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三
博は、庭先をせわしなくまわる犬を動画に収めようと携帯端末を手にする年少の友人に声がけする。「むやみにスマホを出すな、拓海」
三十年も先の情報端末など、火打ち石と藁で火起こしする人間の横で、着火剤をチューブから絞り出しバーベキューを始めるぐらいにオーパーツ。この時代で見せれば騒ぎになる。
「もー、わかってるわかってるって」
言動不一致。拓海は縁台から、困り顔で右往左往する飼い犬にカメラを向ける。家人の目がないときならかまわないだろうと言いたげだ。
耳にタコができるほど口やかましく言っているのに、理解できないのかする気がないのか。両方だろう、と博は鼻でため息をつく。
こんな、ちゃらんぽらんが服を着て歩いているような男の同行を、なぜ不藁は特段、強くも反対しなかったのか。
その手のなかにある湯呑が、実は骨董商に五万円以上と鑑定されたことのある年代ものと教えても、目の色ひとつ変えず、一服つくふりを続けるであろういかつい男と、「ゴロー、ゴロー」と人の家の犬に勝手に名前をつけて呼ぶ若者を、見比べる。――さっきまで気にしていた女友達のことは、もう彼の脳内メモリーから揮発したようだ。
こいつにだけは娘はやれん、と父親の気分で、如才があるのかないのかいまだにつかめない青年の横つらをにらむ。
旅の準備に気を取られるあまり、うっかり彼を信じてワールドカップの動画の用意を任せきりにしてしまったこと、そして、拓海がちゃんと持参したかどうかの確認。
どちらも、不藁が職業がら見落とすとは考えにくい。うっかりで隊舎が爆発したり民家に砲撃したりがあっては話にならない。(たまに銃弾・砲弾のひとつふたつが道に飛び出すことはあるが)
計画に無関心なのか、あるいは意図的に指摘を漏らしたか。
前者も大いに問題だが、後者はそれどころではない。それこそ本当に内憂外患だ。
ゴロー、ゴローと手先をゆらしてゴンの関心をひこうとする拓海や、落ち着いたのか断片的にしか聞こえてこなくなった葵と千尋の話声に意識を向けるそぶりで、博は、不藁の様子をちらちらうかがう。
彼は、五万円の湯呑をそうとは知らず(知ったところで気おくれすることなく)鷹揚に傾ける。よく研いだ軍用ナイフのような両眼からは、その腹のうちにも同様の鋭利な一物を潜めているのか否か、うかがい知ることはできない。ただして吐く男でもなし。しつこく犬にかまうそこの若者なら五秒とたたず洗いざらいを吐き散らかすのだが。
今度の計画に不藁が加わった目的は、おそらくあのことだろう。それはたやすく推察できる。博はあえて問うていないし、不藁も口にしない。
この対コロナ作戦では、歴史を変える行為は原則禁止としている。現代への影響を極力抑える方針だ。
自称・神によれば、歴史は容易には変化しない。
微視的の変動はすぐに織り込まれ、一定の蓋然性のとおりに巨視的な大局は進行する。原則的には。
ものごとには例外ケースが存在する。
ごくささいな事象が、ときに、バタフライ効果よろしく劇的な変異をもたらす可能性は排除されない。
アディオスが安易に人類へタイムマシンを授けなかったのも、博もまたタイムトラベルには慎重であったのも、そこが理由だ。
過去、それも十年単位で離れた時代への干渉はそうとうにハイリスクな行為なのだ。――わかっていないのも若干名いるが。
拓海や葵と違って、高度に訓練された卒と下士官を統率する程度には分析・判断能力の高い不藁は、この計画の危うさをじゅうぶんに承知しているはず。
けして彼を黙認しようというわけではないのだが、その悲願は痛いほどわかちあっているつもりだ。博の、リーダーとして複雑な立場・心情を察して、せめていち自衛官として国民に顔向けのできない行動だけは厳に慎んでくれるよう望み、期待する。そうするしかなかった。
だが。
今ごろになって――本当に、自身でもあきれるぐらいの今さらだ――生じた疑念が、疑心暗鬼の深みへ博を誘う。
不藁にとっては――言葉は悪いが――もののついでであるとしても、本来の目的たるパスワードの入手はしっかりと支えてもらわないと困る。
しかし、これまでの行動を振り返ってみると、役割を放棄するしないの話ではなく、むしろ阻害しようとしているのではとのうがった見方さえ禁じえない。
姪や拓海のような、無自覚でかわいらしい(とも言ってられないが)お荷物ぶりとはわけが違う。不藁はプロだ。
国家の存亡を左右する実力組織の構成員が――それも一般の兵卒とは桁違いの練度だ――一九九〇年に来ている。
改めてその意味を考えて、若づくりの中年男は、
「ん? どうしたんだモグさん。顔色が悪そうだが」
五万の湯呑を座卓に置き尋ねる、筋肉質の太い肢体から、目をそらす。「――いや、なんでもない、大丈夫だ」
体じゅうが、粟だっていた。
全身が、本能が、こいつはヤバいと叫んでいる。そんな気がした。
不藁をここまで恐ろしいと、不気味だと感じたことは、今の今までなかった。
いや、一般人とはかけ離れた体躯と物腰は、もとより人々を圧倒する存在感があった。が、今の彼に垣間見える、一種まがまがしいとさえいえる「なにか」は、まったく別次元の不穏、純粋な脅威。
不藁は、その気になれば、数人程度はものの一分でやすやすと死にいたらしめる。たとえば今、この家にいる全員を。
外国の軍隊に対抗するための、武力に特化した組織の、戦闘員。
対コロナの計画に消極的でいるにしては、いやに常に周囲を警戒している。
送り込まれた? 自衛隊によって?
バブルに? なんのために?
それはやはり、あの大正島の事件の――
「モグさん?」
「えっ?」
不藁は、再度呼びかけた博が必要以上に声高に応じて、いぶかしげに問う。「具合でも悪いのか?」
大丈夫だ、本当に、と自身でもあまりすぐれているとは思えない青ざめた顔をそむける。ちょうど千尋に連れられて居間へ戻ってきた葵と目があった。
「五十連ガチャ、最低でも五回確定だからねっ、おじさん!」
「ええ……? なんの話だ?」
息巻く彼女に首をかしげたら、千尋が懐柔のため勝手に約束したらしい。
「あ、ああ……」生返事で伯父は聞き流す。
――俺はとんでもない時代に姪を連れてきてしまったようだ。
不藁の狙いが読めなくなり、彼に疑惑をいだいたこと。絶対に本人に悟られてはならない。
奴が何者であるかわからなくなった以上、なにをしでかすか皆目見当がつかない。過去からは簡単には逃げられないのだ。
葵だけは、死んでも守りぬかねば。
博は、頭の後ろの、怪異じみた魁偉を思って、戦々恐々、腹をくくるのだった。
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