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Prologue―序章―
―祇園精舎の鐘の声(Benben)
これだったら琵琶の声じゃない。
―諸行無常の響きあり(Ben)
なんで現実逃避をしようとして平家物語なの。このさい般若心経でも、いろは歌でも、九九でもなんでもいいじゃない。
そんなことよりも、今、私が見ているものは何?
これは……怒るところなの? それとも悲しむところなの?
人ごみの中、私の婚約者であるはずの彼が、すっと背筋の伸びた後姿の女性と腕を組んで歩いているのは幻なのかしら。
確か、
「仕事でどうしても抜け出せないから、ドレスを見に行くの一人で行ってくれないか。本当に申し訳ない」
って言っていたはず。
なんで? どうして? って泣き喚けたらどれほど楽だっただろう。
腹が立つのに、茫然と立ち尽くすくらいに悲しいのに、それ以上に「むなしい」と思ってしまった。
一人でウエディングドレスを見に来て、試着して、お色直しのドレスは何色がいいかって、ついさっきまで、ドキドキしながら担当のプランナーさんと話していた。
幸せの絶頂だったはずなのに、このむなしさは何だろう。
もしかしたら見間違いかもしれない。
よく似た人だったのかもしれない。
彼は仕事って言ったんだから、それを信じたい。
それなのに、あれは婚約者だって、どこかで私は確信していた。
―――――
『平家物語(一)』梶原正昭ほか 岩波文庫 2017年 引用
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