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二十一
正念場は、拍子抜けするほどにあっさり乗り越えた。
「立花千尋と申します。私はプログラマーをしております」
「不藁剛といいます。私は自衛官です」
「なんでおまえたち、『私は』って強調するんだ。俺へのあてつけか」
「まあ、自衛隊のかた? 横須賀基地にお勤め?」
「いえ、少し前に朝霞――檜町庁舎へ異動を。現在は諸事情により休職中の身なのですが」
「さようで。いやしかし、おふたりともきちんとお勤めでいらっしゃる。こんな歳になっても案の定、ふらふらしている息子と違って」
わざとらしく作ったしかめっつらでちらと見られ、「親父っ」ふたりの博が同時に抗議した。
うふふふ、と夫の隣で妻が笑む。
家人の四人と未来組の五人という、出勤・登校前の時間帯らしからぬ大人数が囲んでも、厚手の樫の座卓は、狭苦しさを感じさせない。
博の父・艾草清の父、つまり博の祖父が建てたこの家は、最盛期には、博から見て高祖母にまでさかのぼる五代の大所帯を抱え、盆暮れ正月に集まる親戚の数は法事かというほどのおびただしさ。
家族や来訪する親族が増えるたび建て増しを重ねてきた入り組みようは旅館のそれに通じ、脱サラリーマンして民宿でも始めるか、とは艾草家定番の笑い話である。
ちょっとやそっとの来客は余裕で受入可能の頼もしい造り、ありあまる収容キャパシティー、これを活用しない手はない。実家をバブル時代の行動拠点とするのが、今回の対コロナ作戦における最重要項目のひとつだった。
パソコン通信への接続環境、特に有料サービスであるゴフティーサーブを利用できる点も大きなメリットだ。一応、ゴフティーに関しては、IDとパスワードが手もとに残っていたので、自宅以外からでも接続は可能だったが、無断での使用はいろいろと問題が多い。あくまで最終手段とし、極力避けたかった。
実家へ滞在するには、家の主人である清、そして家のいっさいを預かる節子、両者の了解と協力が必要不可欠だ。
若い艾草博を口説き落とすのもひと苦労だったことを考えれば、ひとつ上の世代の両親は並たいていの攻略難度ではない。
例えるなら、小ボスのつもりで挑んだ過去博が中ボスクラスの手ごわさだったとすると、父母は大ボス。いや、へたをすれば小半助教授に匹敵するラスボス戦級の厳しさが予見された。それでもこのハードルを乗り越えなければ、計画全体の難易度が上がってしまう――おもに経済面で。
よりにもよって、世はバブルの最末期。収入の恩恵にはあずかれないのに物価は無駄に高く、用意しなくてはならない現金は、二〇二〇年時点では市場にほとんど流通していない旧紙幣。
この、ただでさえ厳しい滞在費を不必要に押し上げているメンバー――同年代の母親に「ママ、そのもっさりヘア、ダサくない?」と言わなくてもいい忌憚のない感想を述べて「ハア!?」といらぬ不興を買ってみたり、庭先で落ち着きなくぐるぐる歩きまわる犬へのんきに手を振ったりしている二名は『一万円札なら似てるからギリいけなくない?』などとむちゃを言う。なにがギリだ。そんなものを一九九〇年で使いでもしたら日本じゅうが大騒ぎ。アウトオブアウトに決まってる。
怖いものしらずの拓海は『なら、昔の一万円をスキャナーでいい感じにアレすんのはどーよ?』令和のと違って裏面の鳥もザコそうなクソ古ぃ札だしチョロいんじゃね、と無責任なことを言いだす始末。造幣局の技術ナメんな。
『ジパンゴ』に出てくる戦時中の軍票じゃあるまいし、旧諭吉はおろか、二世代前の聖徳太子ですら無謀だ。そもそも今どきのスキャナーは、国内はもとより外国紙幣まで検出するのでスキャンできない――千尋に任せれば、もしかしたらスキャナーやソフトウェアを「いい感じにアレ」して偽造対策をかいくぐることは可能かもしれないが。
万一、バレて偽造通貨行使でしょっぴかれようものなら最低でも三年食らう。小半助教授との接触も、未来へ戻る時空のむらを利用する機会も失い、二〇二〇年へ帰るのに三十年かかって、対コロナ計画は「失敗した 失敗した 失敗した 失敗した 失敗した(×20ぐらい)」だ。
『んじゃ、千円札のヒゲのおっさんレベルならギリセー』
『アウト寄りのアウトだよ。偽札から離れろ』
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