二〇二〇年

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七     艾草博の憂鬱  先週、ゴールデンウィークの初日。新型コロナウイルスの自粛要請から、飛び石だった連休がつながり、博宅に仲間(メンバー)五人がそろってのだらだら、ぐだぐだとしたいつもの集まりがあった日のことだ。  日が暮れてまず中学生の葵が母親の迎えの車で帰り、次に不藁が強面(こわもて)のわりに宵の口で早々といとまし、女の千尋もそう遅くまでは残らずに抜けて、博は拓海とふたりして、  野郎とのサシ飲みは華がないな、華ったって無愛想の千尋さんじゃドライフラワーじゃん、おまえそれあいつの前でも同じこと言えるのか、無理、よくて殺される、悪くしたらスマホやPCにウイルスかなんか仕込まれて社会的に抹殺される、  などと本人がいないのをいいことに好き放題言い、日付が変わってからも飲み続けてお互い酔いつぶれ、明け方、ふせっていた座卓から頭をもたげると金髪頭の姿はなかった。  卓上の携帯端末を見やると、ちょうど午前五時のアラームが鳴った。  指先で停止させ、博はしばしぼんやり。  電車も動いてないのにあいつどうやって帰ったんだ、と酔った頭で深く考えなかったことを、このあと彼は後悔する。  渇いた喉の要求に従い、ふらつく足で台所へ向かうと、いつもの声が聞こえた。 「おはよう、博」  酒盛り翌朝の鈍重な頭のなかで響くには場違いにとした声に、顔をしかめる。「二日酔いの脳内に耳障りだ、adiós(アディオス)」  神(自称)の名前と別れのあいさつをかけた抗議に、神様は「つれないな。aDiosは君の伴侶だよ」と元気に返した。  アディオスが称する「aDios」に対し、博の言った「adiós」は、長い別れ、もっと言えば「もう会いたくない」との意味あいでも使われる言葉だ。声質や口調の幼さとは裏腹に、博の込めた皮肉を解し真っ向から否定するその知性に、食えん奴だ、と口を曲げる。  ふと博は、アディオスとのやり取りを声に出していたことに気づきした。が、メンバーは皆帰ったあとだ、とすぐに思いなおす。  彼が「神様」の声が聞こえることはすでに四人のバンド仲間の知るところとなっており、今さら案ずる必要はなかった。  それでも、千尋の名づけた「妖精さん」の愛称で、アディオスが博の想像の産物とみなされ、仲間内から生暖かい目で見守られているかのようなあつかいを受けるのは大いに不本意だ。  一般的な同年代と比べれば自身が変わり者であり、あまり地に足のついた人生を送っていない自覚はある。しかし、ひと昔前でいうところの電波系――怪電波を受信し妙な言動をとるたぐいの人種ではないと自負している。変人視は甘受しても(むしろ逆に誇らしく思っているふしすらある)、かわいそうな人あつかいは自尊心が削られる。  なので、(疫病)神との会話は、メンバーであってもなるべく見聞きされないよう留意していた。  流し台の前に立ち蛇口をひねる。  しつらえている設備も建物も年季が入っていたが、駅に近く市中心部へのアクセスは良好。閑静な周辺環境に加えて賃貸料は破格。  すぐに気に入った博はここを半永住の住まいと決め、家主に許可を取って趣味の楽器演奏用に防音対策も施した。老衰(じゅみょう)でくたばるまで悠々自適の日々を送り倒してやるはずだった。それが。 「こんなオバケもどきに日がなつきまとわれることになろうとは」  蛇口全開で勢いよくグラスを満たし、喉を鳴らしてあおる。こぼれた水で胸もとが濡れるのもかまわず、ひと息に飲み干した。  ふうぅ、と深々ため息をつき博は愚痴る。「それも生涯ずっとだと? ふざけろ」  空になったグラスをシンクへ転がし、窓ガラスの向こうがわへ目をやる。  明らんでいく空のもと、家並からごくゆっくりと影が抜けていく。つかの間、博は自然の営むさまをぼうっとながめた。ささくれた心がいくばくか洗われるような気がした。  こんなにも夜明けの景色は穏やかで神々しくあるのに、世界は微細の毒に冒され、蝕まれ、消耗の一途をたどっている。終わりの見えない病魔の席巻に、人々は疲弊と不安を強いられていた。  人類が、このような試練に辛抱強く耐えられるほど強くないことは歴史が示すとおりだ。ともすればやすきに流されるヒトという生きものが、いずれ走るであろう安易な手段を思って、博は二度目の嘆息を鼻から漏らした。 「君たち人の子に降りかかる未曾有の災い――」  幼児のようにあどけない声と口ぶりでアディオスが言う。「その危難に救いの手を差し伸べようという存在をつかまえて、オバケもどきはないんじゃない?」  非難がましさはなく、むしろどこか楽しげですらある。超然としたとらえどころのない物腰は、何年つきあってもいまいちなじめない。 「偉そうな口は、がうまくいってからにしてもらおうか」  酒臭さのこもった部屋へと戻り、博は掃き出し窓をあけた。「失敗だったら、そそのかしたおまえと自分の馬鹿さかげんを恨む」  窓辺に立ち庭をにらむ。三方を隣家に囲まれた猫の額の狭さだ。住人が不精者であることを無言で語る草がそよ風にゆれている。  手もとの端末を見た。時刻は五時十五分。あと十分で訪れることになっている、世紀の瞬間をじりじりと待つ。 「おまえは以前、俺たち人類に干渉するつもりはないと言ったな」  まっすぐ庭へ向かったまま問う博に、幼児めいた声は、そうだよ、と応じた。  あれは五年前だったろうか。  突如として聞こえるようになったアディオスの語りかけは、心をわずらうおぼえもオカルトへの寛容もない博を大いに動揺させた。  不承不承、初めて心療内科の戸を叩き、五カ月間、通院と薬の服用を続けた。  それがまったくの無用だったとわかったのは、当時、気まぐれかアディオスが示したとある予言。  それまでも、博の知らないはずの知識を語ることがあり、アディオスの存在に半信半疑ではいた。無意識のうちに記憶していたり解離性人格障害(たじゅうじんかく)であったりする可能性も考えていた。  が、誰も知りうらないことがらが的中したことにより、疑いの余地は排除された。  アディオスは、。  それでも博が頑として受け入れなかったのは、神との自称だ。  自分は根っからの無神論者だ。唯一、信仰している宗教があるとしたらそれは科学だ。アディオスを神と認めるぐらいなら、まだ、宇宙を統括する思念体とでもとらえるほうがましだった。  あいにく自分には、思いのままに世界を操る力もなければ、友人・知人に宇宙人やら未来人やら超能力者やらの疑いのある者もいない。観測してもらってもなにも出やしない。  なぜ俺なのか、なんの目的で現れつきまとうのか。  問い詰めても「神」は一流の飄々としたものいいで博をいなす。「アディオスは神なんだ。神は世界に干渉しない。ただ、気に入った君、博に話相手になってもらうだけさ」  実に迷惑千万な申し出だ。神様のスタンスは一貫し、新型コロナウイルスの脅威に世界が気づき飲まれはじめても、アディオスは、その底しれない知性を人類にわけ与えようとはしなかった。 「なぜ今になって気が変わった?」 「この世は不確実であふれている」 「どういう意味だ?」 「当初は、人類(きみたち)がいくらかの代償を支払って、この新型コロナウイルス(あたらしいゆうじん)を迎え入れ、ともに暮らしていくだろうと見たてていた」  それは今もおおむね変わっていない、とさらり補足する。  天国では友達の定義がずいぶん違うらしい、と博は感想(いやみ)を述べた。 「この世は不確実にできている。弱く愚かな君たちだ。どんなに驚きに値するほど馬鹿げた行動を取っても驚きはしない」  驚くのか驚かないのか。 「人の子が、みずからの首に縄をかけ踏み台を蹴飛ばす可能性も無視できなくなりはじめた。そうなってしまうと少し退屈だからね」  神様の退屈しのぎのために人類は救っていただけるとは。 「感涙にむせびそうだ」抑揚を欠いた口調で博は言った。「できれば、こんなまわりくどい方法じゃなく、いっぺんにコロナを地球上から消滅させてくれるとより助かるんだがな」  神様なんだろう、との揶揄にアディオスは、それはできない相談だよ、と首を振った。目には見えなくても動作は手に取るように伝わった。 「神は人類が想像し期待するほど万能じゃない。物質的な奇跡は起こせないし、導き出しうる知恵にも限りがある」あどけない声はゆるゆると説く。「仮に可能だとしても、不干渉を原則としているからね。君たち人類がすでに到達した理論(もの)――たった小半助教授(ひとり)だけれど――それへ手が届くよう、ほんの少しだけ手助けするのがせいぜいさ」 「がほんの少しね」  コロナの治療薬なんてかすんじまう過剰サービスに思えるがね、と言い、博は端末を確認した。予定の時刻まであと十五秒。 「アディオスが教えることはささやかなものだよ」  謙遜するその「手助け」の顛末を今や遅しと待ちかまえる博にはもう、神様の御託(こえ)は届かない。  五、四、三、二、一。  時間だ。 ――――――――――――――――――――――――― おもしろかったら応援をぜひ。 本棚追加でにやにや、スター・スタンプで小躍り、ページコメントで狂喜乱舞、感想・レビューで失神して喜びます!
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