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十二 小半助教授の宿題
博は卓上の中央にスペースを作り、一枚の紙を示した。
A4用紙に印字された、奇妙な文字と数字の羅列、図形――
「これってもしかして――」
「小半助教授の遺した暗号だ」博の言葉を博が継いだ。「こいつのおかげで日本じゅうが、無い知恵絞ってうんうんうなっている」
その代表がこのふたりだ、とやり玉にあげるような注釈を加えられたコンビの片われが、
「なんで紙なの? あたし、画像持ってるよ」
ポケットの携帯端末を出そうとして伯父に制止された。「だからすぐスマホを出すんじゃない」
この時代に存在しない機器を不必要に見せないための紙媒体であり、端末や電源いらずで全員で見られるむねを説くも、
「LINEのグループで昭和のみんなも共有すればよくない?」
話の聞かなさというか理解力ゼロというか、伯父から発話能力を奪う。わざとやってるのではないかと疑うと同時に、そうであってほしいとの背反の願いで、博はゆるゆるかぶりを振る。
気を取りなおし説明を続ける。
「Aのひらがな五十五文字、Bの英数十五文字、そして五つの図形。これを解くと『修正・小半理論』を復号するパスワードになる」
「これ、どこから読むの?」
「それがわかれば苦労しない」陽子の問いに、年上のほうの――遥かにだ――博が苦笑う。「そもそも『どこから読むか』という概念すら無意味なのかもしれん」
「全国どころか世界じゅうに解をつのってみたものの、暗号学の権威の研究者・機関がそろってお手上げ」その方面にこの中では最も近しい千尋が、文字どおり諸手を小さく浮かべた。
「こいつが解ければ、ここまで話したことがらは全部忘れてもらってかまわなかったりする。あとは八月二十日の時空のむらの発生日を待って未来へ帰るだけだ。どうだ、なにか手がかりが浮かぶ者はいるか?」
なにか自嘲めいた、そして挑発するような嗤いで、三十年前の家族へ問う。
無論、ただのアルバイト・中学生・会社員・主婦に解きおおせるとは博も考えていない。しかしものごと、万が一ということがある。散々苦労したあとで「実は最初に……」というパターンは現実でも創作物でも幾度となく見てきた。念には念を入れ、一応、可能性は確かめておきたい。
(A)
びらでぞめ ひよじにど
うきしまわ ぎみるぱい けとろざぐ
ぱうだるわ
ぺすふぢぷ がじおろり ねざぬげな
ゆわけよん おへえなづ
(B)
P4896T19152e269
Aを解きBを用いると大切な言葉が得られる。
「ウ~ン……ところどころ読める言葉はあるよネ」陽子が紙を手近に寄せて指し示す。「ホラ、ココ。最初の『うきしま』とか『わけ』『よん』とか」
「あまりに断片的すぎやしないか」博が即座に否定する。「それにそれほど多くもないぞ。縦方向に読むなら『でし』『いわ』とかもあるが、おんなじことだ」
「ならナナメ。『るり』とか『ひと』なんてのも見つかるヨ。逆方向なら『みぎ』とか『にじ』――アッ、ココ見てっ。離れてるトコつないだら『とけい』ってなる!」
「そもそもこのまま読むのかなあ」なかなか食いつきのいい陽子の発見に、清は疑問を投げかける。「たとえば五十音順に一文字ずつずらしてみるのはどうだろう。私の『き・よ・し』だったら『く・ら・す』と別の言葉が――」
「はいはいっ」未来組の小柄な参戦者が挙手とともに割り入る。「それね、あたしが思いついたんだけど、たくみんがね――」
「葵」博がじろと視線を送る。「おまえたちの貴重なご意見はもうじゅうぶんたまわっている。邪魔をするな」
えー、と口をとがらせる姪は千尋に預け、平成一家のブレインストーミングをもう少しうかがってみる。
「五つのブロックに分割されてるところがきっとミソだな」「だよネ、お兄ちゃん。まんなかのカタマリだけほかより字が多いのも絶対イミがありそう」「下の数字とアルファベットが重要な鍵なんだろうかなあ」「でもお父さん、ココに書いてあるヨ。順番としてはBのトコはAが解けてからになるハズ。ねえ、お母さんはナニか意見ないの?」「うぅん……私はクイズとかは苦手だから」「ナンでもいいから思ったコト、聞かせてヨォ」「そうねえ……。しいていえば、字に重ねて描いてある絵がなにかの手がかりなのかしら」
頬に手をあてがい節子は小首をかしげた。
暗号文のひらがなには、左上に「☽」、右上に「☆」、中央に「☀」、左下に「E」、右下に「M」、これら五つの図形が、それぞれ重なるように描かれている。
また、左上・右上・左下には◯印、中央は×印、右下には△印がある。
もちろん、これらには必ずなんらかの意味が込められており、重要なヒントとなっているはずだ。それがなにか量りあぐねている。
やはり想定どおり、入口段階のごく単純な推量にとどまるか。
簡易の確認作業を終えようとしたときだった。過去博がなかなかの着眼点をみせる。
「――パスワードじゃないか? もしかすると」
あごに右手を添え小さく目を見ひらく自分に、未来の博は口角を上げる。
「このでたらめな文字列の並びになーんか見覚えがある気がすると思ったら、あれだ、ゲームのパスワードだ」
「ゲームってピコピコの?」
聞き返す節子に、千尋は噴きかけてぐっとこらえた。
出た、昭和のお母さんワード、ピコピコ。リアルで聞いたのは初めてかもしれない。
「たとえば――そうだな『ドラゴエ』とか。どうだ、俺」
「発想は悪くない」二十代なりたて博に問われて、アラフィフ博は不敵にうなずく。「だが結論から言うと外れだ」
首肯後、横振りする将来の己に、なんだ、と博はがっかりした。
「『ドラゴエI』の『復刻の呪文』の字数は二十文字。暗号文の五十五文字は多すぎる。『II』も最大五十二文字だからまだ多い」
「あー、だな」
「『ドラゴエIII』はどうなの、お兄ちゃん」
唇を突き出す兄――歳の近いほうだ――に陽子が尋ねると、彼は、バカ、とあきれた。
「『III』は『冒険の蘇』にセーブするだろ」
「だったっけ?」
「もし『III』が『復刻の呪文』だったら八百文字ぐらいになる」
「エッ、そんなに!」
艾草兄妹のやりとりに非ファミゴン世代のふたりは「ねえ、たくみん。ママたち、なんの話してるの?」「知らね」蚊帳の外感を味わっていた。
「『ドラゴエ』に限らず――」最年長博がパスワード説の否定を補足する。「ほかのゲーム――それこそファミゴンに限らずほかの据え置き機からPCゲームまでを対象に、九〇年までに発売された全ソフトが検証された。が、字数と文字種のあうものでパスの通るものはなかった」
いいアイデアだと思ったんだがな、とりんごをかっ食らう若い自分を、博はねぎらう。
「その発想力で攻めてみてくれ。案外、小半助教授と接触せずに済むことになったりするかもしれん」
「でも、オジサンのほうの――ええっと、未来のほうのお兄ちゃん」
『オジサン』という言葉にあまりいい気はしてなさげな反応を察し、陽子は言い換える。
「お兄ちゃんはどっちも同じお兄ちゃんなんだから、出てくるアイデアは同じじゃないの?」
「いいや」
オジサンのほう、もとい未来のほうの博は達観した目で首を振る。
「人は時の流れとともに変わる。昔の俺だったら思いもしないことが、今の俺は考えのひとつとして持っている。その逆もまたありうるんだ。今の俺には出せない発想を、昔の俺はひらめくかもしれない」
「そんなものか?」平成博本人は釈然としない。
「ああ。レベル二十台じゃ見えなかったレベル五十台の境地だ。俺とおまえは同じ艾草博でも、なかば別の人間といえる」
おまえと小半助教授は五つ違いで歳が近く、感性の点で俺より有利だ、と五十代にして五十台の博は説く。
成長した息子――しすぎてうっかり夫妻の年齢を超えてしまった――に、清はうんうんとうなずき、節子は、ふふふ、と口もとをほころばせる。そんなもんかね、とレベル二十博は残りひとかけらのりんごを口へ放った。
さて、と博は腕の時計型端末で時刻を確認する。
――ちょうど時間もころあいだ。
居間の隅に鎮座する四十五型のブラウン管テレビを、かたわらの節子に目で示す。
「おふくろ、テレビをつけてくれ。NHKだ。ニュースを見たい」
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