第1章

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 つい2週間ほど前に付き合い始めた彼、谷原祐治(たにはらゆうじ)は、同じ会社で隣の営業企画部、2つ上の先輩で、フロア合同忘年会なる部署をまたいでの飲み会で知り合った。身長は高くないものの顔立ちがハッキリしており、いつもオフィスカジュアルの着こなしがオシャレなので社内でもカッコイイ人、という評判で元々知っていたが、特に意識はしていなかった。後で聞いた話で彼の方はというと、「顔はオフィスで見たことあったけど、飲み会の席で初めて君の声を聞いて、ものすごく惹かれたんだ」そう。私の声ってそんなに特徴あるかな。 「今日も忙しかった?」 「んーいつもの繁忙月、って感じかな。外からの依頼ごとの処理ばっかりで、本来やらなきゃいけないことが全然できないの」  会社から、駅とは反対側に1本離れた大通り沿いのイタリアンバルで待ち合わせて、二人で席につくなり話し出す。普段スーツではない彼の今日の格好は、カッチリ過ぎない黒のセットアップに中は白のTシャツと手堅いスタイルだった。付き合って間もないということもあって、いきなり二人で会っているところを会社の人に見られるのも憚られるので、少し離れた場所を選んで会うことにした。会社の最寄駅から、お互いの家は反対方面の電車になってしまうのでここら辺が最も都合がいいのだ。 「そっか、どこも忙しいんだな。こっちも今期の数字を気にしながら、次の期の目標設定やら戦略立案やらで大変でさ」 「仕方ないねこの時期は。ね、何飲む?」  2年目社員だが、偉そうに大賀さんと同じことを言ってしまう。ひと通りお互いの仕事の近況報告を澄ますと、付き合って間もない私たちの話題は私たち自身のことになる。職場以外にどんな友達がいるのか、家族はどんな人なのか、地元はどんな場所なのか…。 「いづなは、大学時代の人とかとも仲良かったりするの?」 「そうだね、サークルで仲良かった子たちとは、ときどき今でも飲んだりするかな」  何人かのいわゆる「いつメン」の顔を思い浮かべつつ答える。 「サークルって、英語のディベートとかするのだったよね?やっぱり今でも集まって白熱すると、英語になったりするわけ」 「えーないない!英語ディベートサークルってもそんなガチガチじゃなかったから、今じゃみんな少し英語が得意な社会人、くらいだよ」  ちょっとお手洗い、と言って席を立つ。歩きながら一応、見知った会社の人がいないかを確認。今日は大丈夫そうだ。社内で「ちょっとイイ」男性が、社内の女性と二人で食事となると面倒なやっかみの対象になりかねない。というか絶対なる。私は女子のそういうのが本当にくだらないと思ってしまうので、火種を作らないように気を付けている。見つけたら誰かに話したくなる、という心理は分からなくもないが、なにか嫌がらせをしてやろう、とまで思う輩もいるのだから信じられない。どうしてそこまで他人に興味を持てるのか。そんな女子とは極力関わらないことが最も賢明、それは学生も社会人も変わらない。ましてや自分が彼女たちの興味の対象になるなんてことは、意地でも避けなければならないのだ。  結局この日はそんな心配も杞憂に終わり、他愛もない会話と仕事終わりのワインを少量楽しんだ後に店を出た。スマートな見た目や物腰柔らかなしゃべり方とは裏腹に、彼は意外と古臭い「男らしさ」のようなものを持っているらしく「そういうモンだから」という謎の言葉とともにお会計は全て出してくれた。私は「男なんだから奢って当然でしょ」などと不遜なことをのたまう女子とは遺伝子レベルで異なると思っているのだが、出してくれると言っているものを無理に引き留めるのもまた違うと思うので、お言葉に甘えている。  6月後半の暑いような、でもまだ夜は冷えるような煮えきらない気温の中で、大通りに面した店から信号につかまりながら歩いても5分ほどで、最寄駅の中央口に着いた。地下鉄との乗換もできる駅は、23時過ぎのこの時間家路を急ぐ人でまだまだ騒がしい。 「それじゃ、また連絡する。帰り気を付けて」 「うん、ユージも。じゃね」  会社の最寄駅から帰り道が反対方向だと、どうしてもここで解散になる。明日も仕事で夜も11時を回っている。送ってくれというのもさすがに悪いので、口には出さずにさらっとバイバイ。少しさみしいが仕方がない。もう少し時間が経てば、お互い一人暮らしで家に行き来するようにもなるだろうし、しばらくの辛抱かな…などとほどよくお酒の回った頭でぼんやり考えながらホームにつながるエスカレーターに立つ。  今日も1日が平和に終わる。いづなは自分の人生に、大きな不満を持っていない。
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