一九九〇年

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六     ()をつけろよ、デコ助野郎 「間にあっている」  ガラス戸がぴしゃり閉められる。錠をかけるしぐさと音に、男は玄関先で固まった。 「自分のことは自分が一番わかっている、ね」あきれ顔の千尋が揶揄した。 「プランBに変更。横浜駅周辺で宿をとろう」不藁は早々に引き返す。  黒髪をセンター分けし、後ろにちょこんと結んだおさげをたらす若き日の艾草博。その取りつく島のなさといったら。 『うちは融通念仏宗で、俺は無神論者だ』『五分間祈りたいなら横浜駅辺りにでも行け』  戦前からの建物も多く残る丘谷(おかたに)の宅地の一角、世界大戦の戦間期に博の祖父も手ずから建築現場で槌を振ったという、半世紀以上前の民家の住人にひどく似つかわしい融通のきかなさ。 「ねえ、五分間祈るってなに?」昭和のギャグかなにか、と不思議そうに聞く葵の相手をする気になれない。  来た道をとぼとぼ戻る博の肩は落ち、首は怪訝そうに何度も傾いた。自信満々だった往路とは別人のようだった。 「まあ、俺よりは百倍寛容だった」五十秒は話を聞いてくれた、と不藁が多少のなぐさめを述べる。  ――いいや、いうほど(あいつ)はろくに聞く耳を持たなかった。  その原因はおおむねこいつらだ、と博は姪っ子たちをじろり見やる。 『二〇二〇年からやって来たのなら教えてくれよ、オリンピックの開催地を。東京か、え?』 『あれ、なんで知ってんの? まあ、来年に延期だけど』 『拓海、よけいなことを言うな』 『あー、はいはい。それじゃあ、おまえらは「ネオ東京(トキオ)」からやってきたわけだ』 『ねおときお? なにそれ? V5的なやつ?』 『こら、葵っ』 『先月号で連載終わっちまって残念だよ。ファンならモチ、映画は見に行ったよなあ?』 『映画って「塊減の匁」の?』 『終わったの先月だっけ? 五月じゃね?』 『「塊減」は異世界行かないし、べつにあたし』 『だからおまえら、口を挟むんじゃあないっ』 『あー、そうだ、ネオ東京から来たならいつ発売かわかるよなあ、「AKITA」の第五巻、ええ?』 『えっ、あたしたちが秋田から転生してきたの知ってるんだ!』 『アキタ違いだ。それと転生というか転送だ。てか、ややこしくなるからちょっと黙ってろ』  案の定、拓海・葵コンビに足を引っぱられたが、そのときの博にはまださほど危機感はなかった。二十一世紀からの来訪者であるむねを、過去の(じぶん)に受け入れさせる自信があった。が。 『どーしても未来から来たと言いはるなら、俺はこう聞かなくちゃあいけない。「二〇二〇年のアメリカ大統領は誰だ」とな。ゴナルド・ゼロガンだとでも言うのか?』 『え、なんでアメリカの大統領?』 『ゼロガンって誰? スランプだろ、ゴナルド・スランプ』 『葵、拓海! おまえらはぁ〜』 『ゴナルド・スランプ? スランプタワーの? ほぉー。ならさしずめ、二〇二〇年じゃ青嶋幸勇や植本寺が総理大臣や都知事になってるんだろうなあ、ははは』 『誰それ? 都知事は五池百会子じゃね?』 『あたし、五池さん知ってるっ。キニエンタスの名前の元ネタになった人!』 『ハッ、今度はアナウンサーか。よくもまあ次々とでまかせを』 『あああっ、もう!』  思いのほか引っかきまわされる。さすがに博も雲ゆきの怪しさを認めはじめ、まどろっこしい話をしていられない、と勝負に出た。 『ああ? 「メイソン」の同人誌? 持ってるがそれがどうした』『俺が管理者さんの大ファンなのは、妹がふれまわって丘谷(きんじょ)じゅうに筒抜けだ』『なに? まだ俺のことを知ってるだと?』『どっ……どどどど童貞ちゃうわ!』  だめだ。突然訪ねてきた、三十年後の己を名乗る五十男の話など、まるで聞こうとしない。ある程度までは想定していたが、考えていた以上に昔の自分は頑固。仲間の手前、恥を忍んでの指摘もただのかき損だ。 「いやー、昭和博さん、この時代(とき)まだDTだったんだなー」バス停までの道すがら、笑い飛ばす拓海は、キッと本人ににらまれて口をつぐんだ。「やっべ」  ひとごとのようなもの言いだが、過去博を驚愕させるはずが未来博(こっち)がするはめになった最大の戦犯(げんいん)はこいつなのだ。  予想以上に手ごわい過去の自身を前にし、かくなるうえは秘策を、切り札を使うしかない、と博は嘆息した。  むやみに未来の情報を伝える行為は避けたいが、このままではらちがあかない。「それ」を見せればかたくなな平成博の態度も氷のように溶け、 『おふくろ、親父。とんでもない客人が二十一世紀(みらい)からやってきた』  と、令和博と愉快な仲間(オタク)たちを両親に紹介してくれることになる、その手はずだった。が。 『おもしろいことを教えてやろう――一対〇で西ドイツの優勝』 『……?』 『三位決定戦、イタリア・イングランド戦は二対一でイタリアが勝利する』 『ああ?』 『三日後のサッカー・ワールドカップの結果だ』 『なにぃ?』 『ちなみに決勝は、PK戦でゴレーヌがゴールを決める』 『ふんっ、テキトーなことをぬかしやがって』 『じゃあ、を見てみるか?』 『実物?』 『おい、拓海。動画を見せてやれ』  そう、ここまでの自分は(己で言うのもなんだが)ちょっとかっこよかった。  ここまでは。 『えっ?』 『動画だ、ワールドカップの決勝戦。YouTubeでダウンロードした映像を見――』 『あーっ!』 『え……? って、おまえ、まさか……』 『ごめ、博さん……………忘れた』 『端末に入れなかったのか!』 『いや……、YouTube(つべ)から落とすの』 『っ……!』 『いったいなんなんだ? もういいから帰れっ。宗教と押し売りは間にあっている!』  塩をまきかねない勢いで自分に追い払われた。 「この歯がゆさがどれほどかおまえにわかるかっ?」 「だからごめんってっ」 「ごめんですんだら小半(こなから)理論も新薬(エクリプセ)もいらんっ」  役割の薄い拓海に、少しでも仕事を与えてメンバーの一員である自覚を持たせよう、そんなことを考えた己の馬鹿さかげんを博は呪った。  保土ケ谷駅への足どりは、重い。 ――――――――――――――――――――――――― おもしろかったら応援をぜひ。 本棚追加でにやにや、スター・スタンプで小躍り、ページコメントで狂喜乱舞、感想・レビューで失神して喜びます!
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