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興奮冷めぬ中、秋山は荒くカバンを担ぎ、教室を飛び出た。
今までないぐらい息を途切れさせ、自室までの最終コースである、家の階段を駆け上がる。
百点の答案を早く見せたい子供のように、勢いよく部屋のドアを開いた。
「佐藤のやつ、やったよ!」
嘆声を上げながら部屋に入ると、艶のある前髪の隙間から、悪魔が目だけを遣わしてくる。
「どうだ、やっぱり俺の力は本物だったろ」
漫画越しに悪魔はふんっと鼻を鳴らした。今だけはその仕草がどこか誇らしい。
「ああ、認めるよ。君の力は本物だ。佐藤のやつあんなに泣きじゃくって」
思わず笑い声が唾と一緒に飛び出てしまった。悪魔は引き気味に遠くから見つめている。
「なんだよ、そんなに嬉しかったのかよ」
「ああ、最高の気分だ」
秋山がガッツポーズを決めると、悪魔は満足したようで、独特なリズムで鼻歌を歌いながら、透明なタブレットを取り出した。
「じゃ、次のターゲットはこのメガネくんだな。名前は沼田和寿。男で、お前と同じクラスか」
透明な履歴書でも読むよう、スラスラと沼田の詳細な情報を読み上げていく。
こんな悪魔を前に「なんでそんな事が分かるんだよ」ていうベタなツッコミは無粋か。
「沼田か、よしこいつもマイルドコースで頼む」
ゲームの難易度を決めるように、軽く秋山は言った。すでに復讐に対する罪悪感は消え失せていた。
「なぁ、本当にマイルドでいいのか」
「え、ダメ?」
秋山が疑問の声を上げると、悪魔はわざとらしく唸った。その表情には感情がこもっていない気がする。
「いや、ダメって言うほどじゃないんだけどな。本当にそれでいいのか?」
少し鬱陶しく思うぐらいに悪魔は顔を近づけてきた。衝突する寸前のところで、秋山が手で静止する。
「本当にいいのか? 後悔しないな」
「うん、マイルドで良いよ。別に上のコースを試す気はない。それよりも少し離れてくれない、顔が近いよ」
秋山がはっきりと答えると、何かが吹っ切れたように、悪魔はベットに腰を下ろした。意外と素直に従ってくれたことに秋山は、内心胸を撫で下ろす。
「分かった、分かったよ。沼田はマイルドコースで明日執行。それでいいな」
ふてくされた子供のように、悪魔は整ったその顔を赤に染める。
機嫌を損ねてはいけない。見た目は人間でも、今目の前にいるのは本物の悪魔だ。秋山は息を呑んだ。
「ありがとう。飯はもう食ったか? まだカップラーメン残っているぞ」
秋山が早口で言うと。
「いや、飯ならもう食った」
そう短く答えると、悪魔はそばにあったビニール袋を気だるそうに掲げた。掲げた薄いビニールの繊維からは、『味噌ラーメン』と書かれたフォントが見え隠れする。
「そっか、じゃあ僕はは風呂入るわ」
あまり刺激しないように、和やかな口調で秋山は部屋を後にした。
さっきまで誰か入っていたのか、浴室内にはまだ湯気が立ち込めていた。
曇る眼鏡を外し、秋山は大きく息を吐く。
悪魔との同居を初めて約二日。異常なほど息が詰まる。何せ相手はいつでも人を殺すことができる悪魔だ。
もし何か小さいきっかけで機嫌を損ねたらこっちが、殺さねかねない。まさに一触即発の生活だ。
秋山は大きく深呼吸をし、息を整えた。
服を脱ぐ前に、ポッケに突っ込んだスマートフォンを取り出した。
もうしばらく親との連絡にしか使っていないメッセージアプリ。『友だち』と表示された枠の最下層に、沼田の名前はあった。
最後のトークは沼田側の『もう話しかけてくんな』で終わっている。
湿った手を動かして、秋山はメッセージを打った。
「明日、授業が始まる前に校舎の裏に来てください」
そう短く打った後、メッセージを送るのは案外戸惑わなかった。
結局その日の夜は、これといった会話もなく終わってしまった。
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