とは、ずいぶん見た目も雰囲気も変わっているけど、オレの鼻はごまかせない。  さらに驚いたのは、みっちゃんが、そいつととても親しげに見えたからだ。今までに見たことのない、はにかんだような顔で、みっちゃんが笑っている。 「いらっしゃい。どうぞ、お上がりになって」  みっちゃんママが、にこやかに言う。その後ろで、緊張気味に顔を強張らせている、みっちゃんパパ。 「では、お邪魔します」  ダメだ、みっちゃん。そいつは悪者だ。騙されているんだ。  床にうずくまり、泣きじゃくる、小さなみっちゃんの姿が、まぶたの裏側によみがえる。頭が、かっと熱くなった。  その瞬間、突き動かされたように、オレは飛び出していた。歯を剥き出しにして、力を振り絞って、そいつ目がけて飛び掛かる。 「ダメ! ケンちゃん!!」  叫び声に、オレはその場で凍りついた。  恐る恐る顔を上げる。みっちゃんが、オレを見下ろしていた。今にも、泣き出しそうな顔で。 「彼を、傷つけないで」  その顔が、まるで見知らぬ人のように見えた。かぼそい、でも有無を言わさぬ響きを持った声が、見知らぬ人の声のように聞こえた。  みっちゃんは。  その時、オレは悟ってしまった。信じたくはなかったけれど、頭の中にピカッと稲妻が走るように、分かってしまった。  みっちゃんは、そいつのことが好きなんだ。  気がついたら、オレは、玄関のドアの隙間をすり抜けて、駆け出していた。 「ちょっと、隣、いいかな」  地面に腰を下ろす気配がした。いてっ、と男が呟く。オレは、そっぽを向いたまま、すん、と鼻から息を吐く。  硬い砂利だらけのこの土手道は、みっちゃんと二人で、何度も何度も歩いた思い出の場所だった。  自分の腕に顎をのせた体勢で、オレは、ぼんやりした真っ赤な夕日が、空を染めていく様を見つめる。  今日の夕ごはんは何かなぁ。  制服姿のみっちゃんが、オレに笑いかける。口元に人差し指をあてて、くりくりした目を細める。  えへへ、ケンちゃんにも、あとでこっそり分けてあげるね。お母さんには、内緒だよ。みっちゃんの、とびきりの笑顔が、くっきりと目に浮かぶ。 「みっちゃんのことが、好きなんだ」  男が、呟いた。 「そのことに初めて気がついたのは、キミと大喧嘩した、あの日だったんだよ。僕は、とてもとても幼かったから、あんな方法でしか、みっちゃんの気を引くことができなかったんだ」  だけど、今は違う。 「泣き虫なみっちゃんが、いつも笑って過ごせるように、僕が守る。一生かけて、僕は、みっちゃんを必ず幸せにする」  でも、まだプロポーズもしてないんだけどね。  照れくさそうに頭をかき、困ったように微笑む。この台詞、本当は、みっちゃんに言うつもりだったんだけどなぁ、と。  その言葉を聞いた時、胸の中のわだかまりが、すっと消えていくのを感じた。  本当は、オレは気づいていたんだ。  オレは、みっちゃんのヒーローにはなれない。ずっと側で、あの子を守ってあげることは、できない。  オレは、ゆっくりと身を起こして、そいつと正面から向かい合った。身体の節々が強張って、キリキリ痛んだけど、我慢して、ぴんと背中を伸ばして座った。  本気なのか?  霞んでよく見えない目を凝らして、じっと、そいつの顔を見つめる。  本気で、みっちゃんを幸せにする覚悟があるのか。みっちゃんの、ヒーローになる覚悟があるのか。 「約束するよ」  手のひらを差し出して、男が頷いた。まっすぐな、揺るぎない眼差しだった。  それを見て、オレは、ふっとため息をつく。仕方ないなぁ、と思う。そして、ゆっくりと、手を伸ばした。  みっちゃんを泣かせたら、許さないからな。  骨ばった大きな手のひらが、オレの小さな肉球を包み込む。かさついたその手のひらは、みっちゃんのそれと同じくらい、温かかった。 「ケンちゃん! やっと見つけた!」  遠くの方から、みっちゃんが、大きく手を振りながら走ってくる。次の瞬間、頭からつんのめって、嘘みたいに、大袈裟に転ぶ。うわーん、と子供のような泣き声が、夕焼け色の土手道に響き渡った。  一瞬だけ、顔を見合わせる。そして、オレたちは、にやっと笑って走り出した。
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