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十四 沈黙の自衛隊
退庁後、赤坂の檜町駐屯地に隣接する六本木。
雑居ビルに入る行きつけのスナックで五十嵐は飲んでいた。
いつものように軽く引っかけて帰るつもりだった。早すぎず、遅すぎず。普通のサラリーマンと同じ日勤においてはほどほどのさじ加減で帰宅するのが夫婦円満のコツなのだと。が、もしかしたら今夜は少し遅くなるかもしれない。その連絡を入れに一度、トイレも兼ねて席を立とうか。そう考えつつ、カウンターの隣に座る男の話を聞く。
角刈りのその男、不藁豊・元陸曹長は図抜けた体格だった。
店内には自衛隊関係者が少なくなく、防衛庁の本庁そばの立地にあって、自然と関係者の集まりやすい店のひとつ。客層は一種独特で、肉づき・目つきから漂う空気はともすれば一般客の足を遠のかせる反面、暴力団よけにひと役買う。
幹部自衛官たる五十嵐もそのうちのひとりだが、左に隣る不藁との対比ではそこいらの一般人と変わりなかった。
今は退職しフリーの個人ライターで食べているそうだが、よく体を維持しているものだと感心する。
「――つまり一種の思考実験です」
だいぶ氷の溶けてより薄まる水割を、後生大事にちびちびやりつつ、不藁は構想を述べる。
「タイムトラベルが可能だとして、たとえば――そう、『戦国陸自』のように、装備・戦術のうえでは圧倒的に優位にある部隊は、過去の戦時――そうですね、第二次大戦などにおいて、どのような行動が可能か」
「『陸』が第二次大戦にタイムスリップか。なかなか想像力がたくましい」ほどよく角の取れたロックを喉奥に押しやり、五十嵐は笑む。「公務員からライターに転職しただけはある」
『沈黙の潜水艦』の作者が描きそうだな、と今、隊内でも関心の高い人気漫画をあげる。不藁は目を細め、ふふ、とひとつ低く笑った。
この巨漢インタビュアーは、アポイントはおろか前触れもなく、退庁直後の五十嵐を訪ねた。
かつて五年ほど赴任した帯広駐屯地で、同時期、不藁は勤務していたという。
直接には五十嵐の配下につくことはなかったものの、数年ごとに配属先の変わる幹部にしては現場の隊員との一体感を重んじる気概、訓練に音をあげて離隊を申し出た3等陸士五人を次々殴り、叱咤し、激励し、最後にはともに涙し遺留したという熱さなどに感銘し、私淑し続けていたと熱っぽく語る。
自衛隊を辞めた不藁は、東京へ出てきたあと職を転々とし、今はフリーライターで生計をたてているそうだ。
自衛隊経験を活かした隊にまつわる記事が出版社に好評で、ほそぼそと各誌に寄稿していると。懇意の編集者と打ちあわせで飲んでいるときに、今回の企画「自衛隊がタイムトラベルで過去に送り込まれたら」との想定で連載記事を書かせてもらえることになったのだという。
これまでで一番の案件に意気込む不藁が、取材対象として狙いを定めたのが五十嵐だった。自衛隊の中枢から隔絶された状況下での行動をシミュレートするうえで五十嵐はうってつけの人物、ととらえた彼は昔のつてを頼りに、現在は本庁勤務との情報を得て待ち伏せたのだと。五十嵐は、地方連絡部に取材を申し込めばいいのでは、との疑問を示す。
「広報を通せば形式ばった回答に終始するのは目に見えてます」酒とは反対によく進むピーナツへ手を伸ばし伸ばし不藁は言う。「組織としてのあたり障りのない公式見解がほしいわけじゃない。リアリティーに裏打ちされた臨場感あるナマの話を引き出したいんです」
たしかに、地連で得られるのは通りいっぺん、不藁も知りうる程度の情報に限られる。企画の構想にしても、自衛隊の対峙する相手が日本人というのは隊の心象が悪い。怪獣退治ならいざしらず、主権者たる国民の父祖に銃口を向ける想定の企画に協力したとあっては、防衛庁の体面に関わる。最悪、門前払いだ。
「だいぶナイーブなテーマのようだが、それを幹部自衛官に語らせると?」
「そのとおりです、1佐」
不敵かつどこかいたずらっぽく尋ねさせたのは、酒か、この男の巧妙な語り口か。
ぬけぬけと応じる不藁は、自信を宿した目で、いよいよ水のように薄まったウイスキーで口を湿らせ指摘する。
「子供時代は熱心な科学少年でいらっしゃったとか」
五十嵐は、ほう、と言葉尻と片眉を上げる。「あらかたのSFは小説・漫画とも読みあさったものだよ」
将来の夢は科学者か科学技術庁の長官だった、なんの因果か防衛庁に奉職する身となったが、とどこか照れくさげにグラスを傾ける。
「人一倍、好奇心旺盛な1佐に、手土産代わりの興味深い筋書きをお聞かせできます」
「というと?」
「企画の立ち上げで下調べをするなかで、おもしろいアイデアを見聞きすることもありまして。たとえば『海』の護衛艦がさきの大戦へタイムスリップ。ミッドウェイ海戦のただなか、連合艦隊と米海軍の間に現れてしまう。現代兵器を手に海自は単艦、どのように戦史と向きあうのか」
ふむふむ、と聞き入る五十嵐は、その構想で記事を書くのかと問う。
「いえ、これは人のネタです」今度は不藁が照れたように首を振る。「こういった興味深いアイデアなどをお聞かせしますし、私の構想自体も1佐の好奇心をくすぐると自信があります」
五十嵐の返事はすでに決まっていた。ある程度まで聞いた時点で、答えは出ているようなものだった。
「君の温めているアイデア、詳しく聞こうじゃないか」
「ありがとうございます。現在考えているのは、尖閣諸島に外国勢力が上陸し――」
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