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十八
とはいえ、〇〇年代生まれ組もまったく理解力ゼロというわけではない(と願いたい)。小半助教授からパスワードを引き出す計画へ加わるには、やはりこの時代のことはある程度、把握してもらったほうがいい――つくづく今さら感はあるが。
五パーセントぐらいは飲み込んでくれることを期待し、PC講座 in '90を敢行する。
「まず大前提として、この時代のPCは文字中心。すべては字や記号で表現され、画像は基本的にもちいない」
「なるほど、わからん」拓海の即答に博は、速いな、と軽く萎え、
「日本語でおk」姪の全反射にげんなりした。
いいや、情報端末の入口が最初からiPhoneやWindowsだった世代だ。文字だけで構成されたUI(ユーザーインターフェイス)など想像できなくて当然。実物の操作を交えながら噛んで含めれば多少は。
「見てのとおり、表示されるのは文字だけだ。こうやって――」
博はキーボードを手もとに寄せ、”DIR”と打ち込み実行する。
PCから機械的な音が聞こえ、前面のランプが点滅。数秒ののち、黒一色の背景へなにごとかがずらずらと示される。
ほとんどがCONFIG.SYS、COMMAND.COMといったアルファベットと数字の羅列で、一部の日本語も、ボリュームラベルだのディレクトリだのと令和組になじみのないカタカナ用語。葵のたて続けの「日本語でおk」を誘った。
「こんな具合に取りあつかいは文字ベース。操作はだいたい全部キーボードでおこなうから、マウスはあまり使わん」
へえー、との若い声に、博は不満げに口もとを曲げる。期待した反応を見せたのは、対象の受講者ではなく部外者。
ふーむ、MS-WINDOWSの時代が来るとMacintoshのようにマウス入力になるんだなあ、いったい何十メガヘルツのCPUが必要になるのやら、とひとり感じ入っている。肝心の生徒二名はぴんとこない顔を左右に並べるのみだ。
「なんだかよくわかんないけど――」葵が、伸ばした左手で画面を下から上へなぞる。「もっと簡単なやつで――あれ?」
首をかしげる葵は、おいっ、との非難めいた驚きにびくり振り向く。「なに、昭和のほうのおじさん?」
「なんでモニターに触んだよ」
「え、これスワイプしちゃだめなの?」
「はあ?」
折りたたみの座卓からタオルを取り、画面が汚れるだろ、と昭和もとい平成博はせかせか拭う。ぱちぱち瞬いてもう一方の伯父を見ると「タッチディスプレイじゃあないんだ」とこちらも渋めの表情。
「じゃあ、どうやってホーム画面出すの?」
この画面、全然アイコンないし使いかたわかんないよ、となおマウスで一生懸命スワイプを試みる姪っ子に博は思った。令和初期を生きる少女は、昭和初期の人間と同じぐらいDOSを理解するのが困難なのかもしれない、と。
「とにかくだ。とりあえず、画像のたぐいはない。アイコンもだ。絵は、ない」
極限まで簡略化した雑な力説に、新旧ふたりの女の視線が痛い。
ひとりは旧のほう、妹にして母親の陽子。なんだか知らないがバカバカしいやり取りをしているな、との白い目。
もうひとりは新のほう(というには、皮肉にも前者より歳がいっているが)の千尋。自身のITスキルの五万分の一でもわけ与えたいと言いたげな哀れみの目線を送信。
そして当の少女は、ごく自然の疑問を伯父へ投げかける。「それだと小半助教授にイラスト送れなくない?」
このパソコンからネットにつなぐんだよね、画像ない機種、と指さす姪に、若い伯父は、モニターに触るなよと警戒し、若くないほうの伯父は講座を続行する。
「いくつか訂正させてもらうと、画像がまったく使えないわけじゃない。俺たちの時代から見れば遥かに貧弱だが、あつかうことはできる」
「貧弱って……。PC-9805は、PC-8805の8色から倍増して、4096色中、16色が同時使用可能なんだぞ」
未来じゃあ32色まで使えるようになっているのかもしれんがこれでもじゅうぶんハイスペックの、ともの申す博に博は、いいから邪魔をするな、とめんどくさげに手を振った。
葵はわかってなさそうだが、姪よりは(無駄に)多少知識のある拓海が得意げに端末を見せびらかしたりしないかと、先んじてにらみつける。が、こちらもあまりわかってなさげな顔で、え、なに、といつもの条件反射でご機嫌取りの愛想笑い。小さく嘆息し、博は姪に向き直った。
「仮に画像が表示できなかったとしても、データ自体はあつかえる。実際、JPEGファイルはPC-9805じゃ基本的に見られないが、ファイル操作はできるし送信も可能だ」
もっとも、小半助教授側の端末じゃ見られないしファイルサイズ的にもまともに送れやしないがな、と博は両肩を上げてみせた。
「画像データについてはまたあとで詳しく説明する。あと小半助教授だが、そこも訂正ポイントだ。おまえは、彼女に『画像を送る』と言ったが、語弊がある。送りはしない」
「えっ、イラスト、送らないの?」
あたし昭和キャラ描かなくていいの、と葵は意外そうな、ちょっとうれしそうな声をあげたが、即座に伯父の訂正が重なる。「もちろん違う」
なんだ、とがっかりする姪に、なんの役目もない奴もいるんだぞ、と当人を一瞥。すばやく作る再度の愛想笑いに鼻を鳴らして、博は、二十世紀の博へパソコン通信に接続するようにと端末前を譲った。
畳へ無造作に置き散らかしてある牛乳パック大のプラスチックケースから、平成博は一枚、フロッピーディスクを抜き出す。端末前面の細長い挿入口に差し込まれる黒いディスケットを、拓海が、これなんてデバイス、と尋ねた。
「ショップ店員ならフロッピーぐらいわかるだろ」
「こんな謎デバイス、初見だし」
おまえの店、中古だってあつかってるだろう、とのあきれ口調に、千尋が(拓海相手にはめずらしく)助け船を出す。「フロッピーディスクはもう絶滅危惧種よ」
「えっ、そうなのか?」ふたりの艾草博が驚き、背後のプログラマーを見上げた。
彼女は組んだ右腕をほどいて軽く持ち上げ、葵の二・五倍はありそうな黒髪を揺らす。
「モグさんだって最後に使ったのがいつか覚えてないんじゃない?」
「た、たしかに……」
「そうとうできる男の子が今年うちに入ったんだけど、彼でさえ、会社の倉庫室で見たとき『これ、なんですか?』よ」
MOやPDと間違えるとか以前で、五秒ぐらい脳がフリーズした、と語る彼女に、ダブル博もプチフリーズ。
「フロッピーがそこまで過去のものになっていたとは……」
「フロッピーがそこまで過去のものになるとは……」
信じられん、とうつむき加減にハモる博たちであった
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