無口な黄色い花

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6人部屋の病室の窓に顔を近づけて、娘の怜子は、弾んだ声で言った。 「おじいちゃん、窓際のベッドで良かったね。」 怜子は、窓ガラスを、オレンジ色のマニキュアをした指で、カツカツと音をさせて叩いて言った。 「うん、窓ガラスも、ええの使ってるわ。」 それを聞いたおじいちゃんは、「怜子は、ええガラスと、安物のガラスの違い解るんかいな。」と言って笑った。 和夫と娘の怜子は、大腸ガン入院しているおじいちゃんのお見舞いに、大阪の中之島にある総合病院に来ていた。 いや、お見舞いもあるが、今日は、おじいちゃんに頼まれた花の図鑑を持って来たのである。 「ねえ、おじいちゃん、病院の食事って、美味しい?今日、何食べた?」 「そやな、美味しいって言うもんでもないな。味付けも気の抜けたような薄味やからな。そうや、今日は、玉子の焼いたん出たな。あれ、ケチャップ付いてたからオムレツなんかな。そやけど、中に具入って無かったな。そんなもんや。」 「ふうん、もっと美味しいもん出たらいいのにね。」 「贅沢は言われへんわ。何しろ病院やからな。それで、図鑑は持って来てくれたんか。」 「うん、持って来たよ。一緒に見ようよ。」 そう言って、怜子は、図書館で借りて来た花の図鑑を2冊、おじいちゃんのベッドに設置されたテーブルに置いた。 どういう訳か、今になって、花の名前が知りたいと言うのだ。 なんでも、おばあちゃんは、2年前にガンで亡くなったのだけれど、ある日、おじいちゃんが、見舞いに行くと、病室に黄色い花が置いてあったそうだ。 黄色い花と言っても、特別な花じゃない。 その辺の道端に咲くような、名前も知らないような花だったというのだ。 可憐で可愛い花だったそうだ。 その花を見て、おばあちゃんは、言ったというのだ。 「おじいさん、この花知ってる?」 そう言った後に、「知らないよね。」と続けて、笑ったらしい。 それでも、何故か、おばあちゃんは、その花に思い入れがあるのか、優しい眼差しで、その黄色い可憐な花を見ていたそうだ。 そして、しばらく時間があって、おじいちゃんに言ったのだという。 「ねえ、この花にも花言葉があるのよ。それを、おじいさんに教えてあげたかったの。」 「ふうん。それで、その花言葉って何なの?」 そう聞いたら、悪戯っぽく笑って、「さあ、知らない。」って言ったというのだ。 その時は、まだ、おばあちゃんも生きていたから、また、ふざけたこと言ってるみたいな感じで、気にもしなかったらしい。 次の日に、病院に言ったら、もうその花は無かったというのだ。 病室に生花を飾ってはいけないというのが、最近のルールらしい。 そんなことがあったらしいのだが、今になって、その花の花言葉が何だったのか気になると言い出したのだ。 怜子は、ベッドの横から図鑑を覗き込んでいる。 「あ、チューリップ。可愛いね。ほら、これ黄色い色もあるよ。」 「いや、チューリップは、おじいちゃんでも解る。そんなんじゃないんや。もっと、可憐で、名前も知らないような花なんや。」 「ふうん。でも、図鑑にも載ってないね。」 「見つからないね。道端に咲いているような花やからな。おじいちゃんも、どこかで見た気がするんやけどな。」 2人は、1ページずつめくりながら、花を探している。 「あ、これは、どう?マツヨイグサやて。これ、黄色いし、可憐なかんじやん。」 「ホンマやな。何か、こんな感じもするな。」 「こんな感じもするなって、おじいちゃん、もしかして、ハッキリ覚えてないん?」 「なんせ、おばあちゃん亡くなる前やからな、もう2年以上なるわな。どんな、花やったんやろ。」 「ちょっと、ちょっと、どんな花やったんやろって、そやから、おじいちゃん、覚えてないねんね。?」 「なんとなくや、なんとなく覚えてる気がするんや。だから、こうやって図鑑見てたら思いだすかなって、見てるんや。」 「もう、ええかげんやなあ。」 そんな2人の会話を聞きながら、和夫は思っていた。 2年前に、1度だけ見た花を覚えている訳がない。 絶対に、覚えていることもないし、今、図鑑を見ても思いだすことも出来ないだろう。 果たして、忘れてしまった花を探す意味があるのだろうか。 いや、意味の前に、探し出せることはないだろう。 目の前では、怜子とおじいちゃんが、楽しそうに見ている。 まあ、それなら、こんな時間も意味があるのかもしれないが、おじいちゃんの話を信じてよいものかどうか。 一体、その花は、そもそも、誰が病室に置いたのだろうか。 普通に考えるなら、看護婦ではないだろう。 誰かがお見舞いにやってきたとか。 でも、それなら、もっと豪華なというか、道端に咲くような花はもってこないだろう。 或いは、おばあちゃんが、自分で摘んだのだとすると、病院の敷地内に生えている花と言うことになる。 その時、おばあちゃんは、まだ歩くことが出来てたのかな。 いや、それよりも、本当に黄色い花は、病室にあったのだろうか。 それ自体、疑問である。 おじいちゃんの、記憶違い。 或いは、妄想なのではないだろうか。 おじいちゃんの記憶の、いつのものだか分からない記憶の欠片が、いつの間にか、おじいちゃんの脳内で増殖していって、実在に変わってしまった。 そういうことではないのだろうか。 それに、今更、花言葉を知ったとして、どうなるものでもない。 まあ、勿論、もし黄色い花が存在していて、確かに、花言葉の会話があったとしたなら、おじいちゃんが知りたくなったという気持ちも解らないでもない。 でも、和夫としては、花があったという話に疑問を抱いているのだ。 「ねえ、おじいちゃん。タンポポも、黄色い花やし、道端に咲く花やん。」 「そやから、タンポポやったら、おじいちゃん知ってるし。そんな花ちゃうんや。もっと可憐な花なんや。」 「あ、ねえ、ねえ。タンポポの花言葉って、真心の愛やって。あ、愛の神託っていう意味もあるわ。神託って、神託やで。どういうことなんやろ。そやけど、真心の愛って花言葉、貰ったら嬉しいよね。」 「そら嬉しいわな。そやけど、タンポポちゃうからな。おじいちゃんの探してる花は。」 「ちょっと待って。タンポポの花言葉に、別離っていう意味もあるわ。どういうこと?真心の愛と別離と、全然違うやん。ねえ、どうしてやろ。」 「どうしてかな。花言葉って、そういうの多いな。1つの花に、いくつも花言葉あるんやな。そやけどな、おじいちゃんの探してる花は、タンポポ違うねん。そやから、タンポポは、もうええねん。」 「あ、タンポポって言ったらさ、タンポポティーっていうお茶もあるの知ってる?」 「そやから、タンポポは、、、。怜子もシツコイナ。ホンマ。」 そう言って、おじいちゃんがため息をついたら、怜子がペロっと舌を出して笑った。 「それにしても、あの黄色い花は何やったんやろ。」 「でも、おじいちゃん、覚えてないんやろ。どんな花やったか。」 「うん、覚えてない。ハッキリとはな。」 「覚えてないって、そんなんやったら、探されへんで。」 「そやけど、どんな花言葉を、おじいちゃんに伝えたかったか知りたいんや。」 「でも、その花言葉って、おじいちゃんにとって、嬉しい花言葉とは限らへんで。『恨みます』みたいな花言葉やったら、探して見つけても、ガッカリするだけやで。」 「ちょっと待って、そこまで考えてなかったわ。そう言われればそうやな。おばあちゃん、おじいちゃんの事、どう思ってたんやろうな。恨まれてたんかなあ。やっぱり。」 「やっぱりって、何か心当たりあるんや。あ、おじいちゃん、悪いことしてたんや。」 「いや、そんなことしてないで、でも、気になるなあ。悪い花言葉でも、やっぱり聞いてみたい気もするんやな。複雑な気持ちやな。」 それにしても、おばあちゃんも、厄介なことをしてくれたものだ。 花言葉に自分の気持ちを託すなんて。 たとえ、花が分かったとしても、花言葉自体に色んな意味がある。 もし見つかりでもしたら、またその花言葉で悩むことになる。 「そやけど、おじいちゃんって、おばあちゃんにとって、どんな存在やったんやろ。」 おじいちゃんが、ポツリと言った。 「自分では、どう思うの?」怜子が、聞いた。 「本当に、おじいちゃんと結婚して、良かったんやろか。他の人と結婚してたら、もっと楽な生活もできたかもしれへん。同級生でも、もっと収入多いやつおるからな。おじいちゃん以外の人と結婚した方が、おばあちゃん幸せになってたかもって、最近思うんや。」 「どうしたん、おじいちゃん。急にシンミリして。おばあちゃんは、おじいちゃんを選んだんやから、きっと好きやったと思うよ。」 「はは、そら結婚した時は、そうや。若かったしな。好き同志やったで、きっとな。でも、ほら、結婚生活は、それだけやないしな。苦労もさせてきたからな。しんどいことも多いしな。そら、何十年もしたら、考えも変わってくるで。おじいちゃんとの生活も、仕方なしにしてたかもしれへんで。」 「あれ、どうしたん。急に寂しいこと言い出したやん。」 「いや、実際そうなんや。やっぱり、怜子ちゃんの言うように、花言葉、おじいちゃんへの恨みやったかもしれへんな。でも、やっぱり、知りたいんやな。」 「もう、そやから、どんな花やったかも覚えてないんやろ。そんなん、探しても見つかれへんわ。そうや、今分からんでも、いつか、おじいちゃん死んで、あの世に行った時に、その時に、おばあちゃん見つけて、聞いてみたらええやん。」 それを聞いて、和夫は、よくこんな残酷なことを言えるものだと、怜子を見た。 こんなデリカシーの無い会話ができるのは、これは妻から引き継いだのだろう。 しかも、本人は、デリカシーの無い話だとは、分かってはいない。 いや、たとえ、それを指摘しても、別にそれがという態度なのである。 だから、大阪の女は、嫌なのだ。 付き合うなら、東京の女に限る。 「そやけど、あの世に行って、おばあちゃん、会うのイヤやって言えへんかなあ。もう、おじいちゃんと顔合わすのは、この世だけで、懲り懲りやって、思ってへんかなあ。」 「そやから、おじいちゃん、どうしたん。そんなこと、おばあちゃん言わへんよ。きっと、その黄色い花の花言葉は、『おじいちゃん、愛してるよ。』とか『おじいちゃん、ありがとう。』っていう意味やわ。きっとそうやわ。あたし、絶対にそう思う。」 「そうかな。それやったら、うれしいんやけどなあ。」 「絶対や。絶対そうやわ。あたし、断言するわ。」 断言するって、よくそんないい加減なことを言えたものだと和夫は思っていた。 「そうか。怜子ちゃんが、断言してくれるんやったら、そうかもしれへんな。」 ちょっと、おじいちゃんは、嬉しそうに笑った。 しばらく、ぼんやりと窓の外を見ていたおじいちゃんが言った。 「あれは、何やったんやろ。」 「あれって?」 「いや、あれは10年ぐらい前やったかな。ある日な、おじいちゃんが、夜中に起きたら、隣に寝てたおばあちゃんが、おれへんかったんや。びっくりして、家の中見てもおれへんし。そしたら、家の前の道路で、空を見てたんや。」 「おばあちゃん、何してたんやろ。」 「そやろ。そやから、おじいちゃんも、何してるんやって聞いたんや。そしたら、お月さん綺麗やから見てたっていうんや。」 「いや、夜中の2時過ぎやで。そんなん、可笑しいやろ。危ないし、パジャマで外におったら。いや、危ないっていうても、今考えたら、病気で死んでしもたんやし、危ないもなにもないわな。人間死んでしもたら、アカンな。」 「その時、おばあちゃん、どんな感じやったん?」 「うん、何か、ぼんやりお月さん見てたな。後姿が、頼りない感じやったな。可哀想な感じやった。あの時、おばあちゃん、何考えてたんかな。」 「ふうん。何か気になるね。でも、ちょっと寝られへんかったから、新鮮な空気吸いに外に出たんちゃうかな。」 「そやけどな。思うねんけど、幸せな人間は、夜中に家出てお月さん、見ないと思うねんな。そやから、おばあちゃん、何か我慢してるんやろなと気になってたんや。」 「おじいちゃん、大丈夫やて。おばあちゃん、きっと幸せやったと思うよ。怜子が断言してあげる。」 「そうか、また怜子ちゃんに断言してもらったな。怜子ちゃんの断言は、効果抜群やな。」と、また、ちょっと嬉しそうに笑った。 またまた、何の根拠もなく断言したぞ、と和夫は思ったが、人を楽にさせる言葉なら、まあ断言も悪くはない気もするのではある。 暗い夜道に立っているおばあちゃんを想像したら、月の光に照らされて、ぼんやり光っているように思えた。 結局、黄色い花を見つけることも出来ずに、病院を出たら、もう日が落ちている。 家の近くまで帰ってきたら、道端に小さな黄色い花が咲いていた。 夜咲く黄色い花。 どうして、夜に咲く意味があるのだろうか。 月の明かりのせいか、その黄色い花のまわりが、少しばかり光っているように見える。 道端に咲く可憐な黄色い花。 こんな花だったのだろうか。 月に照らされて光る姿が、おばあちゃんのお月さんを見ている姿とダブって見えた。 すると怜子が、その花を見て言った。 「あ、あれ見て。黄色い花やん。可憐な感じやん。きっと、これやわ。これ、おじいちゃんの探してた花やわ。絶対、間違いないわ。」 そう言って、子供のようなキラキラした目で和夫を見た。 絶対に間違いないわ、、、か。 和夫は、あきれたようなため息を漏らした。 とはいうものの、探し物を発見した時の、少しばかりの嬉しさも感じた。 「そうかもしれないね。」 そう返事をした。 「絶対に、そうだよ。」 「そうだね、絶対に、そうだね。」そうあって欲しい気もしたのである。 曲がり角を曲がる時に、その黄色い花が気になって、振り返ってみる。 夜の暗い世界に、黄色い花は、可憐に咲いていた。
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