一九九〇年

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十  リーダーがしばし逡巡していた間、葵と拓海の両名が、公衆電話の研究でつきとめたことは以下のとおりである。 「なんか変な音するんだけど? 壊れてる?」  硬貨を入れると受話器から「ツー」という長い音がし、しばらくすると「ツー、ツー」との断続的な音に変わる――以上だ。  受話器を右手に、葵は、懸命にダイヤル内の数字を押している。 「始めの長い音は発信音」博は軽くため息をつき解説。「その音がしている間にかけられる。一定時間が過ぎて鳴りかたが変わると始めからやり直し」  やや興奮気味に「え、かけかた知らないと、時間切れになるたびにお金没収されちゃうの? そういう理不尽なシステム?」と抗議する姪へ、受話器を戻せば返ってくる、と電話機の上部を示す。言われたとおりもとあったように受話器を置くと、 「あ、ほんとだ」  コト、と音がし、返却口を押してみて、葵は十円硬貨が戻ってきたことを確認。けろりと機嫌をなおした。「電話かけるだけなのになんでこんなめんどくさいの?」  それは俺のセリフだ。  この時代を経験しているがわとしては、小学生(こども)でもわかることに手取り足取りの説明を要し、まどろっこしくてかなわない。  公衆電話はともかく、発信音ぐらいは自宅の固定電話で聞いたことがあるだろう、と指摘すると、 「自分でかけたことない」  かかってきたのに出たことならあるよ、すぐママに代わるからこんな変な音、聞いたことない、家電でも聞けるの?――平然と言ってのける。  携帯電話どころかスマートフォンネイティブの感覚にめまいがしそうだった。このカルチャーギャップで、この時代の人間とまともに会話が成立するのだろうか。  葵はともかく、ショップ店員の拓海が固定電話の音を知らないはずがないだろうと尋ねれば、 「なんか、オレは出なくていいっていうかむしろ絶対出るなって言われてる」  オレが電話出たらいろいろヤベぇんだって、とさらり。そんな奴を店頭に置いとくのもじゅうぶん危険な気がするが。  拓海のことはまあいい。 「葵、無理に自力でやろうとしなくてもいいから」博が介入を試みるも、ううん、やる、と彼女は聞かない。 「こんな公衆電話、めったにないんだからねっ」キラッ☆、との擬音を添えて親指・人差し指・小指(アイラブユーサイン)を伯父に示し、黄色い電話機にかじりつく。  なんかパズルみたいで面白い、代われよ葵、今度はオレがやる、待って、待って、もう少しで解けそうな気がするから、あっ、これ動くようになってる、わかった、もういける――  きゃっきゃと夢中になるふたりへ向けられる、駅構内を行き交う人々の白い目が痛い。博は額に手を当て、勝手にやってくれと首を振った。 「こまかいヒント、出していいか?」姪へおうかがいをたて、さりげなく茶番の終演をうながす。「そのダイヤル、いちいち自分で回さなくても、指を離せば戻るぞ」 「うわ、ほんとだ。手、離したら勝手に回るし。ウケる」 「地味な便利機能で草。昭和人の発想、斜め上すぎ」  俺にしてみればおまえらの発想のほうが斜め上だよ……。  けたけた笑う葵と拓海に、箸が転んでもおかしい年ごろか、と博は無表情で脳内ツッコミ。レクチャーというよりはレクリエーションと化している。  気まずげに八〇・九〇年生まれ組(ふわらとちひろ)をちら見する。博以下三名のお遊戯に目もくれず、ふたりは淡々とダイヤルし問いあわせをこなしていた。  すまん、おまえたち。至急、〇〇年代生まれ組(こいつら)をりっぱなダイヤラーに育成して戦線に投入する。  背中でわび、さくっと経験値を上げようと博の対峙するふたりは、しかし、 「とりあえず、たくみんのスマホにかけてみる。番号言って」 「言うぞ、〇八〇」 「〇八〇」  いや無理だろ。  二重の意味でツッコむ。  どう考えてもかけられるわけがないし、平成初頭の常識をこんな令和脳どもに習得させるのも無理だ――いいや、このふたりが特別おかしいだけか。  電話回線の説明を重ねるもいまひとつぴんとこないらしい。 「――とにかく、スマホとこの時代の電話は互いに受発信なんかできん」 「えー。じゃあ、どこにかける?」 「とりあえず一一〇番(けーさつ)とか?」 「や・め・ろ」拓海へ、くわっと目をむく。「なんで『とりあえず』で一番まずいところが普通に出てくるんだよ」  まかり間違って警察のやっかいになれば、即刻、タイムトラベル終了のお知らせになりかねない。そうでなくても、このバカは無駄に職質を受けそうな金髪姿(ふうぼう)をしているのに。  二葉拓海(おちょうしもの)は、またしても曖昧にと笑んでごまかし切り抜けようとする。ついでにくどくど小言をたれたくなるところを、博はぐっと思いとどまった。一九九〇年(こちら)に滞在できる時間は限られる。こいつをじっくり絞りあげるのは、二〇二〇年に帰ってからの楽しみにとっておこう。 「試しがけなら一一七(時報)でいいだろう」 「じほう?」 「なにそれ」  彼らお得意のさらっと示す想定外のリアクションに、博の首は小刻みにゆれる。「いやいやいや、さすがに時報ぐらいは」 「知らないし」葵は当然のように口をすぼめる。 「ニゴニゴに昔あったやつのこと?」動画サイトの名を拓海があげた。  博は、互いに困惑しあう状況に、何連コンボかわからないジェネレーションギャップを痛感する。あれがヤバいだこれが斜め上だ言ってるが、おまえたちもじゅうぶん衝撃的だよ。 「――午前八時、二〇分、五〇秒をお知らせします――」硬質の電子音と機械的な案内音声は、葵と拓海のツボにかちりとハマったらしい。 「延々、時間をお知らせしてるし。ウケる」「むしろ怖えよ。なんだこれ」「存在理由がわかんない。スマホか時計見たらいいじゃん」「これが有料サービスって詐欺レベルだろ」「昭和ヤバい」  だから平成だ。  初めての公衆電話、初めて聞く時報へ、大いに盛りあがるふたり。  少女と若い男がなにに大ウケしているか、ちらちらと怪訝な目をくれる通行人は知るよしもないだろう。いっそ『こいつらは三〇年後の時代から来た。今日初めて公衆電話を使っていて、なんらおかしいことはない』と声高に釈明したいぐらいだ。  ――うん、よりいろいろとかわいそうな目で見られるな。特に俺が一番。  バブルに沸きたつ社会を回すべく流れる人の波を背景に、我が両腕たる二名が価格調査にいそしむ横で、自分はなにを展開しているのだろう。 「へー、天気予報の番号もあるんだって」  拓海のなにげない言葉に博が固まる。時報の番号は教えたが一七七(天気予報)は、と見やった彼の端末に表示されているのは、博の作成した行程表(PDF)。資料の項目から目ざとく見つけたらしい。読めと言ったときには読まず、よけいなところでは頼んでないのにあさってくれる。  これでまた、好奇心の塊のような姪っ子の寄り道が「天気予報? 電話でどうやって? てか、ネットかテレビ見ればよくない?」わき道にそれる。博の顔に渋そうなしわが走る。  十代・二十代コンビは、最年長のリーダーのやるかたない思いなどおかまいなしで、 「うわ、ほんとに天気予報が流れるし」「電話で予報聞くって発想が斬新。昭和、ガラパゴスすぎんだろ」「みりばーるってなに? バールのようなもの?」  例によって例のごとく道草の食べ放題サービス。頭痛が痛い。  リーダーシップの発揮できていない己だとかあれこれに、アスピリンを口いっぱい頬ばりたくなる博であった。 ――――――――――――――――――――――――― おもしろかったら応援をぜひ。 本棚追加でにやにや、スター・スタンプで小躍り、ページコメントで狂喜乱舞、感想・レビューで失神して喜びます!
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