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二 たったひとりの軍隊は乱暴か
節子が台所へと戻ったので不藁は足を崩して腕組みし、ああだこうだとだだをこねる葵や、それをなだめすかす千尋の様子に耳をそばだてているようだ。
剃刀のごとき鋭い目もとと意志の強さを示す口角はきりと締まり、どのような不測の事態が起ころうと迅速・冷静・的確に対処可能なよう常時警戒態勢でいる、そんな面差しだった。
自衛官である彼の職務中の顔を、博はもちろん見たことがない。
しかし、九〇年に来てから――厳密にいうなら来る前の二〇二〇年、出発当日の朝から見せる仕事モードの不藁は、顔つきは一貫してドキュメンタリー番組で取材を受ける自衛隊員の――これも、限定するなら士官や下士官など、より上位の階級で指揮命令を実行する立場のそれ――有無を言わせない、鉄製の能面じみた無表情。
二十四時間、片ときも休むことなく顔面へ貼りつけたそれは、普段なら見せる気さくな一面などの人間味ある感情のいっさいを覆い、隠す。あたかも、自身は戦闘・防衛に特化した機械であると言外に主張するかのごとし。
頼もしい――はずなのだ。
護衛・サポートを受けるがわとして、実に心強い相棒であるはずだ。
自衛隊とは、自前ですべてをまかなうことのできる、自己完結可能の組織だ。民間はもちろん、組織外の行政・省庁との連携が途絶えても活動を続行し、防衛の最後をになう。その精神は大なり小なり各隊員にまでおよぶ。すなわち、不藁という男はひとつの小さな「軍隊」なのだ。自分たちには過ぎた戦力とさえいえる。
博は、縁側でちらちら女性陣のやり取りを気にしつつ犬とのたわむれを試みて避けられている青年を漫然と見やり、自身に歯噛みする。
なぜ心をひらかない、ひらけない。
無論、拓海と犬のことなどではない。
艾草博が人知れずほぞを噛むのは、強力無比の相棒、最小の「軍隊」、不藁剛。
そして、もうひとり――ほかならぬ己自身に対してだ。
姪には仲間を全面的に信頼していると請け負いながら、自身にもそのように言い聞かせながら、一抹以上の不安を拭えずにいる。
不藁が、節子に勧められて茶を受け取り、ずず、とすする。
午前ののどやかなひととき、つかの間の休息――そんなものを彼がのうのうと取っていると博は考えない。
一見、心身を休めているような居住まいだ。しかし目が休んでいない。
あの目つき、眼光。
視界のおよぶ空間のどんなにささいな異常も見逃すつもりはない、届かぬ範囲は耳でとらえよう、そう寸断なく研ぎ澄ます。
この、野生動物さながらに慎重な彼が関わったにしては、今度の計画は(今にして思えばそうとう)ずさんな部分が散見する。
最たるものはやはり、葵のイラストをもちいて小半助教授と接点を築こうとの作戦だ。
もとより不安要素の大きいアプローチではあったが、ほかに効果的な案もなかなか出ず、足手まとい、もといだいじな姪の同行を許す方便として都合がよかったため、なし崩し的に決定事項となった。
が、危ぶんだとおりに案の定、葵は遊びほうけ――具体的には『転生したらチートスキ(中略)しまいました』のスマホゲームに余念がないようだった――出発の日までにはマスターする、やるやる、と言い続け、気づけば当日。結局、残念な仕上がりのまま旅だつはめになった。
十数年、彼女の伯父をやっており、同じようなパターンで夏休みの宿題を一度として間にあわせたためしのない葵を見てきた身としては――蛇足が続くが、毎年のように彼女の母親にないしょで手伝わされたうえでの結果だ――はなから先ゆきは見えていた。
博も博でさまざまの準備に奔走していたため、また、あまり姪をせっつくと壊滅的に機嫌を損ねるので、だめもとで信じるしかなかった――というのは苦しい言いわけか。
不藁も葵の体たらくはだいたいわかっているはず。作戦の主軸にすえるには無理があると指摘すべきではないのか。
葵と双璧をなすトラブルメーカー、拓海に関するスルーぶりもまたしかり。
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