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ルームミラーに映る出口の光が、次第に遠ざかっていく。
無音の室内で、自分の呼吸が荒くなっているのがわかる。体中に不安がどっと押し寄せてくる。
これぞまさに自分が長年追い続けてきたものだった。この緊張感、どうなるかわからない興奮、体を駆け巡る恐怖。
車をぶつけるのは避けたかったのでスピードは出さず、ヘッドライトに照らされる地面に注意しながら進んでいった。
地面は舗装されているが、ところどころにへこんだような場所があり、時々車体が大きく揺れた。
暗闇はどこまでも続いた。もう五分は経っている。ひたすらにまっすぐな道が続き、照明は一切存在しなかった。
「さすがに『真っ暗闇トンネル』と呼ばれるだけあるな」
悟志の声に光祐は返事を返さなかった。
あまりの暗さで隣に座る光祐の姿も見えなかったが、彼は恐怖のあまり口をきけないのかもしれない。
そのまま進んでいくとヘッドライトに何かが映し出された。
車を停めて目を凝らすと、それは地面に書かれた文字のようだった。
赤いペンキを垂らしたような字だ。
夕タ暗。
暗号か何かだろうか。
「これは何だ?」
悟志の頭に連想されたのは、先ほどトンネルの入り口を照らしていた夕陽と、今、目の前に広がる暗闇だった。
夕陽、夕陽、暗闇?
もしくは「タダ暗イ」の文字が消えかかっているとも考えられる。
しかし濁点も「イ」もあったという形跡は全く見て取れず、逆に残された字は鮮明なので、そこだけきれいさっぱり消えるのは不自然な気がした。
何なのだろう。誰かが雰囲気を出すためにイタズラで書いたのか? だとするなら、「許さない」だとか「殺してやる」とかもっと怖い台詞があったろうに。
不思議に思いながら、再び車を発進させる。
そこから、ところどころにその文字が現れた。『夕タ暗』。何を示しているのだろう。
色々と思考を巡らせながら車を進めていると、徐々に道幅が狭くなってきた。
流石に気味が悪くなってきて「引き返そうか」という考えが微かに頭をよぎるが、「ここまで来たからには行けるところまで行ってやろう」という気持ちがそれを抑えつけた。
突然の事に、しばらく何が起きたのか理解出来なかった。
車体に振動が走り、ヘッドライトが消えたのだ。
少ししてから、車が何かに衝突したことを知る。
視界は真っ暗闇に包まれた。
チッと舌打ちをしてギアをリバースにいれ、アクセルを踏み込む。
「ん……? 何でだ……」
車が動かない。
「おい、動けよ。嘘だろ……」
何度も何度もアクセルを踏みつけるが、車体はびくともしなかった。
でこぼこにはまったのか、それとも何かが引っかかっているとか……。
この狭さではUターンもできない。
もう一度アクセルに足をつけたところで、体にぶわっと鳥肌が広がる。アクセルと足の間に何かが挟まっている感覚があった。
悟志は手さぐりでそれを探すと、顔の近くに寄せた。ぼんやりとした輪郭は見えるものの、それが何なのか判断できない。
手で輪郭をなぞってみる。布のような感触、続いてつるつるとした感触、そして、髪の毛のような感触。
「人形……」
突如、車内にぼんやりとした光が入り、手にしているものが目に入る。
それは、両目をくり抜かれた日本人形だった。
わけのわからない奇声を上げ、それを放り投げる。
すぐにドアへと手をかけ、力に任せてそれを押すがドアは開かない。
窓から下を覗くと、ぐっしょりと濡れた女性がドアにもたれかかっており、その目が自分の目を捉える。
空気が漏れるような音を出して仰け反る悟志の肩に、後ろから手がかけられる。
「待ってくれ」
しわがれた声に振り向くと、助手席には腐乱した男が座っていた。
腹に深く包丁が刺さっており、服がどす黒く染まっている。
そこで我に返る。
光祐って誰だ……?
自分には光祐なんていう友達はいない。
それに朝、車を出したときには確かに一人だったはずだ。
それなのに一緒に車に乗っていたこいつは、誰なんだ……?
悟志は肩に置かれた手を振り払い、後部座席へと倒れ込んだ。
何とか体勢を立て直して、リアガラスから外を見る。
闇によろめく何かがいた。
炎を纏っている、焼けただれた男だった。
これが明かりのもとだったのか。
男は徐々にこちらへと近付いてくる。その後ろには無数の黒い影が見える。
体から力が抜けていく。
悟志はずるずると後部座席に倒れ込んだ。
もう、終わりだ。もっと前にUターンしておけば……。
あの文字が頭に閃く。
夕タ暗。ゆうタあん。Uターン。
そうか、ちゃんと忠告されていたんだ。
あのときもう少し深く考えてさえいれば……。
足元に目のくり抜かれた人形が転がっている。
静かに目を瞑る。
また、視界は真っ暗闇に包まれた。
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