プロローグ:朝礼

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 頭を足で押さえつけられているからどのような表情をしているのか定かではないが、見なくても大概予想はつく。声音だけは取り繕えても、醜い内面が噴き出した顔まではどうにもならない。  髪色、髪質、瞳の色から肌の色まで、全てがやつれたその男は、希薄さが滲む偽りの凛々しさを抱きながら、その問いとやらを口にした。 「お前は``人``か? それとも``犬``か?」  このとき、私は今の時刻を即座に把握した。  物心ついた頃から、このやりとりは通例行事になっている。朝の五時になると強制的に土下座させられ、二時間程度頭を足で押さえつけられたのち、朝の七時になると決まって父はこの問いを投げかけるのである。  毎日、毎日。決まった時間、決まった態勢で、もはや日常習慣と言わんが如く。  このやりとりは、私と父の間で一日の始まりを意味する。父曰く、この会話を一日の始めに行うことで、己が如何なる存在かを常に自覚できるとのことだ。  私も、その論理に異論はない。一日の始め、朝一番に自分が何者かを常に確認する機会を、ご主人さまからいただけるのだ。これ以上の至福はない。  だからこそ、父の問いに対しての答えはただ一通りのみ。これもまた定型文であり、これ以外の文章を紡ぐことは絶対にありえず、父も私もそれを重々理解しているのだが、それでも己が何者であるかを再確認する習慣を反故にすることはできない。  私は地面に埋もれた顔から力の限り唇を動かし、二時間もの口呼吸でじゃりじゃりと舌の上で踊る泥を味わいながら、十年以上答えてきたその問いに、いつもどおり、何の脚色も婉曲表現もつけず、脳味噌に強烈に焼きついたその一文を、淡々と読み上げたのだった。 「``犬``です。どのようなことがあろうとも、決して隷属の意志を忘れない、忠実なる``犬``でございます。ご主人さま」
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