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二十一 嵐の夜中に
「だからアタシ、サイパンにしようって言ったのヨォ」
廊下の向こうから不平が聞こえて、自販機の缶ビールのボタンを押す後藤厚は、顔を向けた。
「アーア、台風だなんてツイてないナア」
「せっかく沖縄くんだりまで来たのにネエ」
「マァマァ……」
若い男女が数人、連れだって歩いてくる。不機嫌そうな女たちを、それぞれのペアとおぼしき男がご機嫌取りにまわっていた。
「ホテルも一泊一万五千の安ホテルだしサ」
「苗場じゃプリンスを用意してくれたのにコレってネエ」
「ネ〜、信じらンない。チョット、ジョーシキ疑っちゃう」
三人の女たちが口々に不満をたれる。彼女らはなにかの協定でも結んでいるのか、そろってミニを履き、似たような原色の服を着、口紅は完全に同色の真っ赤なものを塗り、ミリ単位で切りそろえたワンレンで前髪を立てていた。三つ子なのかもしれない。まったく似ていないが。
「ゴメンゴメン。コイツがウッカリしてて予約が満杯で」
「埋めあわせに次はロスのスイートを取るからサ」
「じゃア、俺は六本木で貸切パーティーひらくヨ」
ディスコで踊り明かそうヨ、とおもねる男たちの姿は、相方というより飼い犬の低姿勢だ。彼らも三つ子のように皆、人気のアイドル歌手をまねて前髪をたらし、隙間から熱視線を送っている。車提供用、食事提供用、予備用といったところか。
社会経験のなさそうな子供然とした顔だちから、おそらく大学の友人同士。学生・召使いのご身分で羽振りのいいことで。
ハイパードライを取り出しながら後藤は鼻白んだ。
このホテルだって高級ホテルとはいかずともじゅうぶんに中堅クラス。自分が彼らぐらいだった二十年前にはおいそれとは入れなかったものだ。
あのころは沖縄だってまだ返還前だった。それが国内旅行へと変わり、海外のほうがよかったと学生ふぜいがだだをこねる。早くも昭和は遠くなったものだ。
自動販売機前から外へ目をやる。
屋内の照明が反射して、一階の窓からは夜の街並はよく見渡せない。強風に緩くそよぐヤシなどの植樹は不穏にさえずり、開放的な海と空を求めてきた彼らがぼやくのもまあ、いたしかたなかろう。
沖縄は台風銀座だ。後藤が一時期、住処としていた銀座が、金持ちが集いその財布の中身が嵐に舞うがごとく飛び交う場なら、ここ石垣島は字義どおり。大風がひっきりなしにやってくる。
万札さえ見せればいつでもにこにこ、クラブのママが出迎えてくれる銀座のようにはいかない。真にレジャーを楽しみたいなら最低でも五日や十日の滞在はあたりまえ。後藤のように越してくるぐらいでないと、沖縄は、本当の顔をなかなか見せてくれないのだ。
もっとも、後藤はマリンレジャーを楽しみに来たわけではないが。
東京を離れたのは、暴力団絡みで巻き込まれたごたごたのほとぼりを冷ますためであり、この石垣島も住んでいるわけではない。明日には那覇に帰らなくてはならなず、台風に気を揉む点ではそこの学生たちと同じだ。
部屋に戻ろうとエレベーターへ向かったときだった。
男女グループとすれ違った際、女たちが言った。「ゲゲッ、Mr.レディーじゃん!」
十二の目が、好奇の色に染まる。
「ウッソォー、沖縄にもいるンだア」
「アタシ、テレビと新宿のあのヘンでしか見たことない」
「うわァ〜、生きてるゥ〜」
後藤は、目をあわせることも立ち止まることもなく、ただ、通り過ぎる。
”生きてる”ってなんだ。死んだオカマを見たことがあるのか。
あけっぴろげに指さす女子大生と、同調する男たち。
よしなヨ、カワイソウじゃないか、との声は笑っている。
もう、慣れた。
自分自身がどう生まれついたかを認めたあのころから、すでに倍以上の歳を重ねた。
ここ数年はホモセクシャルも認知が進み、テレビ番組でも一定の人気を博すようになったりしているが、あつかいは珍獣のそれ。昔のように子供に石を投げられることはなくなったものの、歳が若いほど遠慮がない。小学生に罵声を浴びせられたり騒がれたりは茶飯事。むしろ学生らに、自分が”新宿の義母”だと気づかれなくてよかったと感謝するぐらいだ。
フロントそばのエレベーターのボタンを押す。その間も、離れていく声が、キッモチワルイだのエイズにかかってるかなだのと勝手放題を吐き散らしている。カウンターの受付の男もちらとこちらを見やっているようで、視線を感じる。同性愛者に人権など――ことさら地方では――ないに等しい。これも東京を出た報いだ。
後藤の昏い目に、階数表示の”1F”が灯る。出口を求めるようにエレベーター内へと入り、雑言を閉じるために備わったボタンに指を伸ばす。正面玄関から宿泊客らしき男が足早に向かってくるのが見えたが、かまわず押す。
「すみません」
角刈りの男が、そのガタイによく似あう低くて通りのいい声で、礼を言った。
後藤は”開”のボタンを離す。
誰だって、好みのタイプには親切にしたくなるものだ。
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