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陰翳【奏編】
※
▪陰翳シリーズ/奏独白。
▪時系列:if章突入編~
▪悲恋。ひたすら暗い。白夜狂い筆頭格末期者。
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あの時、あの手を掴めていたらーーなんて、度重なる後悔。
それは未練と言う形で、悲痛を運ぶ。
他への愛情をも凌駕する想い。それは容易く気鬱を招き入れ、いとも簡単に日常の在るべき自分を奪う。
「かなちゃん、あのさ」
「…………」
「かなちゃん?」
「すまん」
「えっ? 何?」
「一人にしてくれないか?」
「何でまた……仕事で何かあったの?」
「人と話す気分じゃない。それだけだ」
「そっかぁ……解った」
「本当にすまんな」
「大丈夫。後でね」
自分から遠退く足音。これが耳に響く度、嘆かわしさに苛まれた。
曖昧で不確かなもの。それを確かなものにする事がどうしても出来なくて、もどかしさばかりが胸を焦がし、自責を生む。
ーー今、姫は何処で何をしているんだろうか?
その一言が頭を過る度、過去が空洞化していく。
最後の最後位、体裁や道義、倫理、矜持、理屈、自分を束縛するもの全てを取っ払って、姫の手を掴めば良かった。
そうすれば、こんな残虐な未練に苛まれる事も無かっただろう。
そして姫も、独り孤独の世界に追放されるなんて結末は免れていた筈だ。
気付いていたのに。何なら理解すらしていたつもりなのに。
“姫は倫理に適った優しさで掴まえられる程、甘っちょろい女では無い”と言う事実に。
ーーそれなのに。
その壁を打ち破るのは予想以上に難しくて、掴み損ねてばかりで、そうして今と言う幸福を手に入れーーそうだ。俺は逃げ出したも同然なんだ、と。
「青い、な……」
快晴の空。太陽が眩しく、視界一面に広がった澄み渡る青。
まるで姫の瞳の色。だから好きだった。青が……、青空が。
今となっては、姫と居た記憶全てが輝く事は無くなってしまった。姫がこの街に居た時は、こうでは無かったのに。
この結果を恨み、そうした要因を抹消するのは簡単なのにな。それを実行するには失うものが多過ぎて、結局安泰を貫いてしまう。
それなのにお前に未練がましくいるなんて、つくづく自分勝手な男だよ。他人にそれを悟られないよう気遣うのも、いい加減疲れてきたさ。
「…………はぁ」
腕を枕に寝転んだ床。この縁側のこの場所で、姫もよく昼寝をしたり、空を眺めながら歌っていたっけ……。
また聴きたいな、姫の歌。耳を伝い、心ごと持っていかれるあの感覚がとても心地好かった。
今も記憶に色褪せる事無く刻み込まれている。姫は空に思いを馳せ、毎日のように此処で歌っていた。螺旋を描き続ける闇を青色に溶かすように、歌声をしっかりと空に紡いでいた。
その在りし日を思い返すと酷くもどかしくて、どうにかなってしまいそうだ。
姫がこの街から姿を消して一年。日々を謳歌するより、自責に苛まれ、孤独を抱え込む方が多かった。
一分一秒を刻む毎に、重なり行く未練。蓋をする事すら全く敵わない感情。離れているのに、姫への恋情に浸かるばかりで。
もう一度だけで良い。俺はお前と逢いたい。お前の笑顔に逢いたい。例えばそれが、自分に向けられたものじゃなくてもいいから。
お前に逢えるのなら、監獄の中だっていいんだ。
今更渇望した所で、触れる事すら叶わないのだろうから。
こんな想い。投げ出せれば、消せれば、全てが日向に見えるのにな。
全て、解り切っている事なのに。
頭に浮かぶ姫の笑顔が、どうしても消せない。
過去に縋ってばかりで、今一番近しい者にでさえ素を晒す事が出来ない。
姫は蜃気楼そのものだ。だから掴めない。きっと一生、その真理は変えられない。
それでも愛しかった。愛しくて堪らなかった。
触れたくて、掴んで、手にして、自分のモノにしたかった。
自分の欲望、時間、過去、未来……兎に角、全てを受け止めて欲しかった。
ふと空へ伸ばした手の平。この手で掴み取った現実は、自分が追い求めてたものではなかった。
幸せさ。けれど、掘り下げれば矛盾と言う名の歪(ひず)みが生じる。
本当に勝手だよな。その歪みを見えないように覆い隠して、お前を想うなんて。そればかりか、“歪みを表に出さない”……その為だけに、俺はお前を見殺しにした。最低で、哀れで、臆病者で、とんでもなく情けない男だよ。
……なぁ、姫。お前は今、何をしているんだ? 笑顔で居るなら、それでいい。
けれどもし孤独に藻掻き苦しみ、また泣いているのなら、抱き締めたい。ひたすらに俺の存在を刻みたい。そんな権利が無いのは充分に承知の上だ。
“また孤独に苛まれて欲しくない”。今となっては俺の我儘でしかないと思うが、この想いをお前に伝えられるのなら、もう一切手段は問わない。
……なんて、やっぱり『今更』だな。姫に対する想いは全て『今更』と、自嘲に直結してしまう。
哀しきかな。だが、それが自ら選んだ運命。
嗚呼。お前以外の全ての記憶を抹消してしまいたい。
そうしたら、またお前を心置きなく追う事が出来るのに。
人間なんて完全に辞めて、邪魔になる者は遠慮なく喉を刺し砕けるのに。
姫……もう一度、もう一度でいいから、お前の笑顔に逢いたいよ。
次は絶対に間違えないから。孤独にさせないと誓うから。
だからもう一度だけ、俺にその手を掴ませてくれ……
此処で目を瞑ると、姫の歌声しか聴こえないんだ。
もう逢えないのなら、お前の歌を子守唄にこのまま溺死させてくれないか。
お前の存在が霞む世界なんて、到底受け入れられそうにないから……。
END
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